永遠に煌めけ part2
結成の知らせは突然でした。
まさかの雑誌の早売りの流失から。
最初は「なにわ男子ってダセ〜正気かよ?」って思いと「一緒にやってた康二くん、Funkyの子たちはどうなるの?」っていう気持ちが大きかったです。
Twitterのタイムラインを見ても祝福ムードではなく「寄せ集めが売れるわけない」「ビジョンが見えない」など罵詈雑言。私も受け入れるのにも時間がかかりました。
そりゃ、今まで何も無かったところに、今までの括りをガン無視したグループ出来たら受け入れないよ。笑
でも、グループが出来たことによってデビュー諦めなくていいんだ。そしてキラキラ路線で売り出していくのを見て「だからこの7人だったのか」っておもいました。
そして初お披露目の梅芸公演。 横山くん大倉くんのプロデュースという名目もあってかメディアにたくさん取り上げられた。 そこが関ジュの大きなターニングポイントだと思う。
プロデュースに関してよく思わない人がいるのも分かってます。でも、ここで横山くん大倉くん手が入ったことにより、今までなかなか日の目を浴びることの出来なかった関ジュが少しづつ注目を浴びるようになったと思う。
関西ジャニーズJrの鎖国が解かれた瞬間であると思う。関西ジャニーズJr島にペリーが来航した。ここでの開国がないと今のように日の目を浴びることもなかったのかもしれない。と思うとほんとにありがたい。
関ジャニ∞としても、ボーカル渋谷すばるが脱退し、ジャニーズとしては年末にタッキーand翼の解散、滝沢秀明が裏方に回ることが発表されたタイミングだった。
そのタイミングで関西ジャニーズJrに目を向けてくれた御二方にはほんとに感謝でしかない。
これは余談になるが2018-19は確実にジャニーズの転換期と言えるだろう。ジャニーズJrチャンネル、LIVEの1部配信などのコンテンツがグッズの通信販売がスタートしたのも2018-19の出来事だ。
事務所がタレントの退所に関する考え方も少しづつ変わってきてるなと思い始めた時だった。そして2019年初めに発表された嵐の活動休止。先代ジャニー喜多川社長の死。確実にジャニーズ事務所の空気が入れ替わる時期だったように思える。
余談はさておき、大倉くんのプロデュースが入ってからというものの少しづつ地上波に出ることが多くなり、向井康二のSnowMan移籍、室龍太のJr卒業。
Lilかんさい、Aぇ! groupなどのユニットも完成し、関西ジャニーズJrは新体制となった。
2019.8.8 東京ドームで行われたジャニーズJr祭りでSixTONES、SnowManのデビューが発表された。
そこで一気になにわ男子のエンジンに火がついたと思う。
そして私も、ずっと一緒だと思ってた紫耀も廉も康二くんもデビューすることになり、次は絶対何があろうとも関西ジャニーズJrからなにわ男子がデビューするんだ。と 彼らはどう思ってたか分からないが、つい半年前まで同じ釜の飯を食ってた仲間がデビューするとなると個人個人色々な思いがあるんだろうな。と思ってました。
そして初単独ツアーで関西ジャニーズJrとして初めての京セラドーム単独公演が決まった。
あぁ、焼け野原と呼ばれてた時代から京セラドームまでよくたどり着いたなと。
個人戦でいつ日の目を浴びるか分からない状態で辞めることも考えた子も沢山いると思う。「結局僕らは夢を追いかけた」からこそ京セラドームにたどり着けたのだと私は思う。
京セラドーム後からコロナが流行し世界は変わってしまった。
初の東京単独公演は中止となってしまった。
エンターテインメントの世界が止まってしまう感覚があって怖かったのを覚えてる。
エンタメに従事してる彼らは仕事を否定されたような感覚に陥ったかもしれない。
でも、そんな中彼らはハッシュタグを使いISLANDTV内でなにわ男子となにふぁむが繋がってるような企画をしてくれて、私たちに笑顔をくれた。試行錯誤しながらたくさんの愛をなにわ男子から貰った気がする。
どんな逆境でも逆手に取り新たな物を発信できるのはなにわ男子の魅力だと思う。 配信ライブのMCのノリで出来た「ちゅきちゅきポーズ」はなにふぁむに留まらず流行に敏感な学生もプリクラのポーズでやったりと流行の発信にも一役かったなにわ男子。
これからどんどん流行を作ってなにわ男子どんどん大きくなっていこうな!!
私はそのお手伝いをしていきたいと思う。
2021.11.11
関西ジャニーズJr/なにわ男子のファン。より