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独身アラフォー男の土曜日の夜戦(第二話)

もう一度、惣菜売り場に目を走らせる。
肉巻きおにぎり、いなり寿司、太巻きとご飯物がそれぞれ一パックずつ並ぶが、まだ割引シールは貼られていない。
どれにするかと迷っていると、いなり寿司に横から手が伸びた。
不意を突かれ、手を伸ばした人物を見る。
そこには三十代前半のメガネ美人。
黒髪のショートカットが涼やかで、ひまわりのワンピースが似合っており、惣菜売り場が華やいだ気すらする。
しかし、そんな彼女もまた割引捕獲者なのだ。
そして、私にはない武器を彼女が持ち合わせている事を目撃する。
店員は彼女の買い物カゴの中を見るや、
「シール貼っておきますね」
と微笑を浮かべながらシールを貼っている。
彼女は
「あ、すいません」
と語尾を上げながらにこやかに微笑む。
全く、あの店員。
私の時には貼らないであろうに。
舌打ちしたい気分も抑えて再度獲物に目を光らせる。
お、肉団子があるではないか。
6個入りで198円。それに4割引のシールが貼られている。
迷わずに手を伸ばす。
ずっしりとした重みに安心感すら覚える。
ここの肉団子は味付けが少し濃い気もするのだが、それが酒とまた合うのだ。
余ったソースをご飯にかけるのはここだけの話だ。
とりあえずメインはこれでいいだろう。
他にめぼしい物はないだろうか。
天ぷらは半額シールが貼られているが、既に油が回っていて、見た目からしてべっちゃりとしている。
牛丼もあるのだが、400円の3割引ならばそこまでお得感は感じられぬ。
その時、視界の隅に奴を見つけた。
ビニール袋に入ったそれは、丸天である。
主役にも脇役にもなれるポテンシャルの高さを、持つ憎いやつ。
ビニール袋にも丸天から滲み出た油が染みているのか、袋がくったりとしている。
しかし、これが良いのだ。
パプロフの犬の様に、見ただけで丸天の油の味が口に広がる。
手のひらサイズの丸天が二枚で100円。
ここの丸天は惣菜部門で作られていて、丸天によって揚げ具合、中に入った具材も微妙に異なる。
私が好きなのは、よく揚げられている皮が少し黒ずんだ丸天だ。
袋からうっすらと見える丸天はそういう理想的な丸天に見える。
そんな丸天に4割引シールが貼られているのだ。
売り場には二袋残っていたので、一袋をすかさずゲット。
丸天はそのままでもよいが、チューブの生姜をちょっと乗せて、数滴の醤油を垂らすだけで至高のおつまみへと昇華する。
既に口の中には丸天の旨みが溢れている。
そんな夢の世界へと飛んでいた意識をガサっという音が現実へと戻す。
なんの音だと思って見ると、黒いジャケットにこれまた黒いチノパンという全身黒ずくめの大学生風のマッシュルームカットの男性が丸天の袋をカゴに入れているところである。
若造よ、君もその美味さに気づいているのか。
思わず、親指を立てて、握手を求めたくなる。
味覚に年齢差などないんだなとしみじみと考えていると、ある事に気づいた。
彼の手にした丸天の袋には半額のシールが貼られている。
やられた、割引熟成タイミングを見誤った。
私が手にした丸天は少し早いタイミングで4割引シールが貼られていて、たった今店員の手によって半額へと熟成されたのだ。
半額の丸天を手にした彼の顔が少しニヤけて見えるのは気のせいであろうか。
ちくしょう。先程まで仲間だと思っていたのに。
そんな私の横を店員は私のカゴの丸天に一瞥もくれることなく、バックヤードへと消えて行った。
それと共に惣菜コーナーからは人が散り、私一人立ち尽くす。
わずか1割の差だが、何故か戦に負けた感がある。
どうする?
視線を巡らすが惣菜には既にめぼしいものはない。
今日は刺身という気分でもない。
太巻きも買って、豪遊するのも悪くはないが、太巻きの端から出ている具材をみるに中身はタマゴ、きゅうり、かんぴょう、カニカマである。
私はかんぴょう入りの太巻きが余り得意ではない。
嫌いとまではいかないが、甘い具材とご飯の組み合わせが少しだけ違和感を覚えるのだ。
などと、考えていると先程の大学生風の男が戻ってきた。
何を買うのかと見ていると、太巻きをカゴに入れ、カゴから丸天を取り出し売り場に戻したのだ。
そして、彼は颯爽と去って行った。
次の瞬間、私の手は麻雀の燕返しの要領で一瞬にして、売り場とカゴの中の丸天を入れ替える。
これは勝利と言ってもいいのではないだろうか。
地獄からの天国とはこのことか。
くすんだ天井からまるで天からの光が見えるかのようだ。
よし、獲物はこれでよいか。
充足感に満ちた顔で私は酒コーナーへと歩を進めた。

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芥川裕次郎
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