大器晩成という言葉から思うこと
絵本「みんなとおなじくできないよ」の作者で、小児科医の湯浅正太です。このチャンネルでは、子どもの心を育てるうえで役立つ情報を発信しています。そんな、子どもの心を育てるということを、あまりかたく感じないでください。ですから、紅茶でも飲みながら、ゆる〜い気持ちで聴いてもらえればと思っています。
こんな風に発信していると、おかげさまで講演会のお話をいただいたり、いっしょにこんな活動をやりませんかと誘っていただいたりします。そうやって、全然違う分野の人と会って話していると、気付かされるものがあります。それは、才能です。
色々な人を知るということは、色々な才能に気付かされるということです。それは僕にとって、とても面白い瞬間です。才能に気づかされるばかりではありません。そういった才能を活かしてくれる環境があることも知るわけです。そうやって、その人のことを理解してくれている環境があることを知ると、なお嬉しくなります。
世の中には「大器晩成」っていう言葉がありますよね。偉大な人物は、才能を発揮するまでに長い年月を費やすもの、という大器晩成。それは、大きくて立派な器(うつわ)が完成するのには時間がかかることになぞらえた表現ですね。似た言葉には、「遅咲き」なんて言葉があります。
小児科医として働いていると、面接や知能検査を通して、子どもの得意なところや苦手なところを評価することがあります。僕がそうやってその子どもを評価するということは、その子どもはたいてい、うまく生活ができなかったり、学校で勉強が苦手ということで病院に連れてこられている場合が少なくありません。
でも面白いことに、面接や知能検査などで見えてくるその子どもの能力は高かったりもするのです。あなたはもしかすると、こう勘違いしているかもしれません。勉強ができないということは、その子どもの能力が低い。そう勘違いしているかもしれません。でも実際には、そうでもないことがあるのです。
子どもに学習する能力があったとしても、それをうまく引き出せていない場合もあるのです。だから面接を通して「この子は、いい能力があるなあ」と感じても、学校ではうまく生活できていなかったりするものです。どうして、うまく能力を発揮できていないんでしょうか?それは、自分の気持ちを少し表現しづらかったり、自分のペースを保ちたい気持ちが強いためだったりします。あるいは、周りの大人がその才能に気づけていない場合もあります。
そんな現実を知っていると、学校や社会で評価されていることが、その人のほんの一部分を評価できているに過ぎないことがわかってしまいます。だから僕は、「大器晩成」や「遅咲き」という表現は、人を評価するうえで社会には気づけないものがあるぞ、という警告と思っています。
「この子は勉強ができなくて・・」なんて言われてしまう子どもの中には、豊かな能力があって、関わり方や環境次第で勉強なんてスイスイできてしまう子がいるものです。「なんでこんなことができないんだ」と注意されてしまう子どもの中にも、それをできなくしているのは環境が悪いからという場合もあります。
つまり、その時点で関わってくれている大人には見えない才能も、生活環境が変わるだけで、その才能は開花するというケースもあるわけです。そんな風に思っている僕は、子どもや若者と接する時には、なるべく自分の評価を疑うようにしています。自分には気づけていない才能があるだろう。そう思っているからです。
大人に見えている子どもの姿は、ほんの一部です。子どもの能力を決めつけてはいけない。そのために、「大器晩成」という言葉は必要なのかもしれません。
今回はここまでです。