相手を認められる人間性を育てるには
こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医のしょーたです。
色々なリスナーさんがコメントをくださって、ありがたい限りです。Voicyのアプリでコメントをいただくこともあれば、Yukuri-teのLINEにコメントをいただく場合もあります。
時々「思い切ってコメントしてみました」なんて言ってくれるリスナーさんもいるのですが、どうぞ遠慮なくメッセージをいただければと思います。「思い切って」という感じではなくて、気軽に「コメントしてみようかなあ」みたいな感じで大丈夫です。そんなに壁を感じないでください(笑)
外来の受診が終わった後にメッセージをくれた方もいましたが、そんな風に気軽にコメントをしてみてください。その方はこれから他の県に転居するっておっしゃっていましたね。引越しの準備で忙しいとは思いますが、お子さんとの時間をマイペースに楽しんでください。
リスナーの方の中にはカウンセリングや発達相談のお仕事をされている方もいらっしゃいます。先日も「自分の対応が間違っていなかったと思えてよかったです」というメッセージをいただきました。このラジオを聴いてもらって、ご自身の子どもへの関わりに自信を持ってもらえたら、こんなに嬉しいことはないですね。
よく考えてみると、そもそも子どもを育てる親御さんは毎日子どもたちのカウンセリングを行なっているようなものですよね。親御さんは子どもにとってのカウンセラーとも言える存在だから、親御さん自身の心の状態が子どもたちにも影響します。でも、そのことを意識している親御さんはそんなに多くはないと思います。
カウンセリングで最も注意することは、自分の心が相手の心に影響を受けていないか、ということです。目の前の子どもの心が落ち着いていなかったら、その子に接している自分自身も心が落ち着かなくなるものです。逆も然りで、子どもに接している自分の心が乱れていれば、目の前にいる子どももまた心が乱れてしまいます。
だからこそ理解するのは、子どもたちの様子が、親御さんの色、家庭の色をよく反映している、ということです。子どもたちに接している親の心が子どもに影響するからです。さらに言うと、脈々と引き継がれたその一族の色が、今の子どもたちに反映されていくことがわかると思います。過去に毎日毎日繰り返されてきた親子の関わりが、時代を越えて、今の子どもたちの心を作っている、ということです。
ちょっと前置きが長くなりましたが、おかげさまで、誰か他人を傷つけるようなコメントをされるリスナーさんはいないので、引き続き、特定の人を中傷するようなコメントではなくて、建設的なコメントだったり、自分自身が困っている事など、遠慮なくメッセージを送っていただければと思います。
一つひとつのメッセージにお答えすることはできなくても、必ずそのメッセージに目を通すようにしています。どうぞご理解ください。
それでは、2023年3月12日の今日は、「相手を認められる人間性を育てるには」というテーマで短くお話ししたいと思います。
突然ですが、あなたは相手を認められますか。相手を認めるって、どうですか、たいへんですか。
ちょっと違う角度から質問してみましょう。あなたはどんな人と一緒にいると、心が安らぎますか。もしもあなたがどこかの職場で働いていたとして、その職場にはどんな人がいてくれたらいいなと思いますか。
僕だったら、「しっかり相手を認められる人」と一緒にいたいと思いますね。友人でも、職場の同僚でも、「あの人のこんなところはいいね」とか、「さすがだねえ」なんて、他人をしっかり認める心を備えている人といたいと思います。
きっとあなたもそうだと思います。今回のテーマにもあるように、「相手を認められる心」がある人がそばにいると、とても落ち着くはずです。
逆に、誰かのことを罵ったり、陰口ばかり口にしている人がそばにいると、あなたの心も病んで疲れてしまうでしょう。相手を認められない人と一緒にいると、その人の心が自分の心に影響して、自分までもが相手を認められなくなってしまう。そんな危険性もあるものです。
じゃあ、相手を認められる人間性を育てるには、いったいどうしたらいいんでしょう。今日はそんなことを考えてみたいと思います。
答えを最初に言ってしまうと、「幼い頃から、人と共に生きること、人とつながることを認められた経験を積ませてあげる」ということです。「相手を認めたこと」を誉めてもらえた経験、それが欠かせません。
その際に大切なことは、周囲の大人の価値観です。ある特定の偏った価値観のもとで育ってしまうと、その子の人間性を歪めてしまいます。例えば、「勉強でいい成績をとることが最高の価値」とか、「お金をたくさん持っていることが最高の価値」とか、そういった偏った価値観の中で培った経験は、あとあとその子どもの生きにくさを生み出すものです。それは、人の生きやすさを生みだす本質が、その価値観だけでは生み出せないからです。
人は社会で生きる生き物ですから、他人とつながることで、生きやすさが生まれます。いくら「僕は一人が好き」と言っても、完全に一人が好きな人はいません。多少なりとも誰かとつながりながら、その人らしい「人とのつながり」を保ちながら生きているものです。
例えば、「僕は一人が好き」と言いながら、自分の制作したプラモデルを誰かに見てもらって評価してもらうことが好きだったりします。つまり、やっぱりどこかで人とつながることを求めているわけですね。他人を感じて、自分を感じる。そういうものです。
それは別の言い方をすると、「他人と共存している」ということですね。他人と共存するからこそ、自分だけでは成し得なかった人生の発展を手に入れる。そういうものです。ということは、やっぱり他人と共にどうにかこうにか生きていける人間性が備わっていると、人生がハッピーになるわけですね。
その価値を子どもの頃に、子どもたちに感じさせてあげられるかどうか、それがとても大切なんです。
勉強ができれば、一人で生きていけるよ、なんて甘い社会ではありません。子どもの頃に勉強できても、大人になってお金があっても、人とつながれない人は生きる意味を見失って途方に暮れてしまいます。そういうものです。
「人と共に生きれる才能って、こんなに社会で評価されるんだ」なんて、子どもたちに感じてもらうこと。それは、自分を認めてもらえた経験にもなるし、他人とつながろうとする心も育つわけです。
どうでしょう、わかりますか。
子どもたちには、自分自身を認めてもらいたいという欲求があります。「承認欲求」とも言いますが、子どもたちのその欲求を満たしてあげることは非常に大切ですね。そのうえで、他人とつながれる心を育てようとする。
そう考えると、その子の「他人と共存できる能力」を誉めて認めてあげることは、その子を認めてあげることにもつながるし、他人とつながる力を育てることにもつながるわけです。一石二鳥なんですね。
どうでしょう。
例えば、兄弟姉妹という立場の子どもたちが外来に来てくれた時、その子たちに個別に僕がちょっと試してみることがあります。それは、「お兄ちゃんのいいところってどんなところ?」とか、「妹さんのいいところ教えて」みたいにわざと尋ねる、ということです。
そんな質問に「こんなところがすごいよ」なんて教えてくれた時には、「へえ、そうなの!それはすごいねえ」と前置きをした上で、「それに、もっとびっくりしたけど、他の人をそんなに誉められる〜くん/〜ちゃんもすごいねえ!!びっくりしちゃったよ」なんて誉めてあげることがあります。
あるいは、こんな方法もあります。子どもとの空気を和ませるために楽しみを入れることも考慮して、“連想ゲーム”を使うことがあります。例えば「“バナナ”といえば“黄色”」なんて風に楽しむゲームですね。
「“〜といえば〜”っていうゲームしようよ!」といって、何度かそのゲームで言葉をつなげて行きます。しばらくして、「“〜”と言えば“優しい人”」なんてわざと言うんですね。その次に子どもたちは「“優しい人”といえば〜」と言うことになりますが、そんな時に時々家族の名前やお友達の名前を言ってくれる子がいます。
そういう発言があれば、「へえ〜、〜くんって優しいんだ。そんな風に誰かをよく言える〜ちゃんも、すっごく優しいね」なんて、他人を評価できるその子を認めてあげます。
そうすると、子どもたちは、クシャッとした可愛らしい笑顔と共に、なんだか照れくさそうにしてくれるんですね。調子のいい子は「〜ちゃんも優しいよ、〜くんもすっごいよ」なんて、次から次へと他人を認める発言を楽しんでくれる子もいるものです。
他人を認めることは楽しいこと、気持ちがいいこと、そんな経験を子どもの時期に経験させてあげられるか。そのことを今の教育は意識しているんだろうか、そんな風に思います。
ちょっと話は脱線しますが、先日こんな話を聞きました。とある中学校の教頭先生が「中1の1学期のテストの結果は、その子の一生を決めます」とおっしゃったそうです。僕からすると、「なんてことを言っているの〜!」とビックリしてしまいますが、やっぱりそういう方がいるんですね。それこそ、偏った価値観と思いました。
僕が社会人として生きる中で、「この人は他人の評価をコロコロ変えてしまう人だなあ」なんていう人に出会うことがあります。そういった人を見る度に、今日お話ししてきた「他人を認められる経験」を子どもの頃に積ませてもらえなかったんだなあ、可哀想だなあ、なんて思うわけです。偏った価値観の中では、そういう人が育ってしまいます。
しかも、その人が悪いわけではないのに、大人になってしまうとその人のせいになってしまいますね。「子どもの頃の経験不足ゆえに今のその人がある」なんていう言い訳は通用しません。大人になったら、その人の責任になってしまう。でも、やっぱり子どもの頃の経験なんですよ。
色々な困難を抱える子どもたち、あるいは生きづらさを抱える大人たちに会うたびに、そう思います。子どたちに提供する教育の、何に価値を置くのか。それを今の社会にあらためて考えてもらいたいと思います。
「子どもの仕事は、勉強」なんて発言をする人がいますが、「子どもの仕事は、人とつながる経験を積むこと」と僕は思っています。人とつながるために、勉強によってあらゆる知識を手に入れることも必要かもしれません。色々な人たちと出会って、境遇の違いを理解することで、他人を受け入れる心も育つでしょう。
今日お話しした「相手を認められる人間性」は、大人になってからではなかなか獲得できるものではありません。やっぱり、子どもの頃が大切なんですね。
今日は、「相手を認められる人間性を育てるには」というテーマでお話ししました。
だいじょうぶ、
まあ、なんとかなりますよ。
湯浅正太(小児科医、Yukuri-te代表 https://yukurite.jp/)