それは声なのか音なのか
こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医のしょーたです。
今日は「それは声なのか音なのか」というテーマで短くお話ししたいと思います。
あなたは、「声」という言葉と、「音」という言葉を使い分けていますか?例えば、「声」は、泣き「声」とか、笑い「声」、虫の鳴く「声」、なんて使い方をしますね。生きているものが音を出す時、「声」という表現を使ったりするんですね。
一方で、「音」は、操作「音」とか、騒「音」などがあります。つまり、生きていないものが音を出す時、「音」といった表現を使ったりします。
こんな風に一般的には理解できますが、ある時外国の友人から「日本語では銃の音をなんで『銃声』って言うんだ?」って聞かれたことがありました。銃は生き物でもないのに、なぜその音を「声」と表現するのか。みなさん、わかりますか?結局のところ、この問題は誰にもわからないんですね。
でも、「声」と聞くと、そこには何か感情があったり、躍動感を感じます。一方で、「音」というと何だか無機質な印象を受けるのは、僕だけではないと思います。「銃声」というと、そこには何かしらの人の気配を感じますね。そんなことが関係しているのかもしれません。
では、子どもの口から発生られる音を、あなたなら「声」あるいは「音」のどちらで表現しますか?例えば、笑い「声」なんて表現しますよね。そんなこと、当たり前じゃないかと思うかもしれません。
でも、世の中には子どもの笑い声を「騒音」と表現する人たちがいます。公園で楽しそうに遊びながら発している子どもたちの声は、「笑い声」なのでしょうか?それとも、「騒音」なのでしょうか?
もしもそれが「騒音」と言うのであれば、生きることがどういうことなのかを改めて考えてもらいたいと思います。子どもたちが子どもの時期に笑えるということは、貴重な体験なんです。「子どもの声は騒音」と表現する人も、子どもの頃にはその騒音を出していたことでしょう。子どもの笑い声が、昔は許されて、今は許されない。そんな不条理を僕は理解できません。
今日は「それは声なのか音なのか」というテーマでお話ししました。
だいじょうぶ。
まあ、なんとかなりますよ。
湯浅正太
小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医。一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて:https://yukurite.jp/)代表理事。イーズファミリークリニック本八幡 院長。作家。著書に『みんなとおなじくできないよ』(日本図書センター)、『ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ』(メジカルビュー社)がある。