私についての観察:ディスカリキュラ(算数障害)、視覚映像優位型(同時処理型)
私は社会で実利的な事をし始めるまで、自分はアホだと思っていた。サボろうと思っている訳ではないのに、学校の勉強に全くついていけなかったからだ。そんな訳で、小学校から高校生までの公立学校生活を経た私の自己認識は非常に低く、自分を恥に思っていた。
息子を育てながら「発達障害」という、認知に特性を持つ人たちについて知識を得て、自分と自分の家族がそれに当てはまるのだろうという認識が生まれた。医療言語である診断名などは私にはどうでもいいが、私が抱えている困難の原因を探す「検索ワード」を一つ得たことは大きかった。
私の認知特性には、たぶん、日本の学校が採用している学習方法が全く合わなかったのだと思う。子ども時代に、適切な方法で基礎学力を得ることができなかった損失は大きく、それを憂う気持ちはあるが、過ぎさった時間を悔やんでも仕方がないので、改めて私の認知特性に合った学習方法というものがどういうものであるのか知り、自分の可能性を広げたいという願いを持っている。
足のない人は「歩く」事はできない。しかし、車椅子などの補助器具を駆使して「移動する」事は出来る。「移動する」ことが目的である場合、手段は問わなくていい。
私が指を使わねば数の認識ができない事や、暗算ができないこと、その他、スペルを覚えられなかったり、固有名詞を記憶から取り出すのにものすごく時間がかかることなどは、学校のテストでは致命的であろうが、計算機、電子辞書、インターネット検索などといった道具を使えば、とりあえず生活には支障はない。そして、もし、目的に応じた「道具」を提示してもらい、その「道具の使い方」を教えてもらえれば、私のできる事は増えていくと思う。
学習困難を抱えている子が、のんびりした学校で、要領だけで平均点付近の点数を取る従順な子どもである場合、その子に支援が必要であるという認識はされがたいだろう。しかし、本人は多分に困っており、無駄に自信を失ったままでいる事を知ってもらいたい。
きっと学習困難を抱えたまま、自分を無能だと信じて大人になっている人は多いと思う。そのような人の隠れた才能と、その教育法に私は興味がある。
(2019.5.31)
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