49日
こんばんは。そして、メリークリスマス!
今日はケンタッキーのチキンを買って、クリスマスっぽくしようと思ったのですが、ついスーパーに行って、ついラム肉を手にしていました。なんか今日はラムの気分でした。
キャベツをちょこっと蒸して、ラム肉と一緒に炒めて、隣のコンロでは大根とニンジンを煮ました(ちょっと味を付けたくて、お茶漬けの素で煮る)。で、柔らかくなった大根とニンジンを、ラム肉の炒め物の残り汁に絡めて食べたら、なかなかおいしかったです…!
多分もう一度作ることはなさそうですが笑、クリスマスの奇跡的なお料理でした。
わたしは料理が得意ではないのですが、こういう「名前のない料理」を作ることが好きなんです。
作ることが好きなのは、食堂を営んでいた祖母の影響なのかもしれません。
実は、昨日から祖母のことを書かせていただいています。
祖母が11/5に亡くなって、今日で49日が経ちました。
祖母が亡くなって数日、わたしたち家族、や、少なくともわたしにとっては嬉しくって温かくて、ずっと覚えていたいことがありました。
なんですが、すぐ忘れちゃう癖があるので、こちらに書いていこうと思います。
今日は祖母の人生の話。
祖母は、昭和8年、7人兄弟の5番目として生まれました。小さい頃、学校で習った軍歌をすぐに覚えて、家で弟に教えていたそうです。物覚えがよかった、特に歌は、と祖母の弟が教えてくれました。
小さい頃学校から帰ると、内職で縄を編んでいたそうで、その時も弟と歌いながら、仕事に励んだそうです。
そういえば、祖母は、泊まりに行った時によくお風呂やお布団の中で歌ってくれました。童謡とか、美空ひばりさんとか。わたしの歌好きも祖母の影響ですね。
祖母の話に戻りますね。
18歳で結婚して、2人の娘を生みますが、子どもを授かる前、戦争で親を失った子どもたちを引き取って、夫と子どもたちと一緒に暮らしていたそうです。
そして、30歳で離婚し、昭和30年代後半でシングルマザーに。
なんていうか、たくしましいなと思います。
離婚後、祖母は地元で食堂をオープンさせます。
母と叔母は小さい頃から食堂を手伝ったり、配達をしたりしたそうで、幼い頃は、紅白歌合戦を見る余裕もないくらい、忙しく働いていたそうです。
食堂はいつしか地元の方が集まる場になっていました。
わたしも小さい頃、ほぼ毎日行っていましたが、いつもにぎにぎしていましたね。
トラックの運転手さん、建設会社の社長さん、郵便局の方、地元の工場で働く方、消防団の方、派手な服を着たパンチパーマの方。
みんな、食堂でご飯を食べたり、飲んだりするだけでなく、休みの日はたまに遊びに出かけたり、BBQをしたりしていました。
それから、祖母のことを「ばあば」と呼び、祖母もみんなのことを名前で呼んでいました。
もう、みんながみんな知り合いみたいな感じです。食堂のおばさんとお客さんという関係を超えて、食堂でよくあう人達という関係を超えた濃い関係。
食堂で一緒にご飯を食べながら、いろんな話をする大っきなファミリーのような感じでした。
祖母が倒れて、食堂をクローズして、しばらくみんなと会っていなかったのですが、祖母が亡くなって、そのお客さんたちがお通夜に来てくれて、懐かしい話に花が咲きました。
昔を思い出して優しい気持ちになったり、何にも変わってないねーと笑ったりして、寂しいんだけど楽しい時間でした。
祖母がまたみんなを集めてくれたんだと感じてます。
49日経った今、祖母はどの辺りを歩いているのでしょうか。
そんなことを思いながら、今日は祖母の人生についてのお話でした。