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特別じゃなくていい!幸せに気づけるサイン(過食、嘔吐だったからこそ)

私は思春期の頃から痩せたい願望が強かった。
年子の姉がスタイルもよくて優秀だったのでよく比べられていた。

姉のようにスタイルよく、頭もよくクラスの人気者、頼りにされる存在、そんな姉が羨ましかった。時代の流れが偏差値教育そのものでそんな風潮がはびこっていた時代。私はご多分に漏れずスタイルはぽっちゃり、勉強はほんと出来ない(小3頃、確か小数点が出てきた時期)から勉強についていけなくなり、かといって、スポーツ万能というわけでもなく、小さい頃は元気な子供だったけれども、勉強するの苦しいな...と感じるころから友達とも比べられて自分の元気なもともと持っている個性を自分で閉じ込めていってしまった。

学校へ行っても楽しくない。楽しく遊べるのは勉強できて、スポーツ万能、かわいい、きれい、な友人しか楽しめない世界を感じていた。

どんどん自分の性格が暗くなっていった。そうしたら、満たされない思いを食べ物で満たそうとしてどんどん太っていき、65キロもあった高校1年生

好きな人も出来たりする年頃で、でも、自信が持てず、父親の死をきっかけに不登校を始め自身を閉じ込める癖がついた。

そして、とにかく痩せていることを目標に生きるようになった。バランスなんて考えない見た目だけ、せめて見た目だけでも姉と一緒の存在になりたくて、そうすれば褒めて認めてもらえる、頑張った私を.見てほしい。そんな満たされない思いでいっぱいだった。でもいくらがんばって真似をしても上手くいかない。

結婚後もその思い癖は抜けなくて産後太りが気になっていつの間にか食べたものを吐き出す癖がついた。指には吐きだこだらけで...

その当時母の再婚先の娘さんが「優子ちゃんは優子ちゃんでいいんだよ」といつも言ってくれていたけれども、ほんとにそうは思えず。人と比べてばっかりの私だった。
なぜか、姉は姉で苦しんでいた。あの優秀な姉がなぜか...姉から私は嫌われ絶縁状態になっていった。

いつも話を聞いてくれるのは母親が再婚した先の娘さんだった。義妹にいつも話を聞いてもらっていた。「優子ちゃんは優子ちゃんでいいんだよ。」
優しさから言ってくれていたのだけれど、私がそう思えていないのだから、なぜか嫌味を言われていると感じてしまい、また勝手に怒るという、ほんと、面倒くさい人でした。

なぜかわからないのだけど、10年位前からご縁が変わってきた。
(神様のご守護を受けられる私になってきたのかも知れない。)

とにかく過食して吐くを治したかった。宗教でも病院でも治らないこの衝動を、人前に出ると自分の人格を偽り嫌われないように、子育てのしんどさとダブルで私にストレスがかかる...

当時生きていた親も私の気持ちをわかってくれる人ではなかった。

治したいその気持ちから糖質制限の食事法と鍼療法、心のブロックを外すことに行きついた私。

元々足りないところを見るくせ、比較くせがついてるわたし...
でも、姉のように優秀でないところを自分が認めて自分の役割を知り生きることができたらどんなに体や心、周りの大事な人も苦しめず楽しく生きられていたのではないかとちょっと後悔。

でも、今この幸せを噛みしめることができるように神様が私に下さった試練なのだと受け取るようにした(^^)今は楽しいこと楽しめることたくさんあるから、きっとなくてもあるを見つけられる人に少しは成長してきているのだと自分を感じる(^^)

私が楽読、リターンスクールで学んだことは自分が自分らしく生きること、人と比べなくてよいこと、自分の感覚を大事にすること。

教科書通りに生きなくていいこと、教科書通りに生きて誰かの責任にして生きるということでなく、自分の感覚を信じて自己責任でいきていくこと、10人中9人に誹謗中傷浴びせられても私が私を認め許可し生きていくこと。

変人である私を私が嫌わないこと、、、その結果家族と心が通じ合えるようになった。旦那さんに本気で嫌が癒えて、本気で感謝が言えて、こんな世界あるとは思っていなかった。

昔はできないのにできる人のようにごまかして、さらに追い打ちをかけていたから、目が怖い、死んでた(笑)

今は眠たくて死んだ目をしてるときあるけど、ほぼほぼ、昔と同じ状況なら平気というか気にならなくなってしまった。変人と認めてしまったので。

私は楽読とリターンスクールでこんなに変わりました。
【楽読東岡崎駅前スクール オーナー 戸北優子 (ときたゆうこ ゆこっち)】


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