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本当にある怖い話 麻薬取締部の「おとり捜査」

🌷これはおススメしない記事です🌷

 せっかく開いていただきましたが、読むことをおススメしません。もしどうしても読みたい人は、下記をご理解いただいた上でお読みいただければ幸いです。
 本稿は、マトリのおとり捜査の人権侵害をつまびらかにすることを意図しています。対人援助職として、依存症臨床の専門職として、心理技術の施行者として、責任を果たすことが本稿執筆と公開の目的です。また、個人的には、こころを持っている人間として生きるための行為でもあります。沈黙は、私からこころを奪っていくものなのです。
 筆者が見聞きしたことに忠実に表現していますが、読み手にはあまり優しくないでしょう。気分を害する人もいるかもしれませんし、調子を崩す人がいても不思議ではない構成となっています。心理職とはいえ、読者のメンタルには責任を負いきれません。筆者が公表することを心待ちにしている人々が少なからずいるので、その人たちを意識して書いています。それを踏まえて読み進めていただければありがたいです。

はじめに

 筆者は、現在は、依存症専門の精神科クリニックで依存症の患者さんのトラウマ臨床に携わっている公認心理師である。その他、3つの大学において、非常勤講師として心理学系の授業を担当し、臨床心理学を専攻する大学院生のカウンセラーをしている。
 2019年度~2022年度の3年間、近畿厚生局麻薬取締部内に新たに設置された「再乱用防止対策室」の心理職として勤務していた。本稿は、その当時の体験と心理職としての筆者の個人的見解を示すものである。

筆者が勤務していた大阪合同庁舎第4号館

 現職当時、そこでは信じがたいことが頻発し、毎日が驚きの連続であった。とりわけ、「おとり捜査」の実態に触れた時には、これは現代のことなのかと我が耳と目を疑った。驚愕し恐怖を感じた。恐怖というのは「この人たち(麻薬取締部の職員)には人間の心がない」ことの恐怖だ。月日が経つにつれ、取締機関にもかかわらず、真逆であるはずの「再乱用防止対策事業」に着手した麻薬取締部の思惑、真の狙いが徐々に見えてきた。
 公認心理師としての倫理に反するような業務や行為を強要されることもしばしばあり、それ自体大いに問題ではあるが、筆者にとっては枝葉の問題に過ぎないと思ってしまうほどの大きな問題が次々と目の前に立ち現れた。地域の関係機関を平気で欺いていることもそのひとつだ。しかしそれ以上に、人権侵害にとどまらず人命そのものを奪いかねない捜査を堂々としているという信じられないような現実を、どうすることもできない無力感が大きかった。筆者にとっては信じられないようなことに対して、なんら問題意識を持っていない人たちが集まっている組織であること、その組織の一員として働き続けることに身が引き裂かれそうになりながら、専門職の責務としてこれらの事実を世間に公表する機会をうかがっていた。
 ところが、国家公務員は退職後も守秘義務を負っているので、全てをありのまま明らかにすることはかなわない。その上、“谷家の伝聞語り”では、「どこにエビデンスがあるのか」となり、公で語り書くことに限界もあった。
 歯がゆい思いが募っていたが、突破口が開いた。2024年7月5日に共同通信社から「マトリのS(スパイ)となった大物密売人の末路とは 実名インタビュー『命がけで協力したのに裏切られた』」、同年8月3日には文春オンラインから「麻薬取締官のエス(スパイ)になった男」という武田惇志記者の渾身の記事が配信されたのだ。近畿の麻薬取締部の「おとり捜査」の「おとり」を担っていた男性が、実名でインタビューに応じ、その体験を生々しく赤裸々に語り、勇気を持って「おとり捜査」の実態の一端をつまびらかにした記事である。


 この記事で、現代の話か?と疑いたくなるような、一般人の人命を犠牲にすることも厭わない「おとり捜査」は、実際にあることが証明された。その記事を参照しつつ、筆者が体験したことに分析を加えながらその問題性について深く切り込んでみたい。とはいえ、「元国家公務員」の壁が立ちはだかっていることは変わりないので、中途半端で奥歯に物がはさまっているような表現にとどまる点はご容赦いただきたい。



心理学を専門とする立場から見た「おとり捜査」のおぞましさ

1.おとり捜査の定義と根拠

 麻薬取締部(以下、マトリ)に所属する麻薬取締官(以下、取締官)は、麻薬及び向精神薬取締法(以下、麻向法)により、特別警察司法職員として権限が与えられている。また、警察には認められていない「おとり捜査」が捜査手法として認められていて、捜査の要にしている。
 法的根拠としては次に示す通りである。「麻向法第58条:麻薬取締官及び麻薬取締員は、麻薬に関する犯罪の捜査にあたり、厚生労働大臣の許可を受けて、この法律の規定にかかわらず、何人からも麻薬を譲り受けることができる」とあへん法第45条:麻薬取締官及び麻薬取締員は、あへん又はけしがらに関する犯罪の捜査にあたり、厚生労働大臣の許可を受けて、この法律の規定にかかわらず、何人からもあへん又はけしがらを譲り受けることができる」。これらの法律は、取締官の権限として、麻薬及びあへんを譲り受け及び所持できることができると定めるものである。
 ところが、詳細は後述するが、実際のおとり捜査の「おとり」は、取締官ではなく一般人がその任務をさせられている。麻向法第58条とあへん法第45条には、そのことについての言及はないことをここで確認しておきたい。
おとり捜査についてのいくつかの判例があるようだが、筆者は法学は門外漢なので法律や判例についてはその専門家に譲るとして、どうやら過去の判例をもとに「おとり捜査」は適正とされ、堂々と行われているようである。

2.一般人に捜査の一端を担わせることについての数々の疑問

 仮に、一般人が密売人に扮して密売組織に潜入捜査をすることが適法とされるならば、不可解な点が多々あり、いくつもの疑問が浮かび上がってくる。国家公務員の経験がある人ならば、誰しも不可解で理解に苦しむことであろう。
 その一般人の立場は どのような扱いになるのだろうか。常勤・非常勤職員またはみなし公務員、もしくは業務委託なのだろうか。筆者は目にしたことがないが、内部規定はどうなっているのだろう。報酬、補償、捜査にかかる必要経費は通常の予算に組み込まれているのだろうか。規定もなく通常の予算にも組み込まれていなければ、一体どこからその費用は捻出されているのだろうか。危険な任務に就かせておいて、まさか無報酬で補償もないのだろうか。万一任務中にケガや事故があった場合の治療費や生活の保障は誰がするのだろう。必要経費には、薬物入手費用も含まれると思うが、密売組織に領収書を書いてもらっているのだろうか。厚生労働省は領収書なしでは1円も支出できないはずである。領収書がある場合、宛名はどうなっているのだろう。宛名に「厚生労働省麻薬取締部」と書いてもらうとしたら、密売組織に潜入捜査がばれてしまうじゃないか。そもそも領収書を発行する密売組織があるのだろうか。そんな領収書があるわけないとは思うが、もしあったとしたら、どういう名目で処理されているのだろうか。ひょっとして、まさかの無報酬で必要経費も自己負担だとしたら、任務をさせられている人は生活費をどうしているのだろう。金銭も補償も与えず重要かつ危険な捜査の一端を一般人に担わせて成立する捜査手法のどこに正当性があるのだろうか。
 常勤・非常勤職員またはみなし公務員ではなく、業務委託も交わしていないのに捜査情報という高密度の機密情報を一般人に伝達するのは情報漏洩になるのではないか。筆者が自分自身に置き換えて考えてみると、現職の頃に職場で知り得た情報を使って「○○という人物が覚醒剤を使っている疑いがあって、捜査の対象になってるんだって」と知人友人に漏らしたとしたら、懲戒処分は免れない。国家公務員の倫理にも反することになる。捜査課の取締官も例外ではないはずだ。これらの筆者の疑問に根拠を持って示す文書が存在するのだろうか。
 もしも、上述の数々の疑問全てが「問題なし」と示されたとしても、密売組織への潜入捜査に加担するということは人命にかかわることであるという問題が残る。ましてや、取締官は安全なところにいて鵜飼いのように一般人を操って行う捜査手法には、倫理上の問題は明白である。一部でも「問題あり」ということになるなら、現行のおとり捜査を存続させることは、もはやできないはずである。
 実は、「おとり捜査」についての論文が存在する。刑事裁判の弁護人の報告「麻薬取締官が覚せい剤の取引を促進、助長したとして量刑上、非難を減じた事例」(市川耕士,2019)だ。実際の法廷において、マトリの取締官の偽証を崩していくという闘いがリアルに描かれていて、フィクション小説よりよほど読み応えがある。しかし、これはフィクションではなく、小説でも映画でもなく、現実の法廷で実際に繰り広げられたものだ。にもかかわらず、 「おとり捜査」について、議論や話題が法律関係者の中でも展開していかないのはなぜなのだろうか。

【文献】
市川耕士(2019).麻薬取締官が覚せい剤の取引を促進、助長したとして量刑上、非難を減じた事例.季刊刑事弁護97,東京都:現代人文社(pp.74-79)

3.「おとり捜査」の分類

 「麻薬取締官が覚せい剤の取引を促進、助長したとして量刑上、非難を減じた事例」(市川耕士,2019)によれば、おとり捜査には「機会提供型おとり捜査」と「犯意誘発型おとり捜査」があり、「典型的なおとり捜査は、捜査機関が身分を秘し、犯罪を誘引あるいは機会提供するものであり、おとり捜査対象者は同一である」とあり、これを機会提供型おとり捜査と分類している。他方、犯意誘発型おとり捜査は、取締機関が捜査協力者に対して犯罪を実行するよう働き掛け、それに応じた捜査協力者が捜査機関の手足となるものと説明している。実際には、「機会提供型・犯意誘発型のおとり捜査両方の性質を兼ね備えている」というような複雑な形態をとることもあり、典型的なおとり捜査である「機会提供型おとり捜査」に比べ、違法性の程度が高いということである。
 
【文献】
市川耕士(2019).麻薬取締官が覚せい剤の取引を促進、助長したとして量刑上、非難を減じた事例.季刊刑事弁護97,東京都:現代人文社(pp.74-79)

4.おとり捜査が「捜査協力者」に与える影響

 筆者は、マトリに勤務する前には刑事施設で矯正専門職(心理)として勤務していた。在職中、受刑している人たちからおとり捜査の話題を耳にすることが少なからずあった。しかし筆者は、おとり捜査というものは、取締官が薬物の密売人に扮して密売グループに潜り込み、潜入捜査で得た情報や証拠を端緒に捜査・検挙するものだと思い込んで彼らの話を聞いていた。ところが、実際は違った。マトリに入職して1週間も経っていない時期だったと記憶するが、取締官からおとり捜査の詳しい説明を聞き、刑務所で耳にした彼らの言葉が蘇り、「こういうことだったのか。どおりで話がよくのみ込めなかったはずだ」と合点がいったのだった。

 マトリで行われているおとり捜査の「捜査協力者」を担っているのは、規制薬物の使用経験がある一般人である。「捜査協力者」は、通称エス(以下、エス)と言い、薬物を使用する人たちの間では「犬」という隠語で呼ばれている。

◎「機会提供型おとり捜査」の場合
 現法では適法とされている取締官が密売人に扮する「機会提供型おとり捜査」であったとしても、薬物を使用する人々に与える影響は小さくない。仲間内に「裏切り者」がいるかもしれないという状況は、一般的にも人々を精神的に追い込み対人不信感を強めさせることは想像に難くない。薬物を使用している人にとってはなおさらである。
 何らかの薬物を使い続けている人々は、以前から、人によっては幼少の頃から、他者や社会、時には家族から理不尽な扱いを受け、逃れることができない暴力的な環境を薬物を使用することによって生き延びている場合が非常に多い。言い換えれば、トラウマ症状を薬物で緩和させているのである。同じように生き延びている仲間同士が、薬物を介して関係を形成させているのである。他者への信頼感を持ちにくい人が、ようやく拠り所にした場と仲間の中で、さらに裏切られ傷つけられるとどうなるだろう。

◎「犯意誘発型おとり捜査」の場合
 マトリが一般人をエスとして密売組織に送り込む「犯意誘発型おとり捜査」については、そのような捜査が行われていること自体が信じがたい。実は、このような捜査が現実にあるということを、規制薬物を長年継続使用している人たちには広く共有されているという。そのことが一体どのような問題を引き起こしているかを考えてみたい。
 規制薬物を使用していた経歴があるという理由で、マトリから「エス」を持ち掛けられたとして、「協力したくない」ときっぱり断ったとしても、情報を握られているマトリから「堕とされる」という情報が、薬物を使用する人々の間で実しやかにささやかれているという。そういうことなら、マトリからターゲットにされて声をかけられた時には、「yes」の選択肢しかないということになる。仮に断ったとしたら、「何をされるか分からない」という恐れと不安が強くなり、精神状態を悪化させてしまいやすいと言われている。後述するが、実際にマトリからターゲットにされて追い込まれて自死してしまった人もいるのだ。

 たとえ本人がエスを承諾し、一見積極的に協力したかのように見えても、本人には計り知れない悪影響がある。薬物から離れようと考えていたり、すでに離れていた人をその環境に押しとどめることになり、再使用の可能性を高めるのは深く考えなくても容易に想像できる。実際に、捜査に有益な情報を得るためには、密売組織の中にしっかり入り込み、そのメンバーから「エスじゃないか」と疑われないためには、やめていた薬物を再び使用することは必須となる。密売組織が規制薬物を売買している証拠を得るためには、エスが実際に薬物の売買も行う必要が生じるだろう。筆者のリサーチでは、マトリから家賃や生活費の補助を受けていたというエスは多いそうだが、無報酬の場合は薬物の売買による収益を生活費に充当しなければ生活が成り立たないという現実問題もあるようだ。
 武田の記事を読む限り、そこに登場する男性の場合は、マトリから資金提供がなかったようで、取締官公認で薬物の売買を行っていたようである。それどころか、取締官に電話をつないで、取引の状況をライブで聞かせていたというのだから驚きである。ここまでのことをしているのだから、密売組織にエスと悟られてしまうと命を奪われかねない。つまり、マトリは、薬物をやめようとしている人の気持ちを萎えさせるどころか、強制的に薬物を使用させ、時には薬物の売買をも行わせ、そして命を危険にさらしていることになる。
 エスとなってその役目を果たすことにより、仲間を裏切っている後ろめたさや罪悪感や苦痛が生じるし、仲間にバレることの恐れによって必要以上に警戒心と緊張感、疑り深さが強まり精神状態が悪化するのではないだろうか。筆者がある薬物の密売経験がある人物に聞いた話では、全員ではないにせよ場合によっては交際相手を裏切ることもあるそうで、その精神的負担感は尋常でないのは容易に想像がつく。それによって、薬物の使用頻度と量が増えるのは当然の成り行きと言えよう。

 エスをするというのはそういうことで、さっさとやめれば良かったのではないかという意見もあるかもしれない。しかし、取締官に自身の薬物使用を黙認してもらっているという弱みと負い目があるため、「協力をやめたい」とは言い出しにくいし、実際に言ったところで聞き入れてもらえないこともあるようだ。後ろめたさや罪悪感や苦痛を振り払うために薬物を使用せずにはおれなくなり、一層薬物をやめることが難しくなってしまうのではないだろうか。そして、仮にエスを無事やめられたにしても、エスをしていたという事実は消えず、武田の記事にあるように後悔や後ろ暗さがついて回ることを覚悟せねばならないし、その後の社会生活も危険と背中合わせで、不自由さを引き受けなければならないようである。それらを抱えて生きることの困難さは、想像を絶するものがある。

【文献】
武田惇志(2024).「マトリのS(スパイ)となった大物密売人の末路とは 実名インタビュー『命がけで協力したのに裏切られた』」共同通信社(2024.7.5)
武田惇志(2024).「麻薬取締官のエス(スパイ)になった男」文春オンライン(2024.8.3)

5.エスのほとんどが女性

 武田の記事に登場する元エスは男性だが、実はエスのほとんどが女性と言われている。取締官には男性が圧倒的に多いからのようだ。それがいったいどういうことを表しているかは、おそらく多くの人の想像域内であろう。マトリ職員が持つ性別のストレオタイプな見方は、筆者自身も日常的に感じていたことである。
 先述したが、マトリの取締官から「エスにならないか」と執拗にスカウトされて、きっぱり断ったのだが、「見張られている」「つけ狙われている」と不安と緊張が高まって外出もできなくなり、自宅に居ても落ち着かなくなって一気に精神症状が悪化してしまい、自死してしまった女性もいる。
 実際にエスにならなくても、「エスのほとんどは女性」という現状が、薬物を使用する人の間で「薬物を使用する女性はエスだ」という極論に陥ってしまい、薬物を使用する女性を危険にさらすこともある。別の女性は、エスではないにもかかわらず、「電話に出ない」「誰かとこそこそ電話している」というような些細なことがきっかけになって「あいつは犬(エス)じゃないか」と疑いをかけられて、薬物を使用する男性から拷問と言えるほどの酷い暴行を受けることが度重なり、心身に深い痛手を負わされてしまった。このように、人知れず女性がひどい目に遇い、生命にかかわる状態に追い込まれてしまっているケースは、他にもたくさんあるものと推察するが、それが表面化することはほぼないだろう。筆者にとっても、自死してしまった女性、心身に深い痛手を被った女性からのヘルプに適切にかかわることができなかった痛恨の思いは、生涯消えることはない。

 これらの凄惨なエピソードに「規制薬物を使うからそうなる。自業自得ではないか」という意見もたびたび耳にする。しかし、法律で禁じられているとは言え、何らかの薬物を使い続けてやめられない状態は、精神疾患なのである。依存症臨床に携わっている筆者から見ると、リスクがあると分かったからと言ってすぐさま環境を変えたり薬物使用を中止したりすることは、そうたやすいことではないし、恐怖や不安が生じると、むしろその感情を鎮めようとして薬物使用に駆り立てられてしまうことの方が多いのである。何より、絶大な公権力を持っているマトリに狙われ追い込まれる恐怖は、想像を絶するものがある。正論を持ち出して批判し、個人の問題にすり替えることは、捜査手法の問題を現存させ正当化を許してしまうばかりか、ますますマトリを横暴へと後押ししかねないのではないだろうか。

6.家族の切なる思いを巧みに利用されるおそれも

 マトリには「相談電話」というものが設けられており、各事業所ごとに設置されている。公的機関や民間の相談機関とはかなり異質であることを強調したい。対応している職員は、現役の取締官もしくは現役を退いた元取締官であり、いずれにしても相談を受けるトレーニングは受けていないし、薬物依存についての知識も極めて不十分で、地域のネットワークの情報も希薄である。従って、他の公的機関や民間の相談機関と同類であると勘違いして気軽に相談をすると、予想に反する展開になっていく。
 薬物使用を食い止めたいという家族の切なる思いに巧みに付け込まれ、知らず知らずのうちに、かけがえのない家族をマトリにエス候補者として提供させられることにもつながりかねない。

再乱用防止対策室の表と裏

1.再乱用防止対策室とは

 マトリは、薬物に関する「総合商社」を目指すべく、薬物を使用した経験がある人でやめ続けたいと考えている人とその家族を対象に支援を行うための「再乱用防止対策事業」を実施することになり、2019年度に近畿マトリ内に、全国に先駆けて「再乱用防止対策室」を設置した。新たな官職として「再乱用防止対策室長」と「再乱用防止対策官」を任命し、定年退職で捜査の一線を退いた支援員(以下、OB支援員)を複数再任用登用し、さらに新たに心理もしくは福祉の有資格者を置くことになったということで、2019年度はじめに筆者がマトリ初の心理職として採用された。筆者が着任した時には、すでに捜査権・逮捕権を有する「再乱用防止対策室長」と「再乱用防止対策官」、それからOB支援員が着任していた。
 そして、2019年秋には、全国のマトリに心理もしくは福祉の有資格者をそれぞれの地区で採用し、同様の事業を開始した。地域によって特色があるが、主軸になるのは、その名の通り「薬物の再乱用防止」を目的とするものであった。
 しかし、その再乱用防止対策事業には、実は様々な目論見があるということを、筆者は着任後に徐々に知ることになった。

2.再乱用防止対策室の設置目的の表と裏

 再乱用防止対策事業について、ある薬物依存の民間回復施設から依頼を受けて、同施設の機関紙に筆者が寄稿した文書を以下に抜粋する。当然のことながら、マトリの上層部門である厚生労働省医療・生活衛生局監視指導・麻薬対策課の決裁を経て寄稿した。冒頭の部分を抜粋する。「2019年4月、近畿厚生局の麻薬取締部(通称、「キンマ」)内に『再乱用防止対策室』が設立され、支援事業が開始されました。キンマに設立されたとは言え、建物の階も分け、捜査部門とは切り離されています。また、支援は捜査員ではなく支援員が行います」。捜査権・逮捕権を有する「再乱用防止対策室長」と「再乱用防止対策官」の下で大きな矛盾を抱えながらの寄稿であった。
 さらに、各関係機関に直接出向いては、「再乱用防止対策室は捜査部門と切り分けて支援をしている」「相談内容は守秘する」「支援は心理や福祉の専門家が中心で行う」「地域のネットワークと連携する」「医療機関やダルク、自助グループにつなぐ」などと説明して回った。各機関から、上述の矛盾を指摘されては苦し紛れの言い訳をし続けた。
 捜査権・逮捕権を有する取締官が在籍していることの矛盾を抱えつつも、多くの関係機関や専門家の力をお借りすることができ、当時は感謝の気持ちを持ちながら、筆者としては自身の臨床スタンスに忠実に依存症臨床と業務をこなすことに全力を注いでいた。その一方で、ある疑いが拭えないでいた。そしてその疑いは、月日を重ねるごとに疑いではなくなっていった。

 疑いというのは、当室は「薬物をやめたい人とその家族を対象にし、捜査部門とは切り離された支援機関」という看板を掲げながら、その実は、捜査部門の一部として間口を広げ、心理や福祉の有資格者を利用して支援対象者から捜査に有益な情報を入手し、捜査部門と共有し、さらには新規エスのスカウト及び養成を目的として設置されたのではないか、というものである。そして、その疑いが確信に変わった時、怒りと絶望、関係機関への申し訳なさに打ちひしがれた。せめてものアクションとして、薬物の民間回復施設の寄稿文及び各地域の行政・関係機関への説明内容が虚偽であるとして撤回し、「マトリは捜査機関であり再乱用防止対策室も例外ではない」という事実と、再乱用防止支援員は知らないうちに捜査の片棒を担がされていることについて、各地域の行政・関係機関に流布することを、当時の最高責任者に「谷家の責任で行う」ことを条件に認めさせたのだった。2022年3月の退職間際には、「おとり捜査」と「再乱用防止対策事業」の問題を厚生労働省大臣官房室に内部告発も行ったが、“大河の一滴”にもならなかった。

 筆者がマトリを退職して2年が経った2024年5月10日、「第1回近畿厚生局麻薬取締部意見交換会」なる会議が開催された。筆者が非常勤で勤務している依存症専門クリニックに、会議の案内を手に乗り込んできたマトリ職員から出席を強く要請されたため、職員3名で参加した。会議の趣旨は、再乱用防止対策事業についての説明及び地域のネットワークの構築ということであった。当日の会場で配布された資料の中に、近畿厚生局麻薬取締部長某氏作成の文書があった。当日は、部長である某氏がその資料を補完して再乱用防止対策事業について説明していた。それらによると、上述の筆者の寄稿及び説明内容とは明らかに食い違う説明がなされていて、当初の方針を大幅に変更したようであった。以下に配布文書の一部を抜粋する。
 「残念ながら中にはスリップつまり再使用する者がいる。そんな時は再度のやり直しのため自首を勧める。自首しない場合、彼らには他の社会資源とのつながりの重要性などを伝え、当部の支援は一旦終了する」「今後、麻薬取締部においては、心理師の心理的支援、ソーシャルワーカーによる福祉課題解決など複合的な相談援助、彼らの生活や気持ちをよく知る麻薬取締官の相談支援を効果的に協働する」。
 この文書を額面通りに読めば、捜査機関であることを前面に押し出してきている印象を受ける。そうであるならば、地域の医療・福祉のネットワークからは完全に浮いた存在で協力関係が成立するはずもないし、治療や支援の妨げになる。あるいは、マトリが得意とする「表向きの文書」として読むと、筆者にはその裏や行間が透けて見えてくる。
 
 いずれにしても、医療・福祉の関係機関や依存症臨床の専門家が「抑止力」を期待してマトリの関与を歓迎し期待するならば、患者や支援対象者をエス候補としてマトリに送り込む手先を担ってしまうことになる。それだけではない。自戒を込めて言うならば、専門家がマトリと手を結ぶことによって、マトリの思惑を正当化させ、おとり捜査という暴挙にお墨付きを与え加速させることになることを自覚しなければならない。

【参考】
厚生労働省地方厚生局麻薬取締部ウェブサイト.再乱用防止支援 厚生労働省
谷家優子(2019).再乱用防止対策室について.フリーダムニュース 薬物依存からの回復支援 FREEDOM NO.132

スティグマを生み増産し続ける『ダメ。ゼッタイ。』

1.公益財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センター

 民放連が制作した広告として「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」が頻繁にテレビに流れていたのは1983年。1987年に設立された公益財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センターによって「ダメ。ゼッタイ。」という標語が作られ、それを用いて啓発運動を開始するようになった。
 これらのキャッチコピーや啓発資材は、人々、特に若者の覚醒剤をはじめとする規制薬物に対する好奇心や関心を低減させると同時に、仮に薬物を使用している人から使用を誘われる場面に遭遇しても断る勇気を持ちましょうという趣旨で展開しているということのようだ。
 「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」「ダメ。ゼッタイ。」は、その言葉が表す意味だけをとらえても、薬物を使用する人々に対するネガティブなイメージを十分に印象付けしている。加えて、啓発資材として制作されているポスターや冊子などのデザインは、これまで「これでもか」というほどに薬物を使用する人々に対する恐怖や暴力的イメージを植え付けてきた。その結果、多くの国民は薬物を使用する人々に対して恐ろしいイメージを持ってしまい、それに疑いさえ持つことがないよう洗脳されてしまっている。

2.大学生を対象にした薬物を使用する人々へのスティグマの調査

 ここで、大学生を対象にした「薬物依存の当事者に対するイメージとその変化についての研究」(谷家ら,2022)から、薬物を使用する人々に対するイメージと薬物依存からの回復のイメージについて紹介したい。「薬物依存の当事者に対する偏見」である「怖い」「乱暴」「凶暴」「挙動不審者」の項目を取り出して詳しく見てみる。「そう思う」「少しそう思う」にチェックを入れた人が「怖い」73%、「乱暴」53%、「凶暴」47%、「挙動不審者」60%であった。また、「薬物依存からの回復の偏見」では、「一度でも薬物に手を出すと人生が破綻する」で「そう思う」「少しそう思う」にチェックを入れた人が67%であった。
 ここで強調したいのは、調査対象者の大半は、中学校や高校で薬物乱用防止教育を受けていたことである。本来は、科学的なエビデンスにもとづき、より正確な情報を学ぶ場である学校での薬物乱用防止教育が、いかに偏見に満ちたものであるかということだ。文部科学省では、学校における薬物乱用防止教育の充実として、第六次薬物乱用防止五か年戦略(令和5年8月8日薬物乱用対策推進会議決定)において「薬物乱用防止教室は、学校保健計画に位置付け、すべての中学校及び高等学校において年1回は開催するとともに、地域の実情に応じて小学校においても開催に努める。」としている。文部科学省が公開している令和5年度における薬物乱用防止教室開催状況調査を見てみると、中学校では全体の約4割、高等学校では約5割が取締機関の職員を外部講師として招聘して授業を行っているということである。
 調査結果から、調査対象者は学校の授業とドラマや映画、著名人逮捕などでの報道が相互に補完し合って形成された薬物を使用する人々へのスティグマを無批判に自己に取り入れ、それを修正する機会を得ることがなかったことがうかがわれた。

 次に、そうやって作り上げられたイメージによって、薬物を使用する人々に対する恐怖心を植え付けられた人々が、医療や福祉や教育の専門家に就いていることの問題について考えてみたい。もしも、医療や福祉や教育の職員が薬物を使用する人々に対して「怖い」「乱暴」「凶暴」「挙動不審者」「人生が破綻した人」などという偏見を持っていてそれを信じて疑っていないとしたら、通常のサービスを提供できるだろうか。恐怖心や不安を抱きながら対応するのではないだろうか。そうすると、できるならかかわりたくないと考えてしまい、“招かれざる客”として拒絶してしまうかもしれない。対応することにしたとしても、必要以上の緊張を強いられて職員自身の精神的負担感はかなり大きくなるのは間違いないだろう。そして、拒絶的な対応に治療や支援を求めた人は絶望的になるかもしれない。あるいは、職員の渋々、恐る恐るといった態度に強い不信感を抱くかもしれない。これでは、本来受け取ることができるはずの社会サービスを十分に受け取ることが困難となる。それなのに「回復」を求められるのはどれほど理不尽なことだろう。

 このように、地域社会から排除されてしかるべしの存在であることを強調しスティグマを生産及び強化する一方で、「薬物依存は病気です」というダブルスタンダードのメッセージを発信してきたことによって、社会サービスの提供側と受け手側の双方に混乱と悪影響を与えてきたのではないだろうか。

【文献】
谷家優子(2022).薬物依存の当事者に対するイメージとその変化についての研究.京都文教大学地域協働研究教育センター 地域協働研究ジャーナル創刊号
薬物乱用防止教室開催状況令和5年度,文部科学省.

3.「ダメ。ゼッタイ。」の狙いは?

 再乱用防止対策事業が開始された2019年度当初から、筆者は、マトリが支援事業に参入するのであれば地域のネットワークと足並みを揃える必要性を唱え、従前の薬物乱用防止啓発のあり方と「ダメ。ゼッタイ。」のキャッチフレーズを中止すべきと訴えた。公益財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センターは、マトリとは別組織ではあるものの、職員には元マトリ幹部職員が就任していることもあり、影響力を持っていることから、意見が届くことを期待した。啓発方針の是正がマトリ入職の動機のひとつだったのだ。ところが、筆者の意見はことごとく却下された。日本の薬物の生涯経験率が他国と比較して低いためこれらの啓発は成功しているというのが理由ということだった。
 様々な専門家らが声高に、エビデンスのない方法論だと指摘しているにもかかわらず、麻薬・覚せい剤乱用防止センターが「ダメ。ゼッタイ。」というキャッチフレーズにこだわり、過度に危険と恐怖を植え込むキャンペーンを展開し続けていることについて、国民に偏見を植え付け、薬物を使用する人とその家族を地域社会から排除して孤立させ、マトリが付け込みやすい環境を作って、おとり捜査がしやすいようにしているのではないかと邪推してしまうが、あながち極端な推論ではないかもしれない。

おわりに

 筆者がマトリの実態を語ると、日ごろ規制薬物とは無縁な生活をしている人たちだけでなく、薬物の使用経験がある人たちからも「やっぱりクスリって怖い」というような言葉が返ってくることがしばしばあり、戸惑いと恐ろしささえ感じている。確かに、本稿では恐ろしいことをたくさん書き連ねた。しかし、恐いのは覚醒剤や大麻が代表する規制薬物そのものではなく、もちろんそれらを使う人々でもない。恐いのは、取締のあり方ではないか。薬物乱用防止啓発によって形成されてきたスティグマの根深さに、そこはかとない恐ろしさを抱かずにはおれない。取締のあり方を定めている法律、取締機関が持つ薬物を使用する人々に対する偏った視点、国民をマインドコントロールしてきた啓発のしかた、これらを含めた薬物政策の問題に、われわれはもっと関心を寄せて多方面から議論をしなければならないのではないだろうか。
 筆者が本稿で最も強調したいことは、スティグマを意図的に形成して国民に強く深く刷り込み、政策の舵取りをしてきたのが厚生労働省であり、そのことによってマトリ職員に有形無形の利益をもたらせてきただけでなく、多くの人々の人権を踏みにじり、人命を危険にさらしていることを正当化しているということであり、これらは誰にとってもとても身近で足元を揺さぶりかねない問題なのだということである。

 「クスリって怖いよね」などとつぶやきながら、国民が揃って思考を停止させている間に、大麻の検挙人員は急増し、とりわけ10~20代の検挙人員の増加が目立っている。法務省の「犯罪白書令和5年版」(2024)によれば、大麻取締法違反の検挙人員の内20歳未満と20~29歳を合わせた検挙人員は全検挙人員の70.5%を占めている。本来は保護されるべき立場の若者がたくさん検挙され、そのことで学習やスポーツなどの活躍の場、仕事を奪われる事態になっているのだ。十分に議論もされないまま大麻に関する新法が2023年12月に成立し、2024年中に施行されるらしい。施行後は一層検挙人員が増加する可能性もある。
 山本(2022)は、占領期日本でどのようにして大麻所持への厳罰化と一部の栽培等免許制を認める「大麻取締規則」「大麻取締法」が制定されたのかを、資料調査により明らかにしている。骨の折れる地道で丁寧な調査によって、これまでふわっとしたおとぎ話か都市伝説のように伝聞されてきた言説が否定されると同時に、新たな認識へと誘われていく。そして、「大麻に限らず『被害者なき犯罪』への刑罰規制は、人間の生をどのように国家が統治・規制するのかといった論点と不可分である。厳罰化を主張する人々が、『公共の福祉』を理由として刑罰を肯定したいのであれば、そこでどのような社会的『ハーム(harm:被害や痛み)』が具体的に観察され、個人を逮捕しなければハームを十分減らせないのだと論証するべきである。逮捕され収監される人々はただのコストではなく、平等な人権を有する人間だからである」という山本の言葉が鋭い光となって迫って来る。

 法を踏み越える若者たちに対して、懲罰的で不寛容なかかわり及び所属する場から排除することが適切かつ有効なのか、それが若者の「生きる力」を育むことにつながるのか、わが国の現行の薬物政策はわれわれの社会にとって有用なのかを、停止させている思考を活性化させて議論を重ねたい。

【文献】
山本奈生・武田惇志(2022).占領期日本における大麻規制の移入過程─GHQ/SCAP 資料に基づく批判的検討─.佛教大学第47号
法務省法務総合研究所(2024),犯罪白書令和5年版 法務省 


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