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ユリー・シュルヴィッツ『よあけ』
丹念に描かれた静謐な美しさ
この絵本を手に取ってページをめくると、しんとした静けさに身を包まれるのを感じます。静謐な空間をいっそう際立たせる、そよ風、さざなみ、かえるの飛び込む音、鳥の鳴き声・・・夜が明けて「やまとみずうみがみどりに」なる数時間の間に起ったことは、おじいさんが孫を起こしてボートでみずうみに漕ぎ出しただけ。それだけの話なのに、その静けさと青を基調とした絵の美しさに惹き込まれ、深い満足感につつまれて本を閉じました。「流れる時間というのは常に現在である」とは評論家の吉田健一の言葉ですが、この絵本には確かに時間が流れていて、その流れに読者が同調することで描かれた自然と一体となることができるのです。
フェードインの手法で描かれる大きな時の流れ
junaidaの『の』や『怪物園』を制作するにあたって、ブックデザインをてがけた祖父江慎さんは、読者が物語の中にすぐ没入できるようにカヴァーをかけなかったりするなどの工夫を凝らしたそうです。『怪物園』は表紙を開くとすぐ全面にjunaidaの絵が描かれていて、読者はいやおうなくその不思議な世界の飛び込めるようになっています。
『よあけ』の始まり方はそれとは対照的です。本編のページを開いた読者の目に映る絵は、中央に楕円形に描かれた夜の風景で、ページの大部分が余白となっています。絵はページが進むごとに少しづつ大きさを増していき、「つきが いわにてり、ときに このはをきらめかす。」「やまが くろぐろと しずもる。」でようやく見開きをつかった大きな画面となりますが、それでも周囲にはまだいくぶんかの余白が残っているのです。そしてふたたび画面は少しづつ小さくなりますが、夜明けが訪れて「やまとみずうみが みどりになった」ところで初めて余白のない、ページを全面につかった絵となるのです。読者はゆっくりと、少しづつ作品世界に没入していき、夜明けの場面でようやく全面的に一体化する。これは音楽でいえばフェードインの手法といえるのではないでしょうか。
私は、この絵本の手法に同じくフェードインを用いて夜明けを描いた、モーリス・ラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』の「夜明け」の曲を連想しました。けれども、急いで付け加えなくてはいけませんが、ラヴェルの音楽がもたらす夜明けの高揚感は、シュルヴィッツが描いた夜明けとは遠いところにあります。シュルヴィッツの描いた夜明けは、あくまでも静謐な美しさを湛えているのです。この違いはどこからくるのでしょうか。それを知るにはシュルヴィッツがこの絵本のモチーフにしたという、柳宗元の漢詩『漁翁』を見る必要があるようです。
『漁翁』から『よあけ』へ
漁翁 柳宗元作
漁翁 夜 西巖に傍うて宿し
曉に清湘に汲み楚竹を燃く
煙銷え 日出でて 人を見ず
欸乃一聲(あいだいいっせい) 山水綠なり
天際を迴看して中流を下れば
巖上 無心雲 相逐う
【日本語訳】
漁師の爺さんは、夜は西の崖に寄り添って眠る。
明け方になると清らかな湘水を汲み、竹を燃やす。
煙が消え、日が昇る。
人影は見えず、えいおうと舟こぐかけ声がひとつ響けば
山も水も緑に色づく。
はるかかなたの水平線のかなたを振り仰ぎつつ川の中ほどを下っていくと、
崖の上から雲が無心に私を追ってくる
※訳は講談社学術文庫『漢詩鑑賞事典』を主に参考にして、若干手を加えました。
柳宗元は中唐の時代に活動した人です。幼少より神童とうたわれ若くして進士に及第。政官として政治改革に乗り出しましたが、親任を得ていた順宗の退位により失脚。以後は各地を転々とするも、ついに中央に返り咲くことないまま亡くなりました。『漁翁』もそんな彼の人生が反映されたものになっていると思われますが、この詩で描かれた光景、特に前半4行はまさに東洋的な人と自然が一体になった世界で、ギリシアの若者の恋愛物語である『ダフニスとクロエ』とはおのずから世界観が異なっていることが、比較してみるとはっきりとわかります。恋の喜びにふるえる若者たちの物語はあくまで人間中心のもので、東洋的な静寂は生まれようがないのです。
そしてさらにシュルヴィッツがほどこした構成の変化が、この違いを一層明確にしていることも見逃せません。『漁翁』ではまず夜明けの状況を描いた後、老人が川を下っている描写で締めくくっているのですが『よあけ』では舟を漕ぐ情景は途中に移され、よあけが来て「山水緑なり」となったところで幕を閉じているのです。これによって人間と自然が一体となった世界観が原詩よりも効果的に伝わってくるのではないでしょうか。比べてみて、この絵本はやはり傑作との思いを新たにしました。