思い出した!!
【私のお母さんがすごいんだ!】
生まれた時から家を出る16歳まで言われ続けた言葉!!
お母さんの口癖は
【夜の仕事だろうが昼の仕事だろうが1番になれ!!一流を目指さないで何が楽しいの?私にはわからないわ!!彼氏にしたってこの人ってあなたが思うならその人生を貫きなさいよ!中途半端な生き方だけはするな!かっこ悪い!!】
ps お父さんはもっとすごい人
p s さとしさんは神かもしれない
19歳の時行方不明の私は1回お母さんに
電話をかけた
【反抗するの疲れた】
ご飯食べに帰っておいで
私はその時、妊娠中だった
(誰にも言えなかった)
少し膨らんだお腹で3年ぶりに実家に帰って
お母さんの手料理を食べた
泣きながら食べていたお母さんはこう言った
【自分で決めて家を出たんだから自分で幸せ見つけなきゃ!!ここにはないんでしょ?あなたが欲しい愛は!!】
うん。といいながら私はまた家から離れたけど
今ならわかるんだ!!
【両親にどれだけ愛されていたか/今も継続】
妊娠している話もお母さんにできないまま
私は5ヶ月になった子を中絶した
その後から私は自分を見失い暴れていた気がする
(自業自得なのに!!)
それから数日してお父さんが会いたいから
またご飯食べに帰っておいで。とお母さんから
電話が入った。
2人がリビングで待っていた
私【何??】
(なんて奴だ!今の私が娘に何??とか言われたら張り倒してるとこだ爆笑🤣)
何でお腹がへっこんでるの?
若干切れ気味のお母さんの顔は般若みたいだった
(お母さんは私が妊娠している事をあの短時間で気づいていたみたいだった)
【先週おろした】
その瞬間お母さんが思いっきり私がぶっ飛んでいくぐらいの、ビンタが飛んできた
顔は泣いていた
お父さんはびっくりして
【辛かったやろ】って抱きしめてくれた
両親は一人でも産むくらい強い子だ!
そう思っていたんだろう
当時の私は今みたいに【誇れる仕事もなく】
できるのは【男の相手/夜の仕事】それくらいだった。自分に自信がなかったのだ。
それは【一人前の人間】ではなかったから
今では10歳になる王者さとしさんを妊娠した時は
ガッツポーズをした!
(YUKOSTYLEは大阪でNO1のサロンだった)
◯月◯日息子を産みます。
の手紙だけ両親に送った!!
自信満々だった。
幸せにしてあげれる自信だ!
必ず幸せにする
私は王者さとしさんを産む瞬間もそう叫んだ!
だから彼は今どんな時も笑顔で病気もゼロで
元気いっぱいである。
彼は10歳ですでに自分の【人生の歩き方】を
決めています!
きっと【視えないものが視えるコ】なのは
間違いない。
私はまだまだ磨く必要がある
人間的にも一人の女性としても
【誰にもできない生き方でNO1になる】
YUKOSTYLE 創業者 石動 裕子
ps そして親は全てお見通しだ!
という事です🦀✨