見出し画像

かっこいいって言う事

昨日の続きですが、わたしの父について、ちょっと書こうかなっと思います。父からのDNAめっちゃ引き継いでいるので、ここは外せないかなっと!うちの父の名前は、傳治です。みんなからは、デンちゃんて呼ばれてました。昭和10年生まれで、戦争を経験しています。9人兄弟の真ん中です。姉ちゃんが3人、にいちゃんが1人で妹3人、弟1人です。小学生の時に、ちょうど東京大空襲があったようです。うちのじいちゃんが、漁師だったので、近所の人みんなを船に乗せて、沖に出たので助かったと言っていました。東京の街が炎で真っ赤に燃えているのをじいちゃんの船の上で見た。船は、大きい布みたいのでカバーされていたので、その布をちょっとめくって、見たらしいですが、じいちゃんにひどく怒られ拳骨で殴られたと言っていました。爆弾がどんどん落されているその景色は、みんなが言っている地獄みたいな景色には、うちの父の目には映らず、なんか花火みたいだって思ったっと言ってました。

そして戦後をむかえ、GIの使いパシリで小銭を稼いでいたそうです。なので、学校には全然行かず、中学校も中退したようです。小さい妹3人を養ったってよく言っていました。アメリカ進駐軍での使いパシリしていたので、結構稼げたらしいです。その後、実の兄と伊東組という小さい建設会社を設立します。そう、うちの父は、鳶職人です。川崎大師の改築は、父が改築に関わっていたそうです。父の兄が52歳で癌で亡くなり、伊東組は、藤東造園株式会社の下請けをよくやるようになり、作業着が配布されるのですが、うちの父は、格好にこだわりがあり、ニッカポッカに地下足袋、上着は、法被そして、ちょっとかっこいい麦わら帽子というスタイルを貫いていました。伊東組のトラックは、甥っ子が運転していたので、うちの父は、現場までいつも自電車で向かっていました。うちの父の自電車にもこだわりがあって、自電車ってベルが付いているじゃないですか、だいたい音は、チャリンチャリン。チャリンコっていうのってそこから来てるのかな?うちの父のそれは、ぱふぱふっていうラッパみたいなやつをつけてました。だいたいとび職人って、家の下地見たいのを作る仕事だから、すごく汚れるんですよ。体力仕事だし、だから雨の日は、おやすみです。私と弟は、そうな父のことをなんか恥ずかしく思っていました。ニッカポッカはいて、はっぴって何?見たいな。。。いま、思えば、かなりかっこいい。そして、タバコのケースがシャネル、ライターがダンヒル。大体、泥んこになるような仕事しているのに、シャネルとダンヒルって何?ってかんじです。で、大体どこで買ったのよって、いつも思っていました。今思えば、父は、かなりおしゃれさんでした。スーツもテーラーメイドのもしか持っていなかったし、着物も、すごいお金をかけて仕立ててもらっていました。シャツのカフスボタンにもこだわっていました。年に何度も着ないのに。。。

私の記憶にある父は、ギャンブル大好き、大体おこずかいもらってすぐに全部使ってしまって、その後は、次のお給料まで、ずっと家でゴロゴロして、競馬の予想して、買っていれば勝っていたって、ばやいている。そんなのしか覚えてない。大体、母と結婚して、新婚旅行の前の日に、賭博(チンチロリン)で、大負けして、新婚旅行代全部母が払ったって言っていました。全くはちゃめちゃな、父!私と弟は、父をいつも小馬鹿にしてました。どうせ友達もいないんだろうなって、言ってました。私が中学生になった頃かな、みんな反抗期になるじゃないですか、私は、よく父に、クソジジイ!!死ね!!て、マジギレしていってたんですが、クソガキ!!ってニコニコして、全然こっちがキレているのを受け止めない父でした。

そして、私が高校生になった時、彼氏ができたら、うちに連れてこいって、よく言っていました。で、高校2年生の時に、彼氏を家に連れていきました。私の彼は、同級生です。が、父は、彼にビールを進めて、高津くんは彼女いないの?なんて聞いてました。私と高津くんは、???ってなりました。自分の娘に彼氏がいるってことを全く把握していなかったみたいです。本当に天然なんです。そして、よく、私が嫁に行くときは、絶対に泣くって言ってました。そして、うちの母に、いつも関白宣言みたいに、絶対に先に死ぬなって言ってました。カーチャン無しには、いきていけないって。。。うちの母、めっちゃ綺麗でしっかり者だったので、自慢の嫁だったみたいで、子供の前で恥ずかしげもなく、かーちゃんのこと愛しているって言っていました。

父は、2001年にがんで66歳で人生の幕を閉じるのですが、ここで、私たち家族が、父の偉大さを知らされます。お葬式の参列者が半端ない多人数でした。そして、みなさん本当に涙していました。父が私たちの知らないところで、たくさんの人に慕われていたのだと。実は、最近私が読んでいる本で、”7つの習慣”に、自分のお葬式で何を言われるか、人生の幕を閉じた時、自分が他人にどのように思われていたかということが、わかる。そこで、価値が証明される。その時に、誰も悲しんでいなかったら、あなたは、自分本位にしか生きてこなかったのだろう。そうならないように人格者になるように精進しようね。って書いてありました。わ!うちの父、人生の成功者だなって思います。それって、すっごいかっこいい事だと!




いいなと思ったら応援しよう!