歌のシェフのおいしいお話(5)アイスラー〈(本当の)異郷にて〉
ハンス・アイスラーという作曲家をご存じでしょうか。
1898年ドイツ生まれのユダヤ人。最悪のタイミングです。ナチスの台頭に伴って祖国では活動できなくなったアイスラーは、アメリカはカリフォルニアに亡命し、ハリウッドでチャップリンの音楽顧問になるなど映画音楽の仕事に従事。しかし戦後の「赤狩り」の際に共産主義者の疑いをかけられてアメリカから追放されました。その後は東ドイツに住んで、国歌も作曲しました。
カリフォルニアでの亡命生活中、収入源であった映画音楽の仕事の傍ら、彼はまるで日記を書くように、自分と向き合うために作曲したかのような多数の歌曲を書いています。
選ばれた詩は、同じくナチスからの迫害を受けていたブレヒト(1898-1956,ドイツ)が自身の亡命生活を描写したものが多くを占めています。アイスラーにとっては、自分の姿と重なって共感するところが多かったのでしょう。
しかしそうした生々しい同時代の詩につけた曲よりもさらに強烈なメッセージを放っているのは、《アイヒェンドルフとシューマンの思い出》というたった1頁の曲です。
シューマンはアイスラーにとっては同郷の大先輩、ロマン派の大御所で、彼の代表作の一つである曲集《リーダークライス》Op. 39(1840年作曲)はアイヒェンドルフの詩に作曲したもの。第1曲〈異郷にて〉は故郷から遠く離れた者の憂いに満ちた感慨や死への憧れを歌っています。
あの赤い稲妻の向こうにある故郷から
こちらへと雲がやってくる
だが父も母もはるか昔に亡くなって
そこでは私を知る者はもう誰もいない
すぐに静かな時がやって来る
そのとき私もまた憩い、私の上には
美しい森の孤独がざわめく
そしてここでも私を知る者はもう誰もいない
アイスラーは、知っている人なら誰もがシューマンの美しいメロディーを思い浮かべるこのアイヒェンドルフの詩を取り上げ、シューマンの音楽(同じ曲集の第5番〈月夜〉)と音型が似ているようでいてだいぶ様子の違う音楽をつけています。
なぜアイスラーは100年も前に書かれた歌曲を1943年になってわざわざ取り上げたのでしょうか。彼の立場でこの曲を聴いたらどんなに複雑な気持ちになるかを考えると、その理由がわかります。
「旅」、それに伴い「異郷で生きなければいけない運命」及び「故郷への憧れ」はロマン派のお題目。シューベルトでもシューマンでも、当時の歌曲を探してみればこのテーマに沿うものがいくらでもあります。単に好まれたテーマという程度のことではなく、ロマン派の基本的なマインドセットでした。
そのような作品を生み出したロマン派の芸術家たちの人生もそれぞれドラマに満ちていて、中には放浪の旅をしていた人もいますが、現実に命が危険にさらされて故郷を追われ、異郷で生きることを強制されて、いつか故郷に帰ることを夢見ていたという話ではありません。
実際に命からがらナチスの手を逃れ、好きで選んだわけでもないアメリカでの生活を強いられていたアイスラーにとって、ロマン派の言う「異郷」は机上のイメージであって、彼ら自身はおうちでぬくぬくしながら想像上の「故郷への憧れ」を美しく歌っていたわけです。
だからそのロマン派の代表作を亡命中のアイスラーが取り上げるという行為そのものが、本当に異郷に生きるということ、本当に故郷に憧れるということはどんなものであるかということを伝える何より強烈なメッセージなのです。
どうぞご自身で聴き比べてみてください。
シューマン〈異郷にて〉
https://youtu.be/Fz6GIbkJKgM
シューマン〈月夜〉
https://youtu.be/ZjCeBjw6C8Y
アイスラー《アイヒェンドルフとシューマンの思い出》
https://www.youtube.com/watch?v=HvhRZanDHSA