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(全文公開)「ハイ・アート」の民主化(1)

「ハイ・アート(高級芸術)」と「ロウ・アート(大衆芸術)」という区分をご存知だろうか。
19世紀ヨーロッパで、都市に大量に流入した低所得・低学歴の労働者たちが余暇に楽しむ、わかりやすく親しみやすい「大衆芸術」に対して、理解するのに一定の教養を要する絵画や演劇が「高級芸術」として区別された。

https://artscape.jp/dictionary/modern/1198392_1637.html

この図式自体への疑問、批判がまたさらに新しい立場のアートを生んでおり、このような単純な二分法でアートを語ることはもうできないとしても、それでも、筆者の生業とするクラシック音楽、ことにオペラはやっぱり疑いなく「ハイ・アート」だ。

そもそも、上演される国の言葉で歌われるとは限らない。今は大きな劇場には字幕があるが、小規模な公演ではその限りではない。何世紀も前に書かれたものの文脈、当時・当地の文化を理解する教養が要る。見所を予め理解していれば何倍も面白いし、そのオペラのストーリーやベーシックな演出がどんなものかを知っていれば、斬新な演出を見たときにそれが観客に何を問いかけようとしているのか、演出家のメッセージを受け取ることができる。要は、オペラのコードを読み解くリテラシーが要る。逆に、そうした知識や教養がなければ面白さは半減する。身近に十分面白いもの美しいものが溢れているときに、たまたまきっかけがあったり、そういう習慣がもともとあったりするのでなければ、わざわざ予習をして、高いお金を払ってまでオペラを見に行こうとは思わない。敷居が高いとはこのことである。

「ハイ・アート」に親しむ習慣があるのがよいことで、ないのが悪いことだというのではないが、文化資本の問題が貧困の問題と結びついていることは1990年代から指摘されている。

https://diamond.jp/articles/-/162585

2011年公開のフランス映画《最強のふたり》では、宮殿のような豪奢な屋敷で車椅子で暮らす大富豪フィリップと、介護者として雇われた郊外の貧しい地区の出身の黒人の青年ドリスの交流が描かれるが、フィリップにつきあって聴いたクラシック音楽、オペラに対してドリスが見せるのは、コードもリテラシーも何にもなしで聴いたり見たりしたら確かにそうなるよね!という典型的なリアクション。

https://movies.yahoo.co.jp/movie/341701/story/

感受性の豊かなドリスのコメントは大変楽しく、筆者の大好きな映画なのだが、文化資本の問題については仕事柄笑ってばかりもいられない。

オペラにより多くの人に親しんでもらうためのアプローチは複数ある。このマガジンで追い追いいろいろな取り組みを紹介してゆくつもりだが、その一つは、「とにかくいろいろな人に聞いてもらうこと」=普段はクラシックの演奏会に足を運ばない層がいる場所にこちらから出向いて、もの珍しさをまずは売りにしてでも、とにかく聞いてもらうこと。リテラシーとか教養とかはひとまず置いておく、ということは、玄人からすれば面白さの半減した聴き方を提案しているようなものなのだけれど、半減していてもまだまだ十分面白く美しい音楽なので、まずはそこでよい時間を過ごしてもらうこと、オペラ歌手の歌声ってこんなものなんだというのを生で聴いてもらうこと、またそれをきっかけにお客さんの中の100人に1人でもまた別のコンサートにも行ってみようと思ってもらうこと。そんな「オペラの民主化」を謳った「海の上のコンサート」に昨日9日、筆者は出演してきた。

フランス、ブルターニュ地方のナヴァロ港で、養殖牡蠣の運搬に使われる平舟にグランドピアノを乗せて、モーツァルトからドビュッシーまで、オールクラシックの約1時間のプログラム。

https://www.facebook.com/media/set/?vanity=Claudeportnavalo&set=a.1782200981928833

発案者であるソプラノ歌手のクララ・ベロンはフランスの海外県(フランスがヨーロッパ以外に有する土地)の一つ、マダガスカル島の東に位置するレユニオン島出身。より多くの人にオペラを届けたいという思いから、観光客で賑わうビーチで入場無料・カンパ制のコンサートを今夏3回行った(9日は最終日)。聴衆は海水浴帰りにふらっと立ち寄った人が殆どで、ビーチに腰掛け、あるいは上のテラスで演奏に耳を傾けていた。来夏はまた同地方の別の港を中心に、更に多くの海上コンサートを行う予定だという。「オペラの民主化」の小さな一歩だ。

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