国木田花丸の成長とイマの姿(ソロ曲編)
はじめまして、こんにちはゆーこのです。
1、2本目に続き今回は3本目として僕の大好きな花丸についてソロ曲を通してお話していきたいと思います。憧れに向かっていくこの子の成長の軌跡、下手ですが最後までお付き合いいただければ幸いです。ではおやすみなさん!からお話しさせていただきます。
1.おやすみなさん!
初めての出会いと日々の中での花丸自身の「気づき」。1番は自分に向けて、そして2番では「みんな」に向けての花丸の優しさを歌っているように感じました。順にお話ししていきます。
スクールアイドルを始めるまでは何気ない毎日を当たり前のように過ごしてきた花丸が初めてやりたい、憧れたことに対して「やってみる」という一歩踏み出すことができました。でもこれは同時に楽ではない、夢を追うことには同時に痛みを抱えるものだという気づき。そして辛い日々の中で花丸はみんなと毎日笑えることは簡単じゃない、今まで「当たり前」であったことの大事さを知ったのだと思います。
これもスクールアイドルを始めた花丸が初めて知った経験。何もできなかった自分が悔しい、いつも笑顔で、やっぱり僕自身も花丸といえば笑顔が誰よりも可愛くて似合う子で、そんな子が涙が落ちるほど悔しがってるんです。でもそれで諦めることがなかったのがAqoursと花丸。この子の中の「やってみたい」気持ちの本気さが伝わってきますよね。始めることから今は「出来る」までの過程へと着実に足を進めている証ですね。
でも辛いからこそ笑う、やっぱりこれも花丸らしさじゃないかなって思います。辛いからこそ心の余裕を保つために忘れかけていた当たり前のことを思い出すことって人間誰しもありますよね。花丸にとってのそれは「笑顔」なんです。
2期の7話の統廃合が決まった後の練習のときも最終的にあの日は解散となりましたが、みんなを励ます、というよりも善子に突っ込んでいつも通り笑顔でいようとしました。
そしてもう1つ、今だからこそ笑えることに理由があると思ってまして。それは未体験HORIZONの「きっと後で笑えるからさ」です。SUNNY STAGEできんちゃんも言ってくれました。コロナでいろいろあったけど後からこんなこともあったねと笑い合える。痛みを抱えながら夢を追いかけて走ってきたAqoursも少し器用になったというか、何度も乗り越えてきたから今だからこそ、後で笑えることを既に知ってるんだと思います。だから「後で」=未来だけでなく、“イマ”という時間も「希望だけ」を持って走れる、楽しいだけを少しずつ貫くことができるようになったのかなと思います。まさに「未来の僕らは知ってるよ」ですね。
次に進みます。文学的とは情緒的とも取れますよね。花丸の好きな文学と掛け合わせた表現のんだと思います。情緒的とは感情や気持ちを表すもの。ここでは明日への期待を抱く花丸の気持ちを表しているんじゃないかなって思います。
2期の1話の千歌が早朝のグラウンドに来るシーンと同じですね。「以心伝心ずら。」以心伝心=文字や言葉を使わなくてもお互いの心が通じ合っていること。
「いつも幸せ」を望んでいる花丸が辛さを感じているときもみんなに「笑顔」を通して「元気」を届けたい。自分の夢はもちろんですが、それと同じぐらい誰かの背中を押してあげたい、支えてあげたいという優しい心も持っている子ですから。素敵ですよね。ずっと一緒だからこそ言わなくても自分の「笑顔」や「元気」がみんなに届いていて欲しい。そう願っているはずです。
特にルビィや善子に対してそうですが、大好きな子と同じ夢を一緒に見ている。花丸にとってこれほどまでに嬉しいことはないはずです。でも以心伝心じゃなく、本当は辛い時の「元気」を言葉で伝えたいけど出来ない。全員が辛い時こそ前向きな言葉を投げかけるって難しいことですし、それに花丸は元々言葉で伝えるのがあまり上手じゃないよねってよく思います。だから言葉で伝えて分かち合いたくても、なかなか思いつかないんじゃないかなって、僕はそう思います。
「相変わらず突っ走ってるずらね」
特に善子には。悪く言えば少し棘があるというか、でもこれもこの子なりの善子の背中の押し方なんだと思います。2人とも相性バッチリですから。いざ辛い時や悩んでいる時に上手くにかける言葉が思いつかない。ツッコむことはあっても、花丸から善子に言葉を投げかけることは少なかったように見えました。ですが2人がいればいつも通りに場を和ませられる、そういう意味でも2人の存在って大きいよねとも思います。
ここで一旦区切られて、最後の歌詞は次のサビと繋がっているように思います。
少しずつ勇気をつけてきたからどんなに辛くても明日も希望を胸に頑張れる。そのためにはまず花丸は「笑顔」でいることから始まる。それは自分のためはもちろん、さっき述べた「みんな」のためでもあります。
「マルは、ずっと、ルビィちゃんと2人で図書室で本を読んでるだけで幸せだったけど、千歌ちゃん達のおかげで、外の世界に出られて、みんなと一緒なら色んな事ができるって知る事ができた。」「だから、勝ちたいずら! それが今、一番楽しいずら!」
ラブライブ!決勝の勝ちたい理由ももちろん自分の追いかけてきた憧れのためでもある。でもこんな世界に連れてきてくれた「みんなのために」も花丸は勝ちたい。この時の花丸の気持ちはそういう風にも見えました。ルビィや善子の背中を押していた時のように、いつも誰かのことを想える優しい子ですから。だからこそ自分はみんなに元気を届けるためにどんな時も笑顔でいたい。彼女自身そう思っているのかもしれません。話を戻します。
ここは花丸の葛藤を描いているようにも見えます。自分のため、そしてみんなのために自分は笑顔でいたい。「無理にほっぺたを上げてみる鏡」という部分に無理にでも笑顔を作っているところが伺えて、良くも悪くも義務感すらあるようにも見えます。
希望だけ持っていたくても、「無理矢理」笑って希望を持ち続けることは辛いですよね。でも、それでも花丸は笑顔を貫くんです。ある意味Jump up HIGH!!とは相反しているように思えます。
でもどんなに辛くても笑う、いずれずっと笑い続けられる。つまりハッピーだけを貫くことができたら花丸にとってもそれが1番で、そんな花丸を見たみんなも元気でいられますから。無理に笑うのも花丸にとっては「どんな時でもずっと笑っていられるように出来るための過程」なんじゃないかなって思います。さっき言ったように始めるだけでない、今は「出来るまでの過程」を歩み始めていますから。成長ですよね。
そしてこれはもしかしたらμ'sの星空凛ちゃんへの憧れなのかもしれません。やはりあの子も僕の中では笑顔が凄く印象的でしたので。だからその時悲しんで涙を流しても、次の日は笑顔でまた立ち上がる。当たり前であった「笑顔」でいることの大切さと難しさを知ったからこそ、今の花丸ならもっといい笑顔でいられるはずです。でもそんな自分の表情を「妙」と言っているところはこの頃の花丸にまだ自信がついていない姿を表しているように見えます。勇気はこの子の中にもうありますから、あとは自信だけ。
暗闇の中で止まってはいられない、日が沈んでもまた次の日には昇る。そんな明日に期待を抱いていつも希望だけを持ちながら進む花丸の姿。
憧れを追いかけて、まだまだ広い世界への知りたいことだらけのはずです。今日辛いことがあっても、前だけ向いて明日またみんなと会って一緒に笑える。だから今日もおやすみなさん!
2.あこがれランララン
勇気を手にした今の花丸。「憧れ」に向けて走っていくうちに少しずつ「自信」も芽生え始めました。そんな花丸の過程を1つ1つ話していきます。
自分に問うけど、もう決めつけたりはししない。自分の憧れ、やりたいことを真っ直ぐ始められる今の花丸を表した素敵な歌詞ですね。
まさに成長した今だからこそ歌える歌詞ですね。
図書室というのがまた良いですよね。あの頃は凛ちゃんの姿を雑誌でずっと眺めていた花丸。でも今の花丸は踏み出す勇気を持った。次のシーンで本を閉じて図書室を出ていく、ここで屋上で練習着姿で登場するのが好きで。凛ちゃんと同じスタイルの練習着。見ているだけではない、憧れに向けて走り出した花丸の姿をこうしてMVで表現しているのがほんとに大好きです。
ここもそうで、ひっそりと図書室で過ごしていた花丸が今はこうして自分から「見て欲しい」と。勇気はもうバッチリですよね。でも恥ずかしい。花丸自身はどっちなのか?2番でまたお話しますが心の中では見て欲しいと願っているはずです。なぜ躊躇うのかはまだ「自信」がないからだと思います。だからこそきっといつかは見て欲しいと自信を持ってそう言えるはずです。
そんな自分になるためには「やってみること」。
それは花丸がAqoursに教えてもらったこと。
「勢い」の大事さ、それはスクールアイドル部の勧誘をしていた千歌、そして初めてのライブを遠くからずっと見てきた花丸が2年生に教えてもらったものだと思います。いつも何かを始めるときは千歌を始めとする2年生たちでしたから。そんな2年生への憧れを追いかけたいのかもしれませんね。でもまだ「自信」がついていないからこそまだ「自分には」とどうしても頭で考えてしまう。だからこそ踏み止まる前に走り出したい花丸の気持ちを表したのではないでしょうか。
「出来るかどうか」じゃない。「やりたいかどうか」。千歌が花丸に言ってくれた台詞ですね。
やってみてそれが「いい感じ」ならそのままの意味で、「やっぱやめやめ」とは「上手くいかない時の自分が恥ずかしくてやめちゃう」ということを表しているように思えます。でも失敗しても大丈夫です。」未体験HORIZONの「失敗の中にあるよ 成功のヒント」ですから。その間も成長してる。それに2期の13話で今までの時間の全てが輝きだと気付いたように失敗も成功に繋がる過程で。決して無駄ではない、失敗も含めて花丸が憧れを全力で追いかけている時間ですから、だから辛くても面白い、楽しいと思えるはずです。ラスサビの時にまたこのことについて触れます。
田舎でお寺育ち、しかも自信のない子とはとても思えないぐらいに私服がおしゃれで可愛いですよね。でもこれってMVの寝転がってる花丸が実はひっそり勉強してたんじゃないかなと思います。1番のMVと似ていますよね。眺めているだけじゃなくて追いかける。何度も言いますが今の花丸だからこそですよね。
十日の菊=時機に遅れて役に立たないこと、サビの「ときめいた気持ちが消えないうちに」と同じ意味ですね。もうそうはなりたくない、憧れのままに飛び出したい今の花丸の気持ちを表しています。
それに「もっと」可愛くなりたいとあるように、憧れを追いかけているうちに少しずつ自分も可愛くなれているんだ。という花丸自身は気づいていないのかもしれません。きっと心のどこかで「自信」が芽生え始めてきているんだと思います。
でもここもまだ花丸の自信が成熟しきってないことを表しているんだと思います。「キラキラ」じゃなくて「キラ」ぐらい、少しぐらいは輝いてるって意味なんじゃないかと。本当は聞きたい、でも聞けない。勇気のある今の花丸なら聞けると僕は思うんですけどそれ以上に自信のなさがまだ邪魔してしまう。モヤモヤしますよね。
1番のサビでは「やってみること」だったのが「もっと」という次のステップへと踏み出していますよね。「おやすみなさん!」でお話ししたように、花丸が「出来る」までの過程を進んでいて、それは自信をつけるための過程でもあると思います。
「元気」っていうのがまた花丸らしいですよね、「いつも幸せを望んでる」からこそ上手くいかない時も辛い時こそ「笑顔」、つまり元気。ある意味誰よりもスクールアイドルっぽいと僕は思います。
「思いついたことみんなやっちゃおう」、今度は3年生にこのことを教えてもらったのだと思います。決められた未来よりも自分の行きたい道を自分で切り拓く。この3人が誰よりも自由という言葉が似合うと思いますから。花丸はそんな3人に憧れたんだと思います。花丸もまた自分のやりたいこと、自分に嘘をついて決めつけるよりも本当の気持ちに真っ直ぐになりたいと思っています、その方が絶対楽しいですから。
「そうなっちゃいたいな」、いつかの姿を思い描いているように見えます。さっきの「おやすみなさん!」でお話しした辛い中でも希望だけを持って飛びたい花丸を表しているのとは少し違う。
この歌詞では「いい感じになって」=「出来るようになった姿」、つまり本当の意味での希望だけを持った完璧な姿でいつかは踊り続けたいということを歌っているように思えます。
2番の「キラ」ぐらい輝けてるのかな、疑問系ぐらいだったのがいつかは「キラキラ」になりたい。過去の花丸からしては「なりたい」とそう思うだけでなく追いかけられること自体が凄いことだと思うんです。そんな花丸にとっては「憧れ」こそが「夢」だと思うんですよね。そのために憧れをひとつひとつ叶えていきたい。
「夢」=「憧れ」を追い続けることはAqoursとは対照的かもしれません。でもそれも素敵だと思いませんか?ダイヤもそうで、誰よりも好き過ぎることを貫いているのですから。それに一見真似のように見えて、彼女たちが放つのは唯一無二の輝き。国木田花丸という1人の女の子にしかない魅力がありますから。
ラスサビは1番と同じになるので省略させていただきますが、MVの中にちょっとした違いがあるように思います。
恥ずかしがる花丸はラスサビでは出てきません。「やっぱやめやめ」とはもう思わないで自信を持とう。さっきも言った通り少しずつ花丸の中に自信が生まれ始めている。1番で出た失敗することを恐れず肯定出来るようになった。そんなメッセージ性が込められているんじゃないかなって思います。ではそんな花丸のまた新しいステップとなる曲について話していきます。
3.やあ!?行雲流水
自然のままに任せている姿がAqoursと同じだなって思います。熱い想いさえあれば綿密な計画なんてなくても飛んでいける。不器用だけど、どこまでも真っ直ぐな気持ち1つで足掻いて未来を変えてきたAqoursの一員だからこそ言える言葉だと思います。千歌のOKAWARI Happy life!の言葉を借りるなら「感情論で押しまくれ」だなって。花丸もいつかの「キラキラ」の姿を目指す熱い想いがあるから、あとは風の吹くままに飛べるんだと思います。風の向きが変わっても、彼女のユメへの情熱は変わりませんから。
凄い成長だなって思います。スクールアイドルとしてやっぱり他の子よりも体力も少なくて自信がなかった子がこうやって言えるようになったのですから。焦らずマイペースにいつもの自分を貫いていられることが凄くて。未ホラの自分を信じてみることはまずはここから始まるんじゃないかなって思います。花丸の中に確実に自信が表れているんだと思います。
「やりなおすのも面白い」というのも「過程」を大事にしてきたAqoursと同じものを感じますね。結果だけじゃない、過程の時間もまた輝きですから。あこがれランラランの1番の失敗を恐れていた「やっぱやめやめ」を完全に克服したのではないでしょうか。
おやすみなさん!と同じで辛いときに当たり前の難しさを知る、その上で当たり前ができることって凄いと思いますよね。
「いつから? 決めないっ」=いつでも、ずっとという意味なんじゃないかなって思います。1期の8話の東京からの帰り道、落ち込んでいた花丸は珍しくお菓子が進みませんでしたからね。でも今なら違うと思います。辛いときでもいつも通りの笑顔でみんなを照ら好き存在になっていると思います。ついさっきも言いましたが当たり前の難しさを知った今なら、説得力というか、強さを感じますね。
わからなくなってしまう度に不安になってしまう、でもとにかく今を楽しくしたい。まだまだ知らない世界が広がっていて花丸の中の胸の空は「いつも幸せ」を望んでるから。例え暗闇の中であろうとずっと笑顔でいたいはずです。おやすみなさん!の時と変わらず自分を貫いている歌詞だなと思います。花丸の中でずっと変わらないもの。
「のんびりと見あげる」と言うとあまり深く考え込んでいないと思いますよね。「あてもなく歩こう」もふんわりとした表現ですけど少しAqoursに近いものを感じます。キセキヒカルの「動いてないと探せない」ですね。最初から決まってある正解に向けて走るのではなく、分からない正解を探しながら見つけていく。Aqoursはいつも動きながらでしか答えは探せませんから。憧れを追いかける花丸でもそれはきっと同じなんだと思います。憧れを追うことが目標ではなく、いつかの「キラキラ」という形の定まっていない=正解の決まっていない夢がゴールで、「キラキラ」というのも最終的には真似ではない花丸だけの形ですから。
「元気の一歩前」=元気になれない様子というべきでしょうか。だからいつも走っているけど、その時は「歩く」。決して止まることはしないんですよね。「休んでも止まらないで」ですから。歩きながら休んでる間に悩みも一度忘れて「笑顔」になるのではないでしょうか、「いつも幸せ」を望んでいる花丸ですからね。一見マイペースなのんびり屋見えて、元気になればまた走り出すんです、いつかのキラキラに向けて。
そしてなんでこんなにも頭をからっぽにできるのか?何も考えてない子なの?って思われてしまいそうですが、この曲の話の最初に述べたように熱い想い1つで未来を変えてきたAqoursの一員だからこそ言えるのだと思います。単純で簡単そうに見えて、自分たちの想いをどこまでも貫けることってAqoursにしか出来ない形だと思いますから。そしてここからは僕の憶測でしかないですが、冒険Typeの「考える前に動いてたから」とあるように「頭」はからっぽ。でも「胸」には熱い想いを秘めていた。「諦めない」「輝きたい」その真っ直ぐな想いを胸に未来を変えてきた。Aqoursも花丸も熱い想いさえあれば頭はからっぽでいいんです。これは「自分には…」と今までやりたいことに対して踏みとどまり悩んでいた花丸がAqoursとの日々を共にしてきた上での「気づき」であると思います。
ラスサビは1番と同じになるので省略させていただきます。勇気と共に自信も手に入れた今の花丸、そんな彼女の次の場所へ進んでいく心境や情熱を次の曲で話していきます。
4.TSUBOMI SEASON
今ある時間が過ぎていく、イマという時間を大切するけど、大事にして来た時間が過去に変わっていくことを切なく想うのは当然だと思います。大事に想う仲間とも離れることを意味するのですから。
淋しくてため息をこぼす、でも後悔のような、もっといたいというのはわがままだから、誰にも見られたくないから口で抑えるという意味のように思えます。でもその淋しさの強さのあまり漏れてしまう。どうしようもなくみんなと離れる、今ある日々が過ぎ去ることが悲しい、そんな意味が込められているではないでしょうか。
「ほころび」とは「綻び」ととれますね。なくなっていく日々への切なさを感じてしまうことを表しているのだと思います。Aメロと同じですね。それだけ寂しいと想っているのです。かけがえのない日々ですから。
ですがそれに対してもう一つ意味があると思いまして。ほころびには「蕾がほころぶ」という意味もあります=「かたく結ばれていたつぼみや表情が少しほどけはじめて、やがて満開に、笑顔になる。」という意味。
そして切なさの「切」というのも本来「切に願う」という意味があり、実は「切なさ」には「大切に思う」などの意味もあると言われています。つまり「日々が過ぎていくことでやがて蕾が開くことを大切に思う」という意味ではないでしょうか。日が過ぎないと蕾は開きませんから。
ここは過ぎていく日々に切なさを感じつつも、同時に成長であったり、次の季節にはまだ見ぬ景色が待っていて、そこへの期待というような肯定的な捉え方もしているのだと思います。
「伝えたい」←これは仲間に対してだと思います。過ぎていく日々のうちに仲間と笑いながら過ごせる時間が当たり前ではないことに今になって気づいた。過ぎていく季節に切なさを感じた今だからこそ、仲間と別の道へ進んでいくときに、自分がどれだけみんなを大切に想っていたかを気づいたかを伝えたい。そして同時に次の季節に広がっている景色の中にどれだけ楽しいことが待っているのか、その期待をみんなに伝えたい。先へ進んでいくことに不安な気持ちではなく、期待を抱かせてあげたい。僕の憶測でしかないですが、そんな気持ちをこの子は持っているのかもしれません。でも伝わる?って伝えにいかずに「伝わるんじゃないかな?」と思えるのは花丸のよく言う「以心伝心」からだと思います。それにおやすみなさん!で話したように、花丸は言葉で伝えることが苦手なのかなって思いますから。伝えたいけど伝えられない。だから言わなくても伝わって欲しい、きっと伝わってる。そう願ってるのかもしれません。
ただ=ただし=だけどもっとみんなといる今の時間を楽しみたい。それと「ただ」「ひたすらに」そばにいたい。という意味があるのではないか?と思います。ずっといつまでも一緒にいたい。この時間に浸っていたい気持ちを表しているように思います。だけど止まってはいられない。
なぜなら「過ぎ去る季節にも意味がありそうで」だから。
ついさっきも述べたように次の季節への期待を抱いていて、そして涙×の歌詞にもある通り「二度とはこない だから愛おしい」です。
2期11話の善子の台詞「きっと二度と同じ時はないから、この時が楽しいって思えるのかな。」「今こうしている事が、たった一度きりだって分かっているから、全力になれる。」
一度しかないから、季節は過ぎ去るからこそ意味があるんです。ずっと同じ時間が続くのならイマという時間を全力で駆け抜ける楽しさが無くなってしまいますからね。
そして、次の季節でまた新しく咲く蕾が「陽」=次の場所はきっと楽しい、明るいだろうというポジティブな想い、「次の輝き」を示しているのだと思います。「ゆれてる」=早く蕾が開きたがっている、そんな次の輝きに向けての期待のような意味が込められていると思います。
咲かせたい未来はいつかの「キラキラ」を指しているのでしょう。真っ直ぐで強い歌詞ですよね。「自分には」と言っていたこの子が「めげない」とはっきり言い切ってますから。今の花丸の「出来るまでの過程」を歩む上で「出来るかな?」みたいなふんわりした言葉ではないんです。これも確かな成長だと思います。
そのために自分には何が「できるかな」という意味でさっきの「出来るかな?」とは全く違う意味です。
「自分の想い」←花丸の情熱を表しているのだと思います。それに普通なら先へ進むとき自分を確かめる時、「何がいけなかったか」とか「何をしないといけないか」みたいな計画を立てるのに「想い」だけを確かめるのが。やあ!?行雲流水で「ひとはいつだって考え過ぎかも」と歌ったように、単純なんです。でもその代わり誰よりも熱い想いがありますから。何度も言いますが真っ直ぐな情熱1つで未来を変えてきたAqoursの一員だから言える言葉だと思います。だからこそ「頭」を使って自己分析や未来への計画を確かめるよりも「胸」にある「憧れ」やいつかの「キラキラ」というなりたい姿への「自分の想い」を確かめる。こう言えるのも1つの「自信」の表れなのかもしれません。
あこがれランラランで述べたように花丸にとって「夢」とは「憧れ」のこと。「やってみる」ことが「いつからか本気で叶えたくなってた」に変わったのが凄いですよね。「たくましく」というのにも元気強さというか紛れもない花丸の「自信」の表れを示していると思います。
そして「蕾」とは説明するまでもなく「夢」を表していて、その気持ちへの花丸の本気さを感じさせてくれますね。そのためには止まってはいられない。叶えたい「憧れ」がたくさんありますから。
「立ち止まる暇はないよ」って聞くと過去に思い入れはないような言い方にパッと見感じさせますよね。でもそれは違っていて、
青空はイマという瞬間だと僕は思っていまして、日が沈むことで夕焼けに、そして真っ暗になります。でもまた昇って朝焼けになりますよね。思い出もそれと同じで日が昇ると共にずっと心の中に、イマという瞬間と共に生き続けるんです。だからこその未ホラの最後の歌詞の「思い出抱いて 前に…」ですよね。長くなりましたが、思い出をイマこの瞬間も心の中でずっと大事にしているからこそまた次の季節へと進めるのだと思います。
「そのあと」とはこの曲の次の季節というメッセージ的に「思い出」に変わっていくことを示しているように思います。出会いは当然嬉しい、でも思い出に変わっていく。この曲の最初の方で述べたように、遠く離れて今更ながらみんなと日々の大切さに気づいて想いが更に強くなって(深まって)いく。人って失ってからその大事さや感謝に初めて気づくことっていうのもあると思いませんか?そのような気持ちと少し似てると思うんです。いくら思い出として大事に抱きしめていても2度と来ないですから。誰だって辛いはずです。
だからこそ前のサビで「蕾はいつか開きたいものでしょ!」と歌っていても、やっぱり「そばにいたい」という気持ちは変わらない。進む時期は止められないからどうしようもない、何もできない。でも次の季節への期待もある、だからモヤモヤという意味での胸騒ぎがするのだと思います。しかしここまで「期待」→「淋しさ」→また「期待」と繰り返して葛藤を描いています。最後の歌詞は「過ぎ去る季節にも意味がありそうで つぎの蕾が陽を受けてゆれてる」という肯定の歌詞。だから最終的な花丸の過ぎていく季節への気持ちは淋しさではなくきっと「前向き」なはず。
淋しいけど思い出としてずっと花丸の中に残っている。そんな想いを抱いて花丸はいつかの「キラキラ」に向けて次の季節へと進んでいく。
勇気も自信も元々まだなかったこの子ですがこの2点においては誰よりも成長したなって思います。叶えたい夢、なりたい姿を目指して自由に追いかけ続ける花丸の姿が大好きで、そんな彼女のこの先を僕はどこまでもついていきたいです。
以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました。