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インテリ説教理論になっているフェミニズム~結論:フェミは終了している。

アパートの部屋のテレビでISS中継見ながらカウントダウン一緒に祝ったMacの女子高生とスカイプで話した事がある。「フェミニズムってどう思う」帰ってきた返答は「それはどこの教団の教祖様ですか」。多分「〇〇大聖人ってどう思う」「〇〇先生の本は本当に真実を書いているよ」「〇〇尊師の教徒アニメーション見てみなよ」という勧誘だと思ったのだろうな。

私は技能系で文系ではない。フェミニズム理論や歴史は知らない。ただ学校の教室の同性の友達やBLの友達で、職場や社会におけるセカンドレイプやお父さんの権力は絶対、お母さんに将来の制限や親族の中での役割分担を強要していいと考えている人はゼロである。たかだか食堂のネーミングで保守的な制度を最高だと思う女の子はいない。てかそんなこと経済的に許される社会でもないことはわかっている。だがなぜ大勢の女子高生はフェミニズムに興味を示さないのか。理由は簡単「価値が全校集会の校長の話レベル」だからだ。

学校の体育室の全校集会の校長先生の話を教室に帰って机で「ねー、校長先生(ザ・ヘッド)の話どうだった」と会話する子はいない。そして校長先生の演説とフェミの主張は驚くほど似ているのである。

まず「この社会では」「~だという自覚をもって」という文を多用する点。次に「高校生の在り方」というのをやたらと定義したがる点だ。私は個人的には自分の学校の校長は好きだしこの学校を選択して教室で勉強している以上は、まーちょっとくらい長話も聞いてやってもいい(それを正解と認定するとは言っていない)。だがフェミニストという誰かもわからない存在がその単語で自分らの在り方に口出ししてくるのは「誰やねん」としか思えないのだ。

博物館の展示ルームのグラフィックコンテストで女子高生がメイドが下着見せている作品で賞を受賞し話題になった。だがそれに対して―多分エリートサラリーマンなのだろう―「こんな作品を作る女子高生は私生活もエッチなんだろうな、イクイクイクッ」的なRTやリプを出したのである。

さて、このような間違いなく社会の中で勘違いをして製造されたセクハラ男性の被害にあっている女子高生に対して、フェミニストたちはどんな対応をしたのだろうか。どんな対応をしたのだろうか。どんな対応をしたのだろうか

ご存じの通りである。「この女子高生は男性に媚びてHな絵で入賞した」と断じたのである。その結果女子高生はツイートを消して、おそらく学校か親族に言われたのだろう、やってきた仕事をすべて断った。一人の女子高生の才能がチャンスが潰されたことについて、フェミニストは「未成年者とはそういうもの」と断じた。この瞬間私は「フェミニストは終わった」と思った。なぜ「どのようなデザインを書こうが本人へのセクハラは許されない」と言わなかったのだろうか。

そして別の女子高生が「お母さん食堂」が女性への役割分担を肯定しているとしてネーミングを変更すべきという署名を集めた。この時フェミの言論はこうだった。「あれだけ美術館のメイドグラフィックでは女子高生の自由を主張して、この署名は否定するんだ。ダブルスタンダードだ」「この社会での女性運動の歴史を知らない人間がこの署名を否定するんだ」「ちゃんと勉強しろ」。そうだな。フェミニズムの歴史を勉強しないとな。そして数日前のフェミニズムの事例史を閲覧しただけで思った「こいつらの頭を体育館バスケリングにダンクしてやりたい」。

ちょっと補足するが、私自身は「お母さん食堂のネーミングはそのままで構わない」という人間である。あんなのは都立大学や18切符、化粧室、ご休憩ホテルと一緒だ。都立大学は都立大学にないし、18切符はR18でもないし、化粧室の洋式便器は自動でケツコスメはしないし、ご休憩ホテルで休憩だけする人は少数だろう。男女平等を目的とするうえで行政用語ならともかく商標に過ぎないものが「実態に即していない」という理由で変名させられるなら、それは手段を間違えている。本当の男女平等はこんな単純化されたネーム変更で達成されるものではなく、個別の事例を丁寧に論じて差別被害者に寄り添って解決していくしかない。Twitterでは知らんが、実際に男女役割分担の強制に苦しんでいる女性で「お母さん食堂」を問題にしている人はそんなにいないはずだ。「そんなのどうでもいいわ!」というのが大勢の彼女たちの本当の心理のはずである。今パターナリズムや男女不平等役割強要に苦しんでいる人には、経済、二世信者問題、福祉問題などが複合しているケースも多い。「男女平等思想」とセットで「個別問題に対応する」事が必要である。

美術館の展示ルームに作品を提示して受賞した女子高生にある人権は「自分の作品を安全に展示する権利」であるが、食堂ネーミングの女子高生の署名は「他者に何かを求める行為」だ。仮に後者が女性役割強要を批判する目的で作った「みんなで作ろう保護責任者食堂」という作品を作ったとして、それに対して「フェミwww」「パヨク」と笑いながら彼女の学校や自宅を特定しようものなら(もっと言えば今やっている署名活動においても彼女の安全は絶対尊重されなければいけない)、そんな最低なユーザーがいたら、私は強く批判する。だが「他者に何かを求める」署名である以上、是々非々で評価されるのは当たり前である。だがそれは「安全じゃないからダメ」では絶対にあってはならない

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さて、ここからが本題である。

フェミがよく利用する「勉強しろ」に私は非常に違和感を持っている。おそらくフェミをやっている人は大学に行っているか、大学の先生か、大学の先生の本をいっぱい読んでいるのだろう。

確かにそれは大事なことではある。それはトランプがQみたいな反知性主義、科学否定主義者によって大統領になって、アホみたいなCOVID-19対策をやって犠牲者が30万人という事を考えれば、ちゃんと本を読んで勉強して資格がある人の意見を重視することは大事なのである。大事なのだが、実はここにインテリフェミの多くが勘違いしている事がある。

実は学者というのは専門範囲しか知らないことが多く、一つの問題について一側面からしか述べることが出来ないのである。アホな政治家は理解していないが、技能の人間が開発した理論を福祉に利用するために文系の専門家による議論が、そしてそれが悪用されないために法律の専門家などが議論をしなければいけない。一つの問題を一分野の専門家が解決出来る事例ほとんどないのである。

例えば「女子高生が美術館の展示ルームに作品を設置して賞を受賞してヤバい男性に注目されて…」という事例を見ても、フェミニズムのアプローチも勿論考えられるが、連中の場合「このグラフィックを作った女子高生はフェミニズム的に見てどうなのか」しか考えていないから、「男に媚びてこんな受賞をしたのだから未成年者を守るためにも受賞も仕事も停止すべき」という、表現を安全に提示する権利「…」子どもの権利条約「…」な結論が出るのである。つまり今のフェミニズムはインテリの玩具にしかなっていないのである。

他者に「特定の在り方を強要」し「人権侵害ではないか」という指摘に一つの学問の分野を勉強したからって「勉強しろ」という高慢さ。こいつらこそ「女子高生への役割強制」ではないか。

まー、私の体感なんてMacの女子高生レベルの信憑性だけど、多分美術館の女子高生と彼女を応援している友人には、間違いなくお前らの正体はバレている

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