「洗脳被害者」は300万人はいるんじゃないか?

議員さんとかが暇つぶしに読むときは3章「議会・行政が問題を認識すべし」だけ読めば文章の大意はわかるようになっている。

202X年のある日貴方は朝起きてTwitterでトレンドをチェックする。そこには「死刑執行」の文字とともに植松聖の執行が報道され、その下にトレンドで「300万人」の文字が。「COVID-19感染者が100万人もいたのか」と思ってクリックすると「社会や友人知人家族と隔絶させられ、衣食住全てを他者に支配されている20歳以上の人が300万人いることが信州国際大学の調査で分かりました」というニュース記事が。

そしてTwitterでは様々な意見が交わされ、AbemaTVあたりでネタにされ、「大人になって他人に支配されるのは自己責任だろう」「コロナで不景気だしこうなるんじゃないかと思っていた」「さすがヘル日本」などとコメントが寄せられる。

「洗脳監禁犯罪」でよく例題に出されるのは2001年発覚の北九州監禁殺人事件と2012年発覚の尼崎事件である。それ以外に福岡リサイクルショップ事件、大宰府主婦殺人事件、大阪養子縁組事件、そして篠栗男児死亡事件などが知られている。さらにもうちょい調べれば香川弁当屋事件、滋賀男性監禁致死事件、松山アパート少女衰弱死事件、加古川未成年者暴行事件、ビ・ハイア事件、岡山人感センサー事件、酒々井女性監禁事件などが挙げられる。いずれの事件も加害者が被害者に脅迫や暴力などで学習性無力感に陥らせ、被害者の衣食住全てを管理して通貨社会から隔絶させ、全てを搾取し命まで奪う事件である。家族と隔絶させて似非家族を作ったり、逆に家族を巻き込むケースも多い。

私がこの「洗脳監禁事件」において主張したいのは次の3つである。第一に「被害者は想像以上に多く、そしてコロナで増加するであろう」という事、2つ目は「洗脳事件」と言っても形態は多様であり、単純比較は不可能であり、個別事件を丁寧に論じていかなければいけないという事。3つ目は「行政がこの現象に名前を付けて対応方法を確立しなければいけない」という事である。

被害者は多分何百万人もいる

ここでの「被害者」の定義は「誘拐などの手段ではなく社会の中でそれ自体は合法的な関係においてつながった他人によって、衣食住を管理され金銭を管理され、社会から隔絶された状態で不当な暴力や搾取を受けながら、精神的物理的理由で脱出出来ない20歳以上の健常者」と定義する。未成年者と障害者への虐待はまた別の問題ととりあえず考えたい(水戸事件や野田虐待死事件など)。

私はおそらくこの被害者は何百万人も存在していると考える。理由は次の3つである。2以外は統計とかではなく私の感想なので異論は認める。

①コロナや格差社会でフルタイムで働いても普通にアパートで生活して衣食住を自分で管理運用する事が不可能になっている人が多いという事。森永卓郎は「年収100万円時代」と言っていたが、現実はもっとひどい事は明白である。下手すれば「洗脳囲い込み被害者が労働者の中核をなす」という時代がン十年後に来るかもしれない。

②20歳以上の健常者の場合、「他者に囲い込まれる被害者になりうる」という認識を行政も大学も司法も認識していない。「洗脳事件」を総括する用語もなければ、どれくらい今現在このような状況にある国民がいるのかという大雑把な推計すら出ていない。民事不介入とか労働問題とかいう理由で警察はめったに動かない。

③中高年の引きこもりが50万人いるんなら、他者に社会から隔絶された囲い込み被害者がその数倍いるのは間違いない。中高年で引きこもれる人間なんて圧倒的に少数なんだから。でも引きこもらざるを得ない状況(本人の強さや勤勉さとは関係ない)に追い込まれる人は経済状況関係なく存在するだろ。

以上、適当なことを主張したが、実のところ私は「300万人洗脳被害者がいる」と強く強く主張したいわけではない。私が主張したいのはここからである。

洗脳事件とされているものは「なんとかサロン」「怪しいデブのババア」「病的な嘘つき」によって引き起こされるとは限らない。よく「この世界に洗脳は満ち溢れている」という人がいるが、そこでよく提示されるおかしなサロンおかしなデブの恫喝者が出てくるのは最終章手前である。その前に人が囲い込みに物理的に追い込まれる社会的状況が存在するのである。経済状況、警察のへぼさと行政や議会が実態調査すらしない現状、ニュースで「〇十万人が〇〇」という突拍子もない数字が出てくる状況。「洗脳囲い込み」は精神的問題ではなく物理的問題なのである。よってこれは「社会が総当たりで解決する問題」なのだ。

北九州と尼崎は違う

洗脳と一口に言うが、私は北九州と尼崎は全く違うと思う。よく2つの事件は比較されるが、尼崎は洗脳ではない。主犯のババァが率いていた「金髪デブ集団」によって物理的に多くの一家が監禁されていた。脱出した人もいたのだが、警察がヘボすぎて脱出した被害者が連れ戻され殺される(警察は情報を知らせるなどその手伝いまでしていた)。勿論中には加害者に迎合した家族の女性もいたのだが、自分が殺されないための適応であり、少なくともちょっと努力すれば脱出できるのにそう思えなくなる「学習性無力感」とは違う。物理的に助かる道はなかったのだ。これは大宰府の事件も同じである。

このように「洗脳監禁事件」と言っても状況は全く違うのだ。こういう事件は個別に論じなければいけない。「洗脳」という言葉で単純化せずに「総括はしつつも個別に丁寧に評価する」「様々な状況があることを把握する」事が必要だ。それよりもやってほしい事がある。「洗脳」という言葉ではなく「スラップ訴訟」とか「DV」とか「ハイジャック」とか「シーライオニング」とか「TERF」とかみたいに、何でもいい、何か定義づけられる明確なネーミングが必要だ

行政、議会が問題を認識すべき

「洗脳によって囲い込まれて搾取されている人」が殺されたり鍋で煮込まれたり虐待されたり埋められたり、加害者になって家族を死なせてしまったり…そういう事件が起こるたびに「松永太を思い出す」「角田美代子を思い出す」「九州はやっぱり修羅の国」とかよく言われるが、もうそのフェーズを繰り返すのはやめるべきだ。

私が強く主張したいのは、行政と地方議会が以下のプロセスを実行する事だ。

問題について適切な言葉を与えて定義を定める事

実態調査

問題に対応できるよう法律や条例、行政のシステムの整備。勿論思想、良心、私生活の多様性などが不当に介入されないように様々な議論を透明な形でしていく事だ。

そして教育。自分が囲い込まれないように、友人が囲い込まれたらどのように対処すべきかをきちんと教育する事が大事だ。


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