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上手に伝えないから誤解される。

当たり前オブ当たり前の題名。
これは他人を誤解した人の言い訳ベストワン。

さらには、「あなたと言う人間はこういう人間だから、どうせこういう出来事を起こす。」
という、私刑に近い印象の押し付け。

それはあなたの中にある偏見そのものじゃないのか。

私は良くこんなことに出会う。
その度に、「殺人犯にだって弁護士は付くのに。」そう思ってきた。

かつて神に祈りを捧げていた時、
神の悲しみに連動して、いつも号泣していた。

そのたび「何があったのか」
と聞かれたのだが、何もクソも神の悲しみについては耳にタコが出来るほど聞かされてるのだから、そこにいるメンバーなら誰でも理解していると思っていた。

なのに、勝手に「自分酔いの悲劇のヒロイン」と印象の押し付けをされていた。

その現実に気付くまで随分時間はかかった。

自分の悲しみに酔って泣いていると思われるなんて、小指の先にも思わず傷付いたが、結局の所、私を非難した人たちのほうが悲劇のヒロインそのものだったのだろう。

信仰を持ってすらそうなのだ。

人は自分の中にあるものしか、相手の中に見い出さない。
泣いていれば自分が悲しい、と単純明快に決めつけて、私は泣いてないのに、あなたは平気で泣き叫ぶと非難する。

ブーメランという言葉があり、自分の落ち度と同じ落ち度を相手の中に見い出して責める人を揶揄して使われる。

ただ、極めて残念なことに、
ブーメランという武器は、投げた本人は簡単に受け止めて知らん顔。
投げて当たった相手は、そいつの獲物となる。

良く出来た例えだと、うがった考えを持った目で見てもそう思う。


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