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ユコユコ的カイエ#2           time flies like an arrow

「なんで、君はこの会社に入ったの?」

彼女の質問は、この言葉で始まった。

「えっ、なんでって?ここしか内定もらえなかったから?かな」

本当は、後一社関西の大手電気メーカーからも内定を、もらっていたのだが何故か自分は、そう答えていた。

「何社面接受けたか覚えてないよ!もう落ちまくり、、、なんせ大学時代は、バンド活動とバイトに明け暮れてたし、ちょうどTVゲームが、流行り出した頃だったから、喫茶店でインベーダーゲームばっかやってたから、優の数もせいぜい10個って感じだったしダメダメだったから、、、」

「そうなんだ、じぁ、この会社は運命の会社だったんじゃないの?」

「そうかもね、、、」

自分は、運命論者じゃ無いけど、この会社(外資系の保険会社だったのだが、、)に入れたのは、何となく人生の予定表に書かれていた気がしていたのは、事実だった。

何か人の役に立つ仕事、、困った人を助ける仕事に就きたいという気持ちは、あった。

そんな気持ちを後に会社の先輩に言ったら偽善者の様に思われたので、それ以降は、あまり言わない様にした。

「営業を希望したの?君は、社交的な人なのかな?」彼女は、笑いながらそう聞いてきた。内心、俺の事は、営業向きでは無いと思っていたのかもしれない。

「ううん、本当は、保険金の調査員になりたかったんだ。だから査定部門を希望したんだけど、、」

「えっそうなんだ、でも他の人は、皆んな査定に行ったら会社辞めるとか言ってたよね?」

そう、事実査定に配属されて会社を早期に辞めてしまった奴もいたし、自分(地方出身者は、千葉のアパートに2人一部屋の共同生活をしていた)の隣部屋のSは、査定に配属が決まり、落ち込んでいた姿も見ていた。

「そう査定は当時は、人気なかったよね?」

(その何十年後では、査定の方が人気になったらしいが、、、)

「でも、営業に配属された奴は、俺は俺は的な上昇気質を前面に押し出す人間が多くて、自分は、査定に配属された奴の方が好きだったな」

「そうね、G君とか、I君とか皆んないい感じの人が多い気がするね?でも保険会社の査定は、気前良く保険金を出すわけにはいかないから恨まれる事も多いのかもね?」

「うーん、そうかもね」は

、、、、

自分の会社人生を振り返った時、旅行の保険の営業部門に配属されて、赤坂に6年、有楽町に3年、そして名古屋に3年(名古屋支店のクラークと結婚)大阪、京都と会社人生の半分は営業だった、、京都で色々あって営業から業務に軸足が移って行き、全国の小さな旅行会社を一括取りまとめるセンターの責任者や、業務の責任者を経て2007年から8年間は旅行保険の業務の責任者として商品開発から保険金支払いまでの最初から最後までの管理を担当していた。そうそう2006年には、

大腸がんが見つかったりして大変な時期もあったんだ。

(いろいろあってキリスト教プロテスタントの"洗礼”(バプテスマ)を受けたよ・・・)

「そんな君がなんで会社辞めちゃったの?」

彼女は、不思議そうにそう聞いてきた。

「まぁそれも色々あってね、、辞めたくて辞めたわけじゃないんだけど、、給料1年分退職金の上乗せもあったし、、」

そんな自分は、今、医療アシスタンスの会社で働いている。主に海外旅行者が海外で病気やケガをした時に病院を手配したり、病院と被保険者の間に入って色々お手伝いする業務をやっている会社だ、、

給料は、保険会社時代の半分にも満たないけどそれなりに気に入っている仕事だ、後2年は、頑張らないと(まだ、家のローンや、子育ても完了してないので、、)

「定年後は、どうするの?」

「会社辞めた後は、まずは、キャンパーになって日本を旅行したいと、、思ってる。

後、そうね、ジャズギターを少し真面目に今練習してる。高っいーギターを30年前位に買ってほとんど弾いて無いので、、

あっギターはコレクター?の様にこれまで70本以上買ってる。もう病気、、、

今でも30本位持ってるんだけど、、宝の持ち腐れ状態、、、」

「あぁ完全にそれは、病気だね?それは、治らないでしょ?」

「治らないね、、」

「仕事は、後2年か?頑張って、、、」

「うん、ありがとう」

「じゃまた!」

彼女は、そう言うとニコッと笑ってくれた。

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