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新年から魔女

2025年が始まってから(もう?)半月が過ぎ1月ももう後半。せっかくnoteを使うようになったのでもう少し続けてみよう。
私の年初めは家族・親戚との楽しいお正月の顔合わせから始まった。と、思ったらすぐに母の入院と、去年から引き続きの仕事でちょっと慌ただしいスタートを切った。昨年はあたラボを通じて掛川東病院と繋がったので、今回の母の入院の際はどこか落ち着いている自分がいた。病院自体にさほど別世界を感じなかったのだ。

葛藤と決心


朝、母からの電話で様子がおかしいと思い、急いで実家へ戻ったところ母はまったく動けない状態。話を聞けば、前日の買い物からの帰り道、突然足が動かなくなってタクシーで帰ってきたらしい。家に着いてからも動けないままひとり夜を明かした。私が着いた後、辛そうではあるものの話はできるし、即救急車!という感じには捉えなかったため、お昼頃までは水分補給やら、軽い食事を摂らせ、横にならせて様子を見ていた。でも「痛い、おかしい、痛い、おかしい」と連呼。タクシーで病院にけばいいか。でもタクシーに乗り込むことはできるか?運転手さんに手伝ってもらうか?。悩む、どうしよう、やっぱり救急車?いやあ…。そうだ、救急車を呼ぼうか迷った時のあそこに電話してみよう。“千葉県救急安心電話相談#7119”。ところが電話をするやいなや「現在時間外のため…」のアナウンス。え?平日の昼間、千葉県にある実家から電話した先の救急安心電話相談は、どうも18時から翌日8時の間に限られているようだった。ちなみに私の住む東京は365日24時間相談受付している(東京消防庁救急相談センター)。
実家からは、歩いて5分くらいのところに総合病院がある。母がいつもお世話になっている病院でもある。すぐそこに病院があるのにすぐ行けないもどかしさ。救急車?呼ぶ?えー、どうしよう。もっと重病人や重体の人がいたら、と思うと、悪くてなかなか呼ぶアクションに繋がらない私。つい最近も緊急でないのに救急車を呼ぶ人が多いという困ったニュースを見たばかり。自分の行動にもブレーキがかかってしまった。その間母はというと、あったかいたまごスープを弱々しい声で“おいしい”と言いながら口にして横になって安静にしていた。大丈夫かな?でもやっぱり見てもらって原因がわかったほうが安心するし、やっぱりタクシーで病院に行こう。その前にトイレに行きたいという母をトイレまで連れて(立てないので座布団に乗せて引っ張って)行ったものの、今度は便座に乗せられない。重い、重い、思ったより全身の力が入らない人の体は重い。歳をとって痩せてきたからとナメてた。その時、人生初めての“ギックリ腰”を経験。ドイツでは“魔女の一撃『Hexenschuss』”というらしい。おっしゃる通り、そんな感じの一撃をくらった。でも母を支えなければいけないので、お互い狭いトイレ内で抱き合っているという、側から見たらなんとも変な姿。私は笑いが込み上げ腰が痛いのにもかかわらず吹いてしまった。笑うと余計痛い。なんとか便座に座らせた後、やっぱり立ち上がれない母の姿を見て悩んだ結果、救急車を呼ぶことにした。その後10分程度で到着し、さすがはプロ、その後は安心の対応。救急車には20代の頃、交通事故にあったときに当事者として乗った経験があるが、どんな車内だったか、どんな対応だったかなんて一切おぼえていない。今回は付き添い人として便乗したので、周りを見る余裕があった。救急隊員もテキパキと無駄のない動き。1日何回出動するのかな、毎回毎回違う対応で大変だなとか、もう感謝と尊敬の気持ちでいっぱい。でも我々の他にも救急搬送される人が多いせいか、搬送先の受け入れまでには少し時間がかかった。やっと搬送され病院で待つこと1時間くらいの間も、救急車は何度もサイレンを鳴らして病院へ来ていた。


しばらくして先生から説明を受ける。「寛骨(かんこつ)にね、ヒビが入っているので即入院ね、今日は帰れないから。」そっか、だから痛がってたんだ。原因がわかってよかった。幸い手術することもなく、安静にして骨がくっつくのを待ちながらリハビリをしていくという。検査をしてくれた病院はベッドの空きがなく、少し離れた病院に空きがあったので改めて救急車で移動。あのまま病院へ行かず様子を見ていたら、と思うと、救急車呼んで見てもらって入院できて本当によかった。医療従事者の方々に感謝。

入院から1週間が経ち、急性期から回復期になった母は病棟も変わり面会もできるようになった。さてこれから毎日リハビリ、リハビリ。リハビリして早く家に帰れますように。そして私はいまだに痛い腰のために整体にお世話になろう。

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