大橋 博 桜井先生の思い出
桜井先生とは造形大学で非常勤講師を始めた2002年から出勤日が同じこともあり、準備室にて、たまにお話をさせていただきました。
当時の造形大学は学生数も多く、のんびりした校風の中での指導だったように思います。ご存知の通り、アトリエではモデルを囲んでの塑造制作が中心で、桜井先生はその中でスケッチブックをかかえてデッサンをしていました。たまに学生から質問されたりすると作品について意見されてたように思います。積極的に指導するというよりは見守っているといった印象があります。私はどちらかというと美術予備校での受験指導の経験もあり、学生に対し色々と意見してしまう傾向があったもので、そんな先生の姿勢に対して少し物足りなさを感じたこともありましたが、先生のお人柄や考え方に触れるうちに逆に自分自身の反省と安心感を持つようになりました。学生と話す先生には私と話す時と同様に優しい言葉の中に実直で厳しい姿勢が伺えましたし、学生は遠慮がちに先生のデッサンを盗み見しながら学んでいたようです。学生に学ぶ姿勢を教える授業だったと思います。
先生が武蔵美の絵画出身だったということも非常勤の時に初めてお聞きしました。なぜ彫刻を始めたのかと質問したところ、それほど明快な目的があったわけではなく、顔に興味があったこと、たまたま石屋さんと縁があったことなどを挙げておられました。その自然体な感じが自分にはとても新鮮だったように思います。当時、私は造形大の講師で一番年下でどちらかというと現代美術のギャラリーでの発表を行っていたために一部の教員からは眉唾もののように見られていたように思います。そんな中、先生は展示にかならずいらっしゃってくださり、少なからず感想をくださいました。
先生の作風や発表の方向性が「こういう展示や考え方は初めて見た」とか「あの素材は何を使っているの」とか、興味とともにその全てが肯定的だったことも覚えております。
最後に、私が学生の頃の思い出を書きたいと思います。
造形大学の2年生の頃です。無駄に熱量過多の時期だったせいもあり少し息苦しさも手伝って、大学の外に自分のアトリエを借りたいと思い、なぜか先生に相談したことがありました。答えは「学校で頑張ったらいいよ」でした。シンプルなこの言葉で大学で頑張ろうと思えたことを覚えています。おそらく不満と不安を聞いて欲しかったのでしょう。その後落ち着いて卒業できました。また、西八王子に住んでいたたため、京王めじろ台の駅をよく利用していました。桜井先生の作品をよく見ていました。
思いおこせば先生には彫刻人生の節目に大切なアドバイスをいただいた気がします。
20190729 大橋 博
↑写真:京王めじろ台駅前の作品 微風
↓写真:老牛
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