青野正 ・ やよい 「彫刻は時間の芸術」
宮地豊君より、連絡を頂きました。
桜井さんのご容態を伺い、心を痛めております。
お父様のこと、明確なエピソードとしている訳ではありませんが、
お伝えしたい気持ちのままに書きます。
どうぞお許し下さい。
時期は少しずれていますが、共に、学部時代は石彫をし、新制作に出展。
その後、研究室に在籍と、長く大学に居りました。
もう40年近く、随分と前のことになりますね。
あの頃の彫刻科、特に石場は、家族の様な雰囲気があり、毎年春から夏にかけ、石彫場を訪れる桜井さんは、若い叔父さんの様な存在でした。石を買いに遠出するときなど、皆で頼りにさせて頂きました。
夫は、桜井さん運転の軽のワゴン車に乗って、4人で郡山までウキガネ石を買いに行った事。毎年、新制作出展のため、石場で桜井さんはじめ皆が毎日顔を合わせ、雨の時も、炎天下も、等身大の石と格闘していた事を思い出しておりました。
また、そういえば、桜井さんの娘さんが獣医になりたいらしいと相談を受けて、獣医だった妹に連絡を取ったこともあったなあ。とも話しておりました。時折娘さんたちの話をされていたのでしょう。
私も早くから、桜井さん宅のお子さんは皆、お嬢さんと存じておりました。
私の方は、時々石場から駅まで車に乗せて頂く際に、少しお話しするくらいでしたが、小娘でも必死に彫刻に向かっている、そのことを認めてもらっている。そんな対応をして頂いたことを記憶しています。
当時大学では、入学して最初の粘土は、近くの老人ホームからモデルに来て頂く「老人の首」でした。忠良先生の「彫刻は、時間を形にする芸術です」
この一言と共にスタートし、自分の3倍以上生きているお爺さんたちの人生、その時間を想像することさえできず、皆、打ちのめされるのでした。
「首」は本当に難しい。
構成や材質、色々な要素で表現できる他のものとは違って、人として感じる強い心がないと「首」は作れないのだと、今は思います。
桜井さんは「首」を作られていました。
生意気にも、作品に人柄を見る悪癖を持っていた私は、家庭を持ち、娘さん達を育て、時間をやり繰りしながら、穏和で淡々と制作活動をされていた桜井さん自身の真摯な姿そのままを、首の作品に見ておりました。
学費を稼ぎながら、なんとかずっと作品を作り続けようと足掻いていたその頃、狭い彫刻の世界で、口が先立ち、力を求めがちな諸先輩方とは一線を画す、寡黙に制作する桜井さんの姿に、信頼出来る大人の生き方を見ていたと思います。
忠良先生が仰っていました。
「僕も、多くを語り、多くを見せたくなってしまう。ギリギリ落ちない様に自分に問いかける。これが難しいんだ。」
彫刻は続けることだけでも大変ですが、(夫は続けており、私は30代に病気を機にやめました)真摯に向き合いながら続けることが、本当に難しいと思います。
忠良先生が掲げた命題。
「彫刻は時間の芸術」
桜井さんは今もこれに向き合い続けている。そう思います。
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我々が新制作出展を止めてからも、
イベントの時などで、変わらず優しく声を掛けてもらったね。
それも、もう遠い日のことなのか。。
ご無沙汰してしまったね。。。
初老夫婦の会話です。
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造形大学高尾校舎時代
城山城趾入り口の鳥居の手前
巨木の山桜の下にあった石彫場。
花びら舞い散る中、
また、夏の強い日差しが照り返す中に、
カンカンと、力強くのみを叩く 若きお父様の姿を
ご想像頂ければ 嬉しく思います。
心より
祈りと お見舞いを申し上げます。
2020.2.2 青野 正 やよい
横になる人 津山郷土博物館設置作品( 旧津山市役所玄関前)