カーンチープラム観光 l インドの歴史や神についてちょっとかじる旅
カーンチープラムはチェンナイから西に車で2時間弱ほどで行ける、ヒンドゥー教の7大聖地。
パッラヴァ朝の古都だ。
はて?パッラヴァ朝?
世界史の授業で聞いたことあるような、ないようなである。
世界史図録を見ると、グプタ朝〜ヴァルダナ朝がインドでメインに栄えた時代に、南の方で栄えてた国のようだ。
ヒンドゥー教が仏教を飲み込んで盛り上がっていた時代、というイメージがある。
さて、このカーンチープラムの当時の繁栄ぶりは素晴らしく、1,000軒以上の寺院が建っていたそうだ。タミルナードゥの中心は現在チェンナイに移っており今はもう小さな街だが、多くの寺院が残っていて連日巡礼者が集まる。
この歴史的な聖地の寺院巡りはしておかないと、と思い、週末に出かけることにした。
ヒンドゥー教寺院は12時にいったん閉まるので、早めにチェンナイの自宅を出発する必要がある。
半分寝たまま、ぼーっと車の外を見ながらチェンナイを出る。
ところでチェンナイに来たときから気になっていたのだが、敷地を区切る塀にはガラスの破片がよく埋め込まれている。
侵入者(動物も)除け?なんだろうか。鳥がちょうどこの上にとまっていたので、鳥類には効果がないようだ。
出発早々、車の中でチャパティを食べる。
ドライバーの R さんは奥さんが料理上手で、朝食をくれたりスイーツをくれたりするのだ。
この日はチャパティをくれた。くれるときに限って自宅で朝パンをしっかり食べてきているのでお腹ぱんぱんだったが、とても美味しかった。
ここになぜピンクガネーシャがいるかと言うと、この日はガネーシャの誕生日のあとの最初の週末で、ビーチに寄って海に流そうと持ってきたのだ。(ガネーシャ生誕祭では3日間お供えしたあとで像を海や川に流すという決まりがある。日数は地域によって異なるらしい。)
しかし、この日は誕生日から数えて4日目で、R さんいわく、流すのは奇数の日がいいらしい。なのでこの日は単に車に乗せて運んだだけになった。
カーンチープラムでは、シヴァ派寺院の集まるエリアとヴィシュヌ派寺院の集まるエリアが分かれている。
ヒンドゥー教には、シヴァ派とヴィシュヌ派という派閥があるのだ。どちらの神を最上位とみなすかで2つに分かれるらしい。
・シヴァ:破壊と再生の神。妻はパールヴァティ、息子ガネーシャ
・ヴィシュヌ:維持・守護の神。10の化身がいる、妻はラクシュミ
あまりこだわりはないので、今回は観光地としても有名な方のシヴァ派テリトリー(シヴァカンチー)の寺院をまわった。
まずは一番大きなエーカンバレシュワラ寺院へ。
今回の note、知識的な記載は主に以下の書籍を参考にした。
・まちごとインド 南インド 003 カーンチプラム 寺院で彩られた「黄金の街」 まちごとパブリッシング株式会社 2016
・ヴィディヤ・デヘージア 岩波 世界の美術 インド美術 岩波書店 2002
① Ekambaranathar Temple エーカンバレーシュワラ寺院
1509年に建てられた、カンチープラム最大のシヴァ派寺院。
創建はパッラヴァ朝時代であるが、増改築の末、16−17世紀のヴィジャヤナガル朝時代に今の姿になった。200 m 四方の広大な敷地で、南インド五大リンガ(男根)のひとつが祀られているそうだ。
ちなみに男根はシヴァの化身で(生命力と豊穣のシンボルということらしい)、シヴァを祀るところには必ずある。
トラヴィダ式のゴープラム(塔門)は57m の高さがあり、細かいレリーフが彫られている。
チェンナイで一番大きなカーパーレーシュワラ寺院のゴープラムが40mなので、それよりちょっと高い。
カーパーレーシュワラ寺院を訪れた記録はこちら。
南インドのトラヴィダ式寺院では寺院を囲む壁の正面や四方にゴープラム(塔門)が置かれ、そこに神話のレリーフが緻密にびっしりと彫られている。
この様式は中世以降もイスラム教徒の統治を受けなかったタミル地方で発展し、古い寺院ではゴープラムと本堂のバランスが取れているが、時代が経つにつれてゴープラムは徐々に高くなっていったそうだ。
このエーカンバレシュワラ寺院では、ゴープラムがニョキニョキとそびえ建つように高く造られている。
本殿は入り口をくぐって少し歩いた先にあるが、たどり着くまでの間、何かにつけてお金を払えという人がそこらじゅうにいて声をかけてくるので、緊張感をもって進む必要がある。
本殿の入り口で白い布を巻いたインド人(寺院の関係者を装っているのかもしれない)に通せんぼされ、写真を撮るのもお金がかかるんだよと言われたが、通り過ぎる周りのインド人は写真を撮ったり動画を撮ったりしながら入っていた。
あの人たちはいいのかと聞くと普通に通してくれた。
おそらく外国人観光客をつかまえてお金を取る理由にしているんだろう。
入り口付近は開放的でみんな写真撮影や軽食を取ったりでワイワイしていたが、奥に進むと急に暗く静かで、いわゆる「神殿」だった。ゲームの中のような感じだ。
本堂の奥にマンゴーの木があり、ここでシヴァ神とカーマクシが結婚したと伝えられている。カーマクシはカーンチープラムを守護する女神で、パールヴァティ(シヴァの妻)の化身だそうだ。
古くから南インドの地方にはそれぞれ土着の神がいて、シヴァ神をその土地の女神を結婚させることでシヴァ信仰を融合させるという取り組みがあったらしい。なので、寺院を訪れるとシヴァの奥さん(=パールヴァティの化身)をたくさん見かける。
ちなみにシヴァの化身であるリンガは素通りしてしまったのか、どこにあったのかわからなかった。五大リンガなのに。。
さすがヒンドゥー教7大聖地だけあって、チェンナイの寺院とは格が違った。お参りにきたヒンドゥー教徒も、家族連れでわいわいというより、遠くからはるばるきたよ、という感じを受けた。
このペースで巡っているとすぐに12時になってしまう。
次の目的地カイラサナータ寺院へと急いだ。
② Kailasanathar Temple カイラサナータ寺院
ここはまた歴史に思いを馳せられる寺院である。
パッラヴァ朝の最盛期に君臨したナラシンハヴァルマン2世(呼称:ラージャシンハ)の命により、マハーバリプラムにある湾岸寺院の建築直後、規模を大きくしてここに建てられたそうだ。
8世紀ヒンドゥー建築の傑作と呼ばれる。
以前訪れたマハーバリプラムの記録はこちら。
これを書いた時に比べ今はインド神話、マーラーヤナ、マハーバーラタをざっくり知っているので、楽しみ方が深くなってきたと思う。
この寺院の名前になっている「カイラサナータ」とはシヴァ神の住む天界のことだそうだ。寺院は「カイラサ山」を表現しているらしい。
この寺院は王専用の礼拝寺院で、正面が東南を向いた本殿と前殿、これらを囲む周壁と中庭から構成される。
このカイラサナータ寺院やマハーバリプラムの湾岸寺院は南インド型のヒンドゥー教寺院の始まりと言われており、切り出した石を階層状に積み上げるピラミッド式となっている。
それ以前は岩山の斜面を利用した石窟寺院であったが、それ以降は切石を用い、どこでも自由に建てられる石積寺院が増えてきたという。
現在の南インド寺院の元祖とも言われる場所だ。
カイラーサナータ寺院の外壁には王の称号が記されているらしい。これは寺院としてはユニークなんだそうで、王が作らせたのだからそういう特色があるんだろう。
称号は「ビルダ」といって、ここでは基壇の層ごとに4回記され、それぞれ異なる書体で刻まれている。
理想的君主の人格を表現するもので、「芸術の海」「唯一の英雄」「戦いの勝利者」「恩恵を施す者」などなど、なんと250以上もあったそうだ。
本殿の内部には入らなかったが、中には 2.5 m のリンガが祀られているそうだ。
ちなみに本殿・前殿という配置は、前殿を女性エネルギーであるシャクティの具現、本殿を男性エネルギーであるプルシャの具現として説明する古代のアーガマ聖典を反映しているらしい。何がなんやら。
寺院内をぐるっと回った動画はこちら。
ここは先ほどのエーカンバレシュワラ寺院に比べると人が少なくてこじんまりとしており、ゆっくり回れるのがよかった。
しかし、彫刻を堪能したあと腰掛けて休んでいると、ここのスタッフという人が話しかけて来ておしゃべりを始めた。途中から聞いてもいないのに寺院の説明になり、ガイドするからとお金の寄付を要求された。(何度も不要だと言って出てきたので払うことはなかったが)
僕はここのスタッフなんだよって何度も言っていたから、スタッフじゃないってことだろう。
でも彫刻が素敵でいいところだった。
③ Sri Kanchi Kamakshi Amman Temple Priest カーマクシ寺院
続いて訪れたカーマクシ寺院は、ヒンドゥー教が成立する以前からこの地で進行を集めていた女神カーマクシを主神としている。南インドでは生命を育む大地と女性が重ねてみられ、アンマン(母神)と総称されていたそうだ。
そう、最初に行った寺院の奥のマンゴーツリーの下でシヴァと結婚したカーマクシである。カーマクシはパールヴァティ(シヴァの妻)の化身とされることで、ヒンドゥー教の中に体系化された。
まだ訪れてはいないが、他の南インドの都市でも土着の女神がそういう扱いになってるんだろうと思う。
古くこの寺院は仏教の女神ターラーを祀った仏教寺院だったとも言われるらしい。
ここは最初に訪れた寺院より相当大勢の参拝客がいた。ちょうど礼拝の時間だったようだ。
本殿に入る通路に人が寿司詰めなのに目を奪われた。インド人は並ぶ時の間隔が近いのでラッシュ時の満員電車に詰め込まれてる風だったが、ここでもこれが日常なんだろう。
敷地の一角でビリヤニを無料で配っており、ヒンドゥー教徒ではないがありがたく頂戴した。美味しかった。
ここの敷地はひたすら広い。本殿のまわりがフリースペースになっていて日直射日光の面積が大きいのだ。地面は熱く、足の裏の皮膚が厚くないと普通に歩くのは厳しい。実際インド人たちも小走りで木陰に動いたり、なるべく屋根づたいに歩いていた。
実は私はインドに来てから健康サンダルをスリッパとして履いており、かなり足の裏の皮が厚いのでどこでも結構大丈夫なのである。
インド人の若者よりは、我慢できる。
奥には大きな人工池と噴水があり、本殿に付く珍しい黄金色の屋根が眺められる。
12時過ぎてしまったので寺院巡りはこれで終了。
いっぱい回っても飽きてしまうのはラダック旅のゴンパでよくわかったので、3つが限度だと思う。
あまりいくつも巡るとありがたみもなくなる。
車を停めた付近までさっきと違う道を歩く。この周囲にはおしゃれなシルク屋さんが多く集まっているようだった。
昼食 SAISANGEET KANCHIPURAM
朝食のあと、ドライバーからもらったチャパティ(+野菜カレー)を食べ、最後の寺院でビリヤニを食べていたので、お昼になっても全然お腹が空いていなかった。
しかし、せっかくだしここで昼食は食べて帰ろうと思って、人気のありそうなお店へ行った。
軽食がもうやってない時間で、大好きなベジミールスとラッシーを頼んだ。
おかずがかなり種類豊富で鮮やかだったのでテンションが上がり、意外と全部食べられてしまった。
南インド料理恐るべし。インド体型まっしぐらである。
ここは入り口のドアの裏(帰るときに見える場所)に、economic meals という安い少なめのミールスという裏メニューがあるようだ。
お腹がすいていなかったのでそれを頼みたかったが、メニュー表に載っていなかった。
歴史や神話が少しわかると、ヒンドゥー教寺院巡りは何倍も面白いことがわかった。
10月にはラーメーシュワラムやティルチラパッリに行くので、新しい発見が楽しみである。初めてのインド夜行列車にも乗る。わくわく。