エジプト旅行③ l アスワンへ。広大なダム湖は氾濫の凄まじさを物語っていた。ギリシャ風の神殿は紀元前でも新しく感じる。
この日は6時出発。
ホテルで朝食が取れなかったのでお弁当をもらってチェックアウトした。
お弁当は、パン(たくさん)、りんご、ジュース、ゆで卵、など、だいたいどこのホテルでも同じ感じ。
本日は空路でカイロからアスワンへ移動する。
朝のカイロ空港はすごい人だった。
国際線で到着したときはとてもスムーズでよかったが、国内線はたくさんのエジプト人でごったがえしていた。
空港に入る時、チェックイン後、ゲート直前、の計3箇所で手荷物検査がある。靴も脱ぐ。
おそらく観光業命のエジプトではテロ対策がとても大事なのだと思うが、それにしても手荷物検査が多すぎて、しかもスタッフの対応が毎回遅いので、すごく時間がかかって大変だ。
ゲート直前の荷物検査では待てないエジプト人団体が大騒ぎしてスタッフと喧嘩し、怒号が飛びかっていた。
さらにゲートから飛行機までのバスも、1台行ったっきり全然来ない。ここでも待たされる。もう出発時間はとっくにすぎているのに、バスが来ないため乗客が乗れないのだ。
飛行機の出発は1時間以上遅れた。乗客が揃うのを待っていたようだった。これだけ荷物検査とバスの手配に時間がかかってたら当たり前だと思った。
観光で稼ぐならもうちょっと工夫したらいいのに、と思う。数年後にはよくなっているといいが。
出発すると、アスワンまでは1時間半くらいで着いた。
飛行機内に携帯を忘れて取りに戻ったら、隣に座っていたエジプト人男性が飛行機の外まで持ってきてくれた。彼はエジプトの民族衣装ガラビアに身を包んだすらっとしたナイスガイで、良い人だった。ブランドもののバッグで荷物をかためていたからきっとエジプトのお金持ちなんだろう。
アスワン空港
アスワン空港は、こじんまりしていてかわいらしい空港だ。
外に出るとむっと暑かった。カイロより気温も湿度も高い。
エジプト人が外でふわふわと談笑していて、みんな柔らかそうな雰囲気を感じた。
ガイドさんいわく、エジプトは南の方が人が穏やかだそうだ。インドと同じだ。
入口近くの芝生とお花もきれいだった。
ガラビア(民族衣装)というワンピースを着ている男性が多く、カイロとは雰囲気が全然違う。
インドのデリーやバンガロールでは民族衣装を着た女性はほとんど見ないが、チェンナイではいっぱいいるのと一緒だ。
空港はアスワン市街の南西に位置しており、まずは近いアスワンハイダムへ。
アスワン・ハイ・ダム Aswan High Dam
ナセル大統領の時代に、ソ連の援助で完成した巨大ダム。
1960 年に建設が始まり、総費用 10億 US ドルをかけて 1970 年に完成した。この時期は中東戦争や冷戦の時代であり、なんでソ連の援助かっていうのは歴史をちょっと思い出す必要がある。
ナセル大統領が建設を検討したのは第一次中東戦争(パレスチナ戦争)後、1954年のことであった。
灌漑用の水路が発達し農業生産高が激増したエジプトでは人口が膨れ上がっており、国民の生活を維持するため、ナイル川の氾濫をコントロールする必要があったのだ。この頃にはナイル川の洪水は必ずしも農業生産に不可欠なものだとは認識されなくなっていたそうだ。
当初はアメリカも資金を援助する予定であったが、アメリカのイスラエルへの武器援助に対抗してナセル大統領がソ連から武器を輸入するなど、ソ連寄りの姿勢を見せたため、アメリカがダム建設費用の援助を拒否した。同時に世界銀行も融資を取り下げた。つまりエジプト+ソ連 VS イスラエル+アメリカ(その他諸国)だった。
スエズ運河国有化によって建設費をまかなおうと決めたナセル大統領は、第二次中東戦争(スエズ戦争)を引き起こした。なんだかんだあったが政治的にはエジプトが勝利しスエズ運河は国有化された。
そこで得られた資金とソ連からの援助でこのアスワン・ハイ・ダムが造られたというわけだ。
クフ王のピラミッドは今から約5000年前に10年かけて造られたが、このダムは現代においても10年かかった。クフ王のピラミッドの17倍もの石を使っているとか。大規模な建設だったので、このダムを入れてエジプトの4大ピラミッドだと言われているらしい。
この建設現場は過酷なものだったろうなあと思い、どれだけの労働者が亡くなったかを聞くと、「スエズ運河ほどではない」と答えが返ってきた。スエズ運河建設では疫病もあり莫大な数の犠牲者が出たらしい。
アスワンハイダムの上流の湖はこの大統領の名前を取ってナセル湖と呼ばれている。
ナセル湖は広大でその水量は凄まじい。
色々と弊害も主張されてはいるが、多くのエジプト国民の生活を救ったことは間違いないだろう。
アスワンハイダム完成記念碑
ということで、アスワンハイダムの完成を記念して建てられたモニュメントはソ連との友好記念碑とされており、ロシア語とエジプト語で文字が刻まれている。
蓮の葉をイメージした高く伸びる石版には細かな模様や壁画が描かれており、中に立つとその大きさに圧倒される。日陰で風も良く通り涼しいので休憩にもよい。
エレベーターがあって上まで登れるが、お金がかかるそうだ。
周囲は噴水だったそうだが行ったときには干からびていた。
アスワン・ロウ・ダム Aswan Low Dam
アスワンにはもうひとつダムがあり、アスワン・ロウ・ダムという。イギリス統治時代に建設され1902年に完成したダムだが、あまり役に立たなかったそうだ。元々はアスワン・ダムと呼ばれていたが、アスワン・ハイ・ダムができてからは、アスワン・ロウ・ダムと呼ばれるようになった。「Old Aswan Dam(古いアスワンダム)」といった呼ばれ方をする場合もある。
このロウダムは全くの用無しになったわけではなく、巨大なアスワン・ハイ・ダムの放水に伴う下流の水量の激変を防止するための、逆調整ダムとして機能しているらしい。
さて、アスワン市街に向かう途中に有名な香水専門店があるそうで、ちょうど香水が欲しかったので寄ることにした。
香水専門店 Essence Of Life Alfayed Perfume Palace
アスワンで取れた材料のみを使って精製しており、アルコールフリーで純度の高い香水が購入できるらしい。きれいな英語を話すエジプト人女性が丁寧に説明しながら試香させてくれる。
値段はまあまあするが、香水専門の各種ブランドに比べたら安い。一番小さな25mlのボトルが20 USドル。
スタッフは医療用香水をすごい推していたが、試しに塗ってもらっても膝の痛みが治らなかったので購入せず。エジプトの香りシリーズがとても良くてイシスという香水を購入した。
少量しか買わなかったので、すごく驚かれた。
この専門店にくるような客は、みんな大量買いして帰って行くらしい。エジプト人やアラブ人は香水をよくつける。私は旅の思い出にちょっと香りを添えたい、というくらい。普段使いするかどうかの大きな文化の違いがある。
そんなに買っても使わないし、と説明しても納得していないようだった。
古代エジプトでもファラオは香水を塗りたくっていたみたいなので、神聖なものというイメージもあるんだろう。
日本だとむしろ無臭の方が高感度が高い(と感じる人が多いと思う)
切りかけのオベリスク
休憩後は巨大な切りかけのオベリスクへ。
広い石切り場に、失敗して亀裂が入った42mのオベリスクが置いてある。
当時の石の切り方は原始的で、まず石に切り込みをつけて木のくさびを打ち込む。その木を水で濡らすと膨張して自然に石が割れる。
それでやっていたら誰かがうっかり真ん中にひびを入れてしまったということだ。その誰かが責められてつらい思いをしていなければよいが。。
このオベリスクは王の名がまだ彫られていないので、誰のものかは不明だという。推定1168トンで、もし完成していたら世界最大のオベリスクだったそうだ。この石切り場は当時ナイル川が氾濫すると入口まで水位があがったため、氾濫する時期に川に浮かべて運ぶことが出来たらしい。
ちなみにオベリスクとは「竹串」という意味。
フィラエ神殿(イシス神殿)
次に向かったのは、プトレマイオス朝に建てられたイシス神殿。
ナイル川の中洲というかダム湖(アスワンロウダムとアスワンハイダムの間)の島にある。
アスワン・ロウ・ダムの建設により半水没状態であったが、上流のアスワンハイダムの建設を機に1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった。
最初に建てられた島の名前からフィラエ神殿とも呼ばれる。沈んだフィラエ島は島から場所が見えるようになっている。
この神殿には東岸から船で行くのだが、島に近づく、遠ざかるときの眺めもそれぞれ素晴らしかった。
プトレマイオス朝は王がギリシャ人だったので、エジプト人の信頼を得るためにエジプトの神様を祀る立派なイシス神殿を作ったそうだ。なのでこの神殿はギリシャ式。
イシス神はこのフィラエ島で子どもを産んだとされており、王とイシス神、そのオリシス神との間の子であるホルス神などのレリーフがたくさん彫られている。内部ではのちの時代に掘られたコプト十字も見られる。フランス軍の落書きもいたるところにある。
あと猫がいっぱいいる。
まず一見してギリシャで見た神殿に似ているなあと思った。とくに柱に特徴がある。
不思議なもので、これが造られたのは紀元前305年から紀元前30年のプトレマイオス朝の時代なのだが、古代エジプト目線で遺跡をずっと見ていたため、グレコ・ローマの時代はすごく最近のように感じるのだ。
ギリシャ風の神殿はすごく新しいものに見える。紀元前だけど。
エジプトは古い文明を持つ国だが、2000年以上もの間、エジプトを支配したのは外国人だった。
アレクサンダー大王により征服されてから、1922年にイギリスから独立するまで、エジプト人が国のトップであったことがなかったという。ガイドさんは笑顔で話してくれたが、言葉には表せないような複雑な感情がありそうだった。日本が外国の勢力にずっと統治されるようなイメージはなかなか想像がつかない。日本人には理解が難しい、「それはすごく幸せなこと」だと言われた。
東岸に戻ったあと、昼食のレストランへ。
昼食 Grand Restaurant & Cafe
大きめのレストランで、外には大量の椅子が置いてあり、盛大にガーデンパーティーができそうな雰囲気。ヨーロッパ人の団体客がたくさん来ていた。
店内はクーラー強めで寒いので長袖があった方がよい。
付け合わせで出てくるピタパンのようなもの(アエーシ)と、たらこペーストのようなソース(タヒニ:白い胡麻のソース)がすごく美味しかった。
メインの魚料理もとても味が良くて日本人の口に合う。ライスが日本のお米に似ていて食べやすかったのだが、実際、エジプトは日本から輸入した品種を使って米を育て始めたらしい。
昼食のあと、ホテルにチェックインして荷物だけ置いたあと、ファルーカ(ファラッカ)に乗りに行った。
夕暮れを船の上で迎えられるように、時間を調整してくれたようだ。
ファルーカ (ファラッカ、帆船)
動力はなく帆だけで動くファルーカは、フェリーやモーターボートと比べて静かで穏やかであるため観光客に人気だ。
今回このファルーカの乗客は我々とガイドさんだけだったので、舵取りのいらない時間は先端に乗せてくれた。とても気持ちがいい。暑かったら川にドボンして泳いでも気持ちよさそうだ。
途中、大騒ぎで歌を歌う団体のファルーカが近くを通ったが、それもまた伝統の音楽っぽくて風情があった。
ゆらゆら揺られるままに漂う。特にサンセットはムーディで最高だった。
ホテル Tokip Aswan Hotel
ナイル川沿いの大きなホテル。川辺にプールとコテージ式の部屋が並んでおり、テラスからナイルビューの景色が楽しめる。
シャワーは狭いが熱くて勢いよくお湯が出るので快適。
ちょうどファルーカを降りてホテルの部屋に戻ったのがサンセットだった。そのあと徐々に暗くなりライトアップされていくナイル川の景色はムーディで最高だった。
食事はルームサービスでハンバーガーとスパゲッティを頼んだ。
飛行機が遅れて遅めのアスワン観光スタートだったので、あっという間に夜になった気がした。
翌日はいよいよアブシンベル神殿へ向かう。
出発は5時だ。ひー。