バンガロール観光② l 1日目の続き。バンガロールの歴史とバンガロールパレス、シャトーブリアン、繁華街
ワイナリーでインドワインを勉強したあと、バンガロール市街にあるバンガロールパレスへ向かった。
遅めの昼ごはんを探していたが、
夜は日本人に人気らしいポートランドステーキハウスに行く予定にしていたので、半端な時間に食べて夜のシャトーブリアンにひびいても困る。
バンガロールパレスに行く道すがら、時間をかけずに食べれる店を探し、Millers 46 Steak House And Bar へ入った。
ステーキレストラン Millers 46 Steak House And Bar
お昼時からはかなり時間がずれていたがそこそこお客さんは入っていて、アメリカ人みたいな体型をした家族連ればかりだった。
チェンナイと比べると相当洋風で、ここアメリカですと言われてもそうかと納得できるくらいだ。
シャトーブリアンの旅なのでシャトーブリアンを頼むのだが、量が多そうだったのでサラダとシャトーブリアンを1つずつオーダーしてシェアした。
脂が少ない赤みの肉は最高だった。
チェンナイでは分厚い牛肉をお腹いっぱい食べる機会はないので、久しぶりの厚切りビーフに感動した。。しかも生焼け。しかも安い。
腹6分目くらいにして、バンガロールパレスへ。
バンガロールパレスは
「マイソール藩王国のマハラジャが19世紀末にイギリスのチューダー様式で建てたもの」
ということだが、ちょっと意味がわからないので、この一帯の歴史を少し復習する必要がある。
バンガロールの歴史 (ざっくりと)
イギリスが押し寄せてきた18世紀半ばごろ、北はムガル帝国、西はマラーター王国やら何やらが勢力争いでしのぎを削っていて、南インドにはマイソール王国という強力な国があった。
ここバンガロールはマラーター王国、次いでムガル帝国の侵攻を受けた。
そのムガル帝国の皇帝が1687年にマイソール王に30万ルピーでバンガロールを貸したことから、この地はマイソールの支配下に置かれた。
つまり、お金のためにバンガロールを手放したということだろうか。
その後、マイソールの将軍ハイダル・アリーが当時の君主から王権を奪ってマイソール王国の事実上の支配者となり、その死後は息子で「マイソールの虎」と呼ばれたティプー・スルタンが引き継ぎ、バンガロールに宮殿を建てるなど整備をした。(wikipediaより抜粋)
これがガイドブックに載っているティプー・スルターン宮殿だろう。行かなかったけれど。
このマイソール王国は頑張って頑張ってイギリスの支配に抵抗していたが、結局30年にわたる合計4回のマイソール戦争の末敗れ、イギリスに従属する藩王国となった。
イギリスの間接的な統治下のマイソール藩王国時代、オデヤ朝のマハラジャ(藩王)が1887年にこのバンガロールパレスを建てた。インド独立の60年前だ。
マハラジャのチャーマ・ラージャ・オデヤは、当時イングランドへの旅の途中でロンドンのウィンザー城に圧倒され、同じ様式でバンガロールパレスを作ったといわれているらしい。
ちなみに、1947年のインド独立後、マイソール王国の範囲はマイソール州と呼び名が変わり、バンガロールがその州都となった。その後、州を言語別にしよう運動によりカンナダ語地域を統一する形に再編され、1973年にカルナータカ州に改名された。
それと同時にカンナダ語を話す人たちへの教育普及や公的機関への就職が進められ、カンナダ語地域から人口流入が始まりどんどん都市が拡大、自動車会社や航空機会社の工場設立によりさらに人口は増えた。(wikipediaより抜粋)
こうして「インドの庭園都市」と呼ばれる大都会、バンガロールができたのである。
あまり歴史上出てこないし伝統的な建築物も有名な場所もないのに、規模が大きくてかなり発展した街であるのが不思議だったのだが、そういう流れからなのだ。
バンガロールパレス Bengaluru Palace
この宮殿は、イギリスの提督の邸宅として、またインドの王族の執務宮殿としても使用されていたそうだ。注目すべきはその建築様式。ムガル帝国の宮殿に見られるレイアウトと、ノルマンディー地方やイギリスで見られる城塞の様式が混じり合ったもので、内部には 35 の部屋がある。
アンティーク家具は、ヴィクトリア朝やエドワード朝時代に実際に使われていたものらしい。
全体的に、あんまり綺麗にメンテナンスされていない感じがした。
ラヴィ・ヴァルマなどの有名画家が描いた名画が飾られていたり、王族の写真が飾られていたりするのだが、なんだか薄汚れていたり斜めだったりで、ホラーっぽい感じも受けた。
そんな雰囲気だったので写真を撮るのも忘れてしまったが、絵画のコレクションはなかなか良くて、19 世紀からずっと飾られているギリシャやオランダの作品もあった。
また、この宮殿の敷地内では、多くの映画が撮影されている。庭園は 183 ヘクタールの広さがあって、ローリングストーンズなどの有名バンドがコンサートを行ったこともあるんだとか。
観光名所としてだけでなく、イベント会場として使われているようだ。
繁華街
バンガロールパレスのあとは、賑わっているという繁華街へ。
日本でいう、原宿や新宿みたいな印象。台湾や韓国の繁華街にも近いかも。インドっぽいお土産屋さんも少しあるが、ほとんどが近代的な欧米風のショップだった。
やはりサリーを着ている人は全然見かけなかった。
ブランコの椅子に座れるカフェ Munch Booth by Gangotree に寄った。
ここのメニューでチョコレートパスタという恐怖体験ができるのだが、夕食直前だったのでトライしなかった。
マサラコーラは一言では言い表せない複雑な味わいで、少なくともコーラの味は一切しなかった。
オーダーしたブラックコーヒーにはミルクとシュガーが入っていてフィルターコーヒーとの違いがわからなかった。間違いじゃないのかと店員に確認したが、やはり「ブラックコーヒー」だったとのこと。ブラックの定義が謎だ。
朝から借りた OLA のドライバーは8時間経過し終了。出だしが最悪だったので終始雰囲気が悪かったが、なんとかアクシデントもなく過ごせた。
実はチェンナイから我々のドライバーに車を運転して来てもらうことになっていたのだが、道が混んでいるようでまだ着かない。
夕食の予約の時間が近くなってきたので、やや遠いが歩いてレストランまで行くことにした。
結構な交通量の中、道路を渡ったりするのが若干億劫になり、途中リキシャを捕まえようとトライした。しかし一度聞いたら300ルピーと吹っ掛けられ、どっと面倒になってやっぱり歩くことにした。
ポートランド・ステーキハウス & カフェ Portland Grill & Cafe
評判がいいと言われているポートランド。
美味しいは美味しいが、期待が大きかった分、昼のシャトーブリアンの方がよかったような気がした。
デザートはかなり良い。前日のチェンナイのKAI のデザートも良かったが、ここのアップルパイもなかなか絶品。外はサクサク・中は熱々とろりで、ここ最近で一番美味しかったかもしれない。
ここで我らのドライバーと無事合流。
結局チェンナイから12時間もかかった。途中大雨と、かなりの渋滞だったらしい。
食後はまっすぐにホテルへ移動。
チェックインを済ませたら22:30だった。
ホテル Grand Mercure Bengaluru at Gopalan Mall
このホテルはショッピングモールと同じ建物に入っていて、お買い物をしたい場合はかなり便利。だがもう夜も遅いし、朝も早く出るので、我々は恩恵をこうむれなかった。あとで調べたらプールも付いており、ゆっくりステイでも十分楽しめそうだ。
もう閉まっていたが、ホテルのロビー階にお土産屋があり、店先にあった象の置物がすごく可愛いかった。通りがかりのスタッフに値段を聞いたら2200ルピーだった。相場からして明らかに安いので買おうと思っていたが、翌日に店で聞いたら22000ルピーだった。
1日目はこれで終了。
明日はバンガロール市内のローカルマーケットなどを周り、昼過ぎにはマイソールへ向けて出発する。
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