
funny meal 開業日記 ~いきなり日記2/6
冬は朝、若葉がお布団マンなので、つられてたくさん寝てしまう幸せ。気が付いたらもう9時で、ご飯を食べて獣医さんに行く支度。お天気が良くて気持ちい。獣医さんは若葉にとっては嬉しくないけど、獣医さんへは緑道を通っていくので、いつも天気がいいと、こんな気持ちのいい日に一緒に外歩いてるってよくない?って若葉に聞きたくなる。病院には一番乗りで、すぐに見てもらえたけど、思っていたより全然悪くて、なんと舌の下に大きなできものが。悪性の腫瘍か調べるには麻酔をして細胞診しないとダメだけど、若葉はもう年だし心臓も悪いから麻酔には耐えられないでしょうと。それに調べて悪性だったとしても、もう年齢的に手術とかできないし、やっても意味がないという結論に。良性であることに期待して、1週間抗生物質を飲ませてみて、また病院に来ることに。
若葉は今度の6月で20歳、猫としては本当に長生きで、今も毛艶もいいし、これまでも本当に病気しないし、誤飲とかもない手間のかからないすごくいい子だったのに、ここ1年くらいで急にあちこち悪くなっていく。いろいろ急すぎて自分の気持ちがついていけない。でも何があっても落ち着いて、若葉が不必要に苦しんだり、つらいことがないようにしたいと思って病院から帰ってくる。帰り道もとても気持ちのいいお天気で、若葉は外見てないけど一緒に歩ける幸せを改めて感じて帰宅。ケージから出すとまたすぐごはん食べてくれて、本当にいつも若葉はなんていい子なんだ。何があるかわからないけど、しばらくはもう療法食メインじゃなくて、美味しいごはんを食べさせたくてちゅーるを上げる。お薬混ぜてあるけど(でないと飲んでくれないので)、おかまいなしにちゅーるはガツガツで、本当に一体何が入ってるんだろうなぁちゃおちゅーる。
ひと段落して、お店の営業…と思うも、いまだ味覚戻らずで、若葉も今日の今日だしもういいかということで、今日もスケジュール通りお休みにして、若葉を膝にのせておこたでひたすら確定申告の続き。freeeを使ってやってみてるけど、さすがにここ数日一生懸命やって慣れてきて、手際もよくなってほぼ終了で嬉しい。あとはおかしいところがないか全体チェックして、少しだけ作業すればもう提出できるはず。家にいる時間が有効活用できてよかった。
ここでいきなり、私が1月に何をしてお休みしていたかなのですが、年越しインフルが治ったあと、実は1月は千葉にある瞑想センターでの10日間のヴィパッサナー瞑想コースっていうのに行っていたのでした。すごく大変だったけどとてもいい経験ができたので、ちゃんと書いておきたかったものの、なんだかうまくまとまらず、ちょっと気恥ずかしさもあって今になってしまいました。じゃあなぜここでいきなりこの話に触れるかというと、瞑想の経験がなかったら、若葉の今の状況を、今みたいな気持ちでは受け入れられなかっただろうなと思ったからなのでした。全体に話が長くなりますが、うまくまとまらないのでもうダラダラ書いてしまいます。
瞑想に何の効果を感じるか、瞑想してみてよかったと感じるポイントも人さまざまだと思うのですが、私個人にとってすごく大きかったのは、「つらい現実を変えたい気持ちにとらわれると、ますますつらくなるだけ」ということを心と体の両方で納得することができたように思えたことでした。
コース中は、断続的にですが1~2時間程度の瞑想を繰り返して一日合計10時間ひたすら瞑想です。そんなに長い時間座ってることが普段ないので、しばらくすると膝も背中もあちこち痛くなります。ヴィパッサナー瞑想は(私の理解ですが)、集中して無になりなさいというのではなく、自分の体と心に何が起こっているかを常に観察して気づいて且つそれにとらわれずにいることが大事なので、集中して痛みを忘れろというよりは、「痛い」と感じている自分に気づいて、かつその「痛み」にとらわれないことが大事とされます(繰り返しになりますが私の理解です)。
これを約10日間やってみた結果、「実際めっちゃ効果ある!!!!」と感じたんですよね。効果があるというか、ああ、そういうことですよね、と頭と心の両方で納得できたというか…。動いちゃダメと言われて瞑想してる最中に、痛い足のことを気にして、「痛い痛いなんとかしてーーーなんとかしたいーーー」と思っても、痛くならないどころかむしろイライラが募るからますます痛く感じられるし、最終的には痛みよりも現実が変わらないイライラで頭が一杯になりました。とはいえ瞑想の最中は基本立ってどこかに行ったりできないので、ひたすら痛さに加えてイライラにも耐えないといけなくなって、つらさは深まるばかり。今度逆に痛さを無視して忘れようとしても、現実痛いので、それもまたイライラする原因になるだけ。実際に一番効果があったというか、自分が楽になれたのは、「あぁ、この辺痛いな」と自分で認めたうえで、粘り強く体の他の部分の感覚に意識を持っていくことを繰り返す(=これがヴィパッサナー瞑想の最初歩というのが私の理解)、でした。自分の体をあちこち観察してると、痛みもかゆみも辛さも移り変わっていくでしょう=諸行無常を自分の体と感覚を持って実感しなさい、それが理解できれば生きることが楽になるでしょうという話なのですが、実際この考え方の実践が、座ってる痛さを一番楽にするので、うまく伝わるか自信ありませんが、めちゃくちゃに腹落ち感があったんです。
好きな人に振られたときに、悲しくて「きいいー、あの人に私を好きになってほしいのにいい~」と思う気持ちは、例えば、「振られてしまった」という目の前の現実を変えようとするイライラで、それは焦りとかもどかしさになって自分をさらに苦しめるだけ(仏教用語でいうところの渇望)、「好きになってほしい~」ってどんなに思ってもその思いで相手の気持ちを変えることはできないし、変えられないがゆえに苦しさは深まる。その状況は瞑想中に「痛い~なんとかしてえええ」って思ってるのにすごく似てるななって思いました。座ってる以上痛いし、10日間も瞑想しに来てるんだから痛いから座らなかったら意味がない。でも「ここが痛いと自分は今感じてるな」と自分を客観視して、「どれどれ他のところも観察しよう」ってやってると、痛みは消えはしないのですが1時間耐えて座りぬくことができるんですよこれまた不思議。そして冷静さを失わずにイライラしないで耐え抜けたことが自分の自信にもなるんですよね。
なので、「私は相手に自分のことを好きになってほしいと思っているのね。じゃあそのために私は何をすればいいかしら」と自分を客観的に見て、相手の求めているものを冷静に分析し、自分に欠けているものも冷静に見つめ、落ち着いてひとつひとつ変えていく粘り強い努力をするのが現実を変える最終的な近道というか、実際それしかできることないよね…というのが正しい考え方で、ヴィパッサナー瞑想は、現実との正しい建設的な向き合い方を助けてくれる考え方なんだなーって思いました(うまく伝わりますかね…)。
こういう自分の腹落ち感を経て、今回の若葉の件は本当にショックではありましたが、私が嘆き悲しんだとて若葉は元気になるわけでなし、思い通りにならない苦しさが増すだけだから、悲しいからこそ落ち着いて、若葉にとって最善だと思える決断をしてあげられる状態でいようと思いました。結局はそれが自分にとっても最善なんだと思います。
いろんなことがあるけど、自分なりに歩いていくしかない。というごく当たり前の真理に前より抗わなくていい気持ちになれただけでも、10日間がんばった甲斐があったなーと思います(こういう学びがはなから必要でない方もたくさんいるだろうなーとも思います)。
すごく大変だったのでもう二度とやりたくないというのが正直な気持ちではありますが、学びはめちゃくちゃあったので、聞かれたらおすすめはします笑。ヴィパッサナー瞑想についても千葉の瞑想コースについてもいろいろなブログなど書かれてますが、質問あればいつでもお店で聞いてください。
怪しくないの?と随分聞かれもしましたが、全然怪しくなかったです。
ということで、引き続きあまり安定しない営業かもしれません。自分の味覚もまだ戻ってこず、若葉だけじゃなくて自分ももう若くないし、いやー、本当にいろんなことがありますね。でもこれも人生。向き合っていくしかない。皆様にはご迷惑をおかけしますが、何卒ご容赦ください。