星園祐子の宗教観
日本ではあまり宗教の話をしないので、これまでも取り立てて話したり書いたりしたことなかったけど、
私が何かを語る上で、そして曲を作る上でもやはりベースになってることだから、ちょっと書いてみようと思います。
(ある意味、この話題も日本ではタブー=闇だよね。)
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闇の美しさを歌う作曲家 星園祐子です。
あなただけの人生を、あなただけの
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私の歌詞にも文章にも、時々「神様」って言葉が出てきます。
人によって受け取り方の違う言葉なので、できるだけ使わないようにしてるけど、時々どうしても「神様」出てこないと着地できない時があります。
一昨日のブログでも最後に出てきた。神様。
まあ人によって「神」だったり「宇宙」だったり分からないけど、まあそういう「大いなるもの」のことを私は「神様」と呼びます。
ベースはカトリックです。
小学校〜高校までカトリック系の学校に通っていて、小学校3年生の時に洗礼を受けました。
洗礼名は「マリア・ベルナデッタ」と言います。
この洗礼名に関して、最近またものすごいシンクロというか奇跡のようなお話があって、それはまたご紹介しますが・・・
いわゆる「幼児洗礼」(赤ちゃんの時に自分も知らないうちに洗礼を受ける)ではないけれど、
自分の意思で受けたかというとそういうわけでもなく、親にすすめられてなんとなく受けたような感じです。
ミサの時にベールしてたり、白い最中の皮みたいなの(ご聖体)をもらえたり、なんか信者かっこいいし受けとくか〜、みたいな感じで。
教会もちゃんと通ってなかったし、聖書もあまりきちんと勉強したことがないのだけど、
まあ大人になってロンドンに語学留学した時に、キリスト教とオペラのことが分かるとまあまあ会話に困らなかったので、それはありがたかったな。
母は私たちより後から洗礼を受けたんだけど、すごく熱心に聖書の勉強をしていました。
母は第一子を生後一ヶ月で亡くしてるんだけど、その時にキリスト教の考えにとても救われたらしいです。
「神様が一番いいようにして下さるから」というのが口癖で。
あと「ご復活」というのは、別に死体が起きて歩いたことがすごい、とかいう話ではなく、
どんなに辛い出来事でも、後からその経験がきっと役に立つ。それが「ご復活」なんだと教えてくれました。
父は子供の頃から「無教会のキリスト教」っていうのだったらしいけど、その後カトリックに改宗(?)し、両親は熱心に教会に通っていました。
そんな家族だったので、まあ宗教は小さい頃からいつも自然に近くにあったから、あまりそこに疑問を持ったことはないんだけど。
ただなんか完全にしっくり来ない感がずっとあって。
でもその感覚を追求することもせず、なんとなくイースターとクリスマスだけ教会行ってご聖体頂いて・・・みたいな感じでずっと来てたんだけど。
ちょうど子育てで悩んで、いろんなスピリチュアルな考え方とかを勉強している時にたまたま出会った本に書かれていた解釈が、とてもしっくり来た。
今でもその考え方が私のベースになっています。
言ってみれば「自己流キリスト教」って感じかなあ。。。(冒涜かしらん。。。
ざっくり言うと、「イエス・キリスト自身は本当に覚醒した人で真実を伝えていたけれども、それを後世に伝えた人たちが間違え伝えてしまったり、権力のためにわざと変えて伝えたりした」
というもの。
まあ、よくある「イエス・キリストからのメッセージをチャネリングしました」っていう内容なんだけど。
いわゆる「トンデモ」に属する話かもしれないので、嫌な人は読まないでね。
(小声:この助安さん、長男が一年だけ通っていた幼稚園的なところで一緒だった方の義理のお父様だったんだけど、かなり命狙われてるらしいです・・・)
特にしっくりきたのは、
「教会は1人ひとりの内に建てるのが本筋だったのに、外側に建ててしまったため、これまで多くの混乱を生じることになってしまった」
「大いなる父の道具であった私を、神として祭り上げてしまった」
という部分。
あとはセックスに関する考え方。
マリア様は処女で受胎したわけではなく、普通にセックスで妊娠したし、イエス・キリストも恋人がいて(マグダラのマリア)、
セックスは大いなる神が子孫の繁栄と相互の愛の増進のために与えられた大切なものだと考えていたこととか。
他にもいろいろと、なんとなくしっくり来なかった部分が「なるほど、それなら分かる」という感じでとてもしっくり来ました。(しっくり来ない部分もあったけど、それは切り捨てたw)
教会は今でも大好きだし(私にとっては一番落ち着く場所。神社に行く感覚に近いかな)
お葬式は絶対キリスト教がいいと思うし(母が亡くなった時、修道士さんが「おめでとうございます」って満面の笑顔で出てきた時はちょっとびっくりしたけど、なんか嬉しかった。告別式もしんみりし過ぎなくて好き)
でもいわゆる聖書に基づく「教義」はそのままイエスが伝えたかったことではなかったのではと思っています。
これに加えて、いわゆる「二元論」とか「ワンネス」の考え方とかいくつか合わさって、私なりの宗教観(っていうのかな?)が成り立っている感じです。
基本的に神様は外側にいる誰かではなくて、内側にいるというか自分自身も含めみんなが神の一部だというか、そんな感覚です。
私の歌詞や文章に出てくる「神様」は、そんな宗教観に基づいています。
今日も最後までお読み頂いてありがとうございました!
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