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感謝〜心のどこかで覚悟してくれていた夫へ

私には子供の頃から、いくつか夢があった。

バレエを習うこと。
小説家になること。
アナウンサーになること。
大学(英文科)へ進学すること。

夢はいくつもあったが、どれひとつとして叶うことはなかった。

中でも、バレエと大学進学は、親に泣き付いてお願いする程、強く望んでいたことだった。

そんな私はやがて結婚し、娘が生まれた。
娘が3歳になると、すぐにバレエを習わせた。
自分の夢を託すように。

親の夢を子供に託すことは、いけないことだとわかってはいた。しかし、それでも私は、どうしても娘にバレエを習わせたかった。

幸い、娘はバレエの好きな子に成長してくれた。
私は、心から嬉しかった。

そんな娘が小学校5年生の2月、主人の転勤で引越しをすることになった。引越し先は、車で片道約2時間の距離。学校は転校。バレエ教室は?もちろん、娘はこれからもここのバレエ教室へ通いたいと思っている。悩んだ末に、引越し先から通うことを決断した。週に3回、私が車で送迎するという、我が家にとって、とてもとても大きな決断だった。

当時、息子は小2。
バレエのある日は帰宅が遅くなるため、息子も小学校から下校後、一緒に連れて行くことになった。

通常レッスンは週3回だったが、発表会やコンクールがあると、週5日通うこともあった。
ガソリン代も相当家計に負担をかけることになる。そのため、レッスンのある日は3人分のお弁当を作り、帰りの車の中で食べさせた。
家計の削れるところは極力削った。
私の化粧品はサンプルで賄い、洗浄液などの消耗品代を節約するためにコンタクトから眼鏡に替えた。

土砂降りの時も、猛吹雪の日も、車でバレエ教室へ向かった。吹雪で渋滞になった時は、バレエ教室まで片道3時間かかり、レッスンは30分しかできないこともあった。息子は、レッスンの間、バレエ教室近くの商業施設で、コインゲームなどをして時間を潰した。主人には、夕飯を1人で食べてもらった。貴重な彼等の「時間」も奪っていた。

とにかく、私は必死だった。
自分のやりたい事をさせて貰えなかった悲しさ、悔しさ。娘には、決して同じ思いはさせてはなるものか!世界中を敵に回してでも、私だけは娘の味方になってあげたい・・・この強い思いが、ただただ私を動かしていた。

そんな私の様子を見て、母はたびたび私にこう言った。「車で事故でも起こしたらどうするの!引越し先でバレエ習わせなさい。私は事故を起こしたらどうしようと、心配で毎日夜も眠れないの」と。何度も何度も同じことを言われた。

私は、悲しかった。
私は子供の頃に、やりたかったことをさせて貰えなかった。だから自分の子供には、多少無理はしても親のできる範囲で、やりたいことをさせてあげたい、そう思ってやってきた。それなのに、私のみならず、孫のやりたいことまでさせないつもりなのかと。

それを思うと、悲しくて悔しくて、帰りの車を運転しながら涙が止まらなかった。子供たちには気付かれないように、こっそり泣いていた。車の中で泣くだけでは足りずに、主人の前でもよく泣いた。

ある時、こんな話を泣きながらする私に、主人は言った。
「オレはね、いつか交通事故に遭うかもしれない、という覚悟を持ってお前たちを送り出しているんだよ」と。

この話を思い出すだけで、私は今でも涙が出てくる。主人にも、こんな思いをさせていたなんて。
こんな思いで私達を送り出してくれていたなんて。夫よ、ありがとう。感謝してもしきれないよ。娘の夢を、私の夢を応援してくれてありがとう。

そんな生活が5年続いた。

ある時、大人になった娘に聞いてみた。
あの頃のこと、どんな風に思っていたのかと。

すると娘は"通わせてくれてありがとう。コンクールにも出られたし、一般の人がお金を払って観に来るような舞台にも立てた。やり切った感があるよ"と。

そして、娘は社会人になった今も、コンテンポラリーダンスで舞台に立つなど、踊りを楽しんでいるようだ。そんな様子を見て、私はとても嬉しく思う。

あの5年間は、私の子育て人生の中で最も頑張った時間だった。
お母さん、心配かけてごめんね。
夫よ息子よ、協力してくれてありがとう。
私は、あの時頑張って本当によかったと思っている。子供たちを送り出した今、しみじみ思う


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