母の手〜りんごをむく母の手を見て思ったこと
私は、フルーツが好きだ。
いちご、キウイ、メロン、桃など何でも。
中でも、とりわけ好きなのは、りんご。そして、特に好きな品種は「サンふじ」だ。品種によっては、青くさかったり、酸味が強かったり、ちょっと油断するとボケてしまったりするものがあるけれど、この「サンふじ」は、酸味と甘味のバランス、歯応えなどを考えても"ハズレ"の少ない品種だと思っている。ナイフで切った瞬間、その断面に蜜を発見した時などは、小躍りしたくなるほどだ。
ところで、「ふじ」と「サンふじ」は、何が違うのだろう。調べてみたところ「ふじ」は有袋栽培。つまり袋をかけて育てたもの。一方「サンふじ」は、無袋栽培。太陽の光をたっぷり浴びて育てられるため、より甘味が増すらしい。説明するまでもないが「サンふじ」の「サン」は、太陽のSUNのこと。
毎年、りんごの季節になると思い出す光景がある。
子供の頃、母がむいてくれるりんごを、きょうだい3人が頭を寄せて待っている、という一場面。
妹とは5才、弟とは7才も歳が離れているのに、食べ物のこととなるとよく喧嘩になった。みんな食いしん坊で、好き嫌いはほとんどなく、果物は何でも好きだった。
母がりんごをむき始めると、きょうだい3人は、息を飲んでナイフの動きを見つめる。
まず、二分の一にカットされ、更に四分の一にしてから、皮をむいていくのだ。
みんな、少しでも大きいりんごを狙っているから、それは必死。一番最初にむいたりんごが一番大きいものだと、母が皿に置くか置かないうちに手が伸びてくる。
少し大きくなって、自分でりんごの皮がむけるようになると、不思議に思うことが出てきた。
「なぜ、お母さんのむくりんごは、美味しそうに見えるんだろう?」
その理由は簡単。
ナイフの使い方が、まだぎこちない私は、皮をむいた部分もベタベタと触っているからだ。
母のむいたりんごは、その表面にうっすら果汁が光っているようにも見える。
母の手って、不思議だな。
そんな風に思っていた。
さて、母親になった私はと言えば、どうだろうか。
我が家は、娘にアレルギーがあるため、家族全員で同じ果物を食べるということは少ない。それに、娘も息子もそれほど果物好ではなさそうだ。何だか少し寂しいけど、仕方のないこと。
3月中には、それぞれ巣立っていく我が家の2人の子供たち。彼らの記憶の中には、果たしてりんごの皮をむく母の手のことは残っているのだろうか。
店頭のりんごを見ながら、ふと、そんなことを考えた。