自己紹介②
noteデビューの私に、皆さんから温かな励ましをいただき
とても嬉しくて、感謝で一杯!
今日は、もう少し私の事についてお話したいと思います。
幼少期
父親が厳しい人で、自分の意見を言う事が苦手な子供でした。
引っ込み思案で、大人しい性格だったと思います。
学生時代
友達を作るのが大の苦手。
その分、自分の中の想いを発散させるのに、拙いながらに小説を書いて、
それが切っ掛けで、仲良くなった友人達と見せ合っこをしていた思い出があります。
私が小説を書き始めたのは、この10代の多感な時期でした。
この頃の夢は、保母さんだと答えた記憶がありますが、母や祖母に「手に職をつけた方がいい」と言われ、看護師への道を選択し、高校に専攻科がある学校を受験。専攻科卒業の20歳で看護師の国家試験を受験し、無事看護師への道を歩み始めました。
就職
地元を離れる気はなくて、実家の近くにあった個人病院に就職。
この頃は本当に何も考えていなくて、「家から近いからここでいっか…」
そんな思いで就職先を決めましたね。
この病院で実に12年という長い期間を過ごすことになりましたが、
今となっては、この病院で得たスキルや、人との関わりは、
私を厳しく、温かく成長させてくれたと思います。
もちろん、50歳を過ぎた今だからこそ、こう思えるのです。
当時は何度仕事を辞めたいと思った事か、数えたら両手指・両足趾の数だけじゃ足りませんね…
結婚
20代後半になった頃に、友人の紹介で知り合った男性と結婚。
とても真面目で仕事熱心な人で、それは連れ添って20年以上経ちますが、
現在も変わりません。ある意味尊敬するパートナーです。
共働きで、お互いの休みにはいろんな場所へドライブに行ったなぁ…
出産・育児
結婚1年目で長男出産、3歳離れで次男出産です。
男の子なのに、2人ともどちらかと言えば大人しい性格の子供達。
共働きでしたので、夫婦助け合っての育児が始まりました。
長男は病気がちだったので、次男出産から半年後には、仕事を続けるのが難しくなり、退職を決意します。
この時夫は何も言わずに、私の我儘を受け入れてくれました。
この事は今でも感謝しています。
現在は超健康体に育っている長男と、我が道を突き進む次男。
家族4人で、自分達なりの良い時間を過ごしています。
まぁ、子供達に関しては色々と悩むことも多々ありましたが、それはまたいつかの機会に…
家庭・仕事
初めて勤めた病院を辞めて、1年育児に専念した後に
現在勤めているクリニックへ就職しました。
人付き合いは苦手なのですが、家に籠ってばかりなのも
実は嫌いな私。
せっかくの看護師免許を遊ばせておくのはもったいないと、パート勤務へ
次男が中学へ上がる前に常勤に代わり、さらに半年後には主任職の命を受けて毎日が多忙となり、メンタルもそれなりに削られていきました…
ある理由から数年後には主任職を辞退し、現在はクリニックの一員として地道に労働に励んでおります。
1つ言えるのは、自分の心が疲弊していると、家族も疲弊します。
自分だけが我慢すれば…自分だけが頑張れば…この考えはとても危険だと思い知らされました。
そして50歳の誕生日を迎えた時、ずっとこの仕事を続けたいかと思えば
そうではなかったんですね。
いずれ身体が思うように動かなくなった時に、他に何ができるのかと考えました。
「そうだ!大好きだった文章を書くことで収入を得られたらいいな」
それがライターの副業を考えた切っ掛けです。
学生時代からの趣味でもある「小説を書くこと」
これはずっと続けていました。
不意に書きたい欲求にかられた時、書いた物を投稿サイトに載せて、読んでくれる人や、反応を見せてくれる人がいて…本当に幸せな事ですよね。
そこで、「お話を考えること、書くこと」の仕事を探した時にクラウドソーシングを知り、シナリオライターのお仕事を受注する現在に至ります。
まだまだ素人シナリオライターですが、こんな私に報酬を払ってくださる
クライアント様には、ただただ感謝・感謝の気持ちで一杯です。
夢
家族が幸せであること
定年まで看護師の仕事を続けられること
同時にライターの仕事で成長すること
健康であること
少し長くなりましたが、自己紹介は以上で終わります。
次回以降は、看護師として、ライターとして、ここで発信できる「何か」を考えて書いていきたいと思います。