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かけがえのない存在
おはようございます。
YUKOです。
本日11月18日は、
我が家の長男の誕生日です。
すでに成人している息子ですが、私は彼が生まれた日のことを、昨日のことのように思い出せます。
多分この記憶は、わたしが歳を取り、認知機能が衰えていったとしても、最後まで鮮明に残っているものだと思います。
当時、わたしは看護師としてフルタイムで夜勤もこなすバリバリの兼業主婦でした。
本来産前6週で産休に入れるところを、看護学生の指導係もしていたので、週に2日は指導のために大きなお腹を抱えて出勤していました。
お腹の中には息子1人しかいないのに、体重は20キロ近くオーバーし、前に突き出したお腹で胃を圧迫されながらも、職場の更衣室のある4階まで階段で昇っていたのも、いまではいい思い出です。
学生の実習期間の最終日まで後1日という日の深夜、破水したのは正直驚きました。
もう動くたびに羊水で足元がびしょびしょになるので、バスタオルを敷いて夫の運転する車に乗り、産婦人科へ向かいました。
陣痛の波がやってくるたび、ひたすら痛みに耐えて。
破水からおよそ6時間くらいで、無事に長男誕生です。
本当に、ポロッと生まれてくれた印象ですね。
実は妊娠がわかった時、婦人科の検査で、血小板という止血に関与する血液成分が通常よりかなり低く、プレドニンという薬を定期的に服用しながら、月に1回は採血をして血小板の値を調べつつ。
内科のドクターが、急な出産時に対応できるように輸血の準備までしてくださっていたという本当に何から何までフォローしてくださっていたらしく(後で聞かされた😅)
そんな私が予定日より2週間も早く、ぽろっと長男を産んだので、先生もすごく驚かれたそうです。
幸いにも、息子の血液検査では私のように血小板に異常もなく、本当に元気な3246gの男の子。
よく泣く子で、私が抱いていないと泣き通しの息子に大変さと同時に愛しさがいっぱいでした。
第一子だからというのもあるのでしょうか?
もう可愛くて仕方ない。
女の子に間違えられるほどの愛くるしい表情で周囲を魅了する我が子。
おとなしい性格で、大きな物音や大きな声(子ども同士の喧嘩等)が苦手で、物陰に隠れてしまう。
幼稚園で先生から「クレヨンを取ってきましょう」と言われ、一斉に動き出す他の子を見送り、最後の最後に取りに行く。
集団生活の中で、繊細で優しすぎる彼は、もしかしたら苦労するかもしれないなと思いつつも、彼の優しさに救われることが、いまでもたくさんあります。
自分の思いを吐き出すよりも、耐えて耐えて、最後の最後で泣きながら自分の気持ちをやっと人に伝える。
そんな息子のことが心配といえば心配でした。
託児所付きの職場でしたから、復帰後は託児所に預け、出勤時間ギリギリまで、膝の上に抱いて一緒に過ごし、遊びに夢中になり始めた頃にそっと出ていくようにしていましたね。
ただ、すぐに熱を出すので、託児所から何度も連絡があっては、坐薬を入れてもらって様子を見たり、母に迎えを頼んだり。
苦しむ我が子のところにすぐに行けないことにジレンマを感じながら仕事を続けていましたが、次男が生まれて数ヶ月後、退職を決意。
おりしも、私の退職日は、長男がある病気で入院した日でした。
正直、これで子供のそばにいられるという思いと、職場に迷惑をかけなくて済むという複雑な思いの中、私は初めて勤めた職場を退職しました。
そんな彼も小学生になる頃には熱を出す頻度も減り、毎日元気に小学校へ通うように。
学生時代は人付き合いで本当に苦労しているようでした。
家では無邪気に笑ってくれる彼も、外ではいつもどこか表情が固く。
でも、私は黙って見守るだけです。
それでも、彼は彼なりに自分で今日まで、そしてこれからも歩いていくのだと思います。
そんな息子を尊敬もし、私のもとに生まれてきてくれたことに感謝をしているのです。
彼について語れることはたくさんあるけれど…ひとまず、今日はこの辺で。
これから、私がこの世からいなくなるその最後の日まで、彼の誕生日であるこの日に、彼に伝えたい言葉は一つだけです。
「私の息子でいてくれてありがとう」