わたしのためのアルバム

「こんなところに居たのか、やっと見つけたよ」
勘違い野郎だが、これはわたしのためのアルバムだと思っている。
2024年わたしはクリープハイプに出会った。
そんでこのアルバムを1年の締めくくりに聞く。
クリープハイプがわたしを見つけてくれたのか、わたしがクリープハイプをやっと見つけたのか。

いずれにしても今年のわたしは、このアルバムタイトルそのままクリープハイプにぶつけたい。
こんなところに居たのか、やっと見つけたよ。

アルバムが出たその日から毎日聞いているのに、その感想を言葉にすることが難しい。
だから、わたしが好きな歌詞を勝手に抜粋させてもらいました。
メロディも演奏も声もすきです。全部すき。
でもやっぱり歌詞は特別だから、どうしてもそこに焦点を当ててしまう。

わたしは音楽のことも文学のことも知識が無いから、ただただ自分がすきなところをここで紹介するだけのつまらないものになってしまったけど、届くといいなあ。



ままごと

だから怒ってないのに怒ってるって聞くから怒ってるの
だけど怒ってる時も怒ってるって聞かないで

ままごと

わかる。わかるんだよとても。
まんま、普段夫に思ってることだよなって。


人と人と人と人


毎日何しててもなんか面白くない
そんな不満の中の確かな幸せ
そんなの知ってるけどやっぱり気に入らない
もういっそ何もかも微かな匂わせ
 
今日はどこへ行こうか 人と人と人と人が
まだ出会わないことで生きている街

人と人と人と人

東京の匂いがする曲。
こういう普段思ってる大きくない不満というか、くさくさした気持ちを表現するのうまいよなあと思う。


青梅

やっと見つけた運命の人だとか
笑えるそんな軽さで
「たとえようのないこの胸の痛み」だとか
たとえるそんなズルさで

青梅

イントロからすごく夏を感じる。
だんだんと綺麗な話とか言葉とか、鼻で笑ってしまうことが増えた。(心の中でね)
だからこその羨ましさってある。


生レバ

これはとにかくベースがかっこいい。
イントロから異質な感じがするんだけど、そこがまたいい。
そんで、尾崎さんのアカペラがとてもすきです。全部もってかれる。


I

ぽっかり空いた 穴を塞いだ
その正体はどうせ、愛だ
 
神様お前ちょっと来い

I

「どうせ」の使い方にドキッとする。
そんで神様に「お前」というセンス。
どうしたって耳に残るメロディも含めてすきです。


インタビュー

燃え尽きて 消え尽きたのにでもまだある
ダサいから隠すけど 君にだけバレたい

インタビュー

営業職をやってた頃を思い出して、うわーっとなった。
今日終わった今月のノルマが、明日にはゼロになる絶望よ。
これは野球選手のインタビューを曲にしたのかな、野球選手も営業職なのかもしれない。


べつに有名人でもないのに

優しいうた


星にでも願ってろ

あの娘が幸せで居ますように
でも孤独に寝てますように

星にでも願ってろ

「でも孤独に寝てますように」
あの娘の隣にいるのは自分でありたいという欲が感じられないところ、あの娘は遠い存在なんだろう。
個人的にはカオナシさんが歌う曲、くせになる。


dmrks

dmrks

dmrks

1日に何回か心の中で思っちゃうよね。「黙れカス」ってね。


本屋の

365日ずっと想ってるとかではないけどそれなりに続いてる

本屋の

そうやってわたしたち夫婦はここまで来たように思う。


センチメンタルママ

39度のくじけそうな日

センチメンタルママ

センチメンタルバスの「39度のっ!とろけそうな日っ!」が思わず脳内に流れ込んだ。
懐かしいからの新しい。


もうおしまいださようなら

たった一駅分の優しさで
愛せてるとでも思ってた?

もうおしまいださようなら

ライブの締めの曲にぴったりだ。
自分に言ってるのかなーこの歌詞の部分。
分かんないけど一駅分歩いてくれる優しさはわかるよ。


あと5秒

あと5秒 次の土曜も会えそうで飛び跳ねた
なのにそっちのスキップで
もう5秒 泡のよう 広告はあたしの方だ
まもなく君は次の誰かと再生されます 見たくない

あと5秒

ほんとに邦画になりそう。1曲ですべて完結してる。
特に「まもなく君は次の誰かと再生されます 見たくない」のところがすきです。


天の声

なんとなく死にたい夜に 光も届かない窓に
 
くだらない夜を超えて カスみたいな朝が眩し過ぎて

天の声

空にキラキラ星 なんかしらじらしい
いつもただ寂しい でも触るな
ちょっとだけ嬉しいのにやけにふてぶてしい
犬にでもなって横切る でも触るな
 
どのみちダメなら寄り道しながら
そのうち着くから寄り道しながら
どのみち雨なら寄り道しながら
そのうち止むから ずっとずっと

天の声

この曲にあの頃の自分が出会えてたらよかったなと思う。
きっとなにか変わってたかもしれない。
自分に寄り添ってくれる曲ってなかなか出会えないから。


おわりに

なにかで「自分の実体験を歌詞にすることはない」と尾崎さんは答えていたように記憶している。
わたしは曲を聴くとき、どうしてもその歌詞を書いた人が歌詞の通りに動いている映像が頭に浮かぶから、なんとなく残念に思った。

でも人から出る言葉は全部、これまでのすべての出来事から紡がれるものだから、結局は尾崎さんの人生を通して選ばれた言葉でしょう。
それを少しでも近くで見たり聞いたりしてみたいけど、ただのファンでしかないのが悔しいなあ。

それでもこのクリープハイプの音楽とこれから生きていけるのは、純粋にうれしい。
どうぞこれから人生のお供としてよろしくね。
こんなところに居たのか、やっと見つけたよ。



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