ろう学校

久しぶりの投稿です😌(久しぶりじゃないな🤔)

今回は私が2歳の時から高校卒業する18歳まで通っていた
ろう学校について。です。

ろう学校とは?

聞いたことあるな🧐程度の方もいらっしゃると思いますし
聞いたことないなっていう方もいると思うし
あ!知ってる!って方もいる。(千差万別だね)

ろう学校とは聾の子や高度の難聴児に対して幼稚園,小・中・高等学校に準ずる教育を施し,あわせて聾者の生活に必要な知識技能を授けることを目的とする学校。だそうです(Wikipedia様)

ろう学校に入るには、
・補聴器装用なしの聴力が60db以上
・一般の学校への入学を断られた難聴生徒の受け入れ場所(ほんとにあるんだよね。これが。。)

元々、1つの建物にろう学校と盲学校が一緒になっている

盲唖院

があり、耳の聞こえない生徒と目の見えない生徒が一緒に暮らすんですよ。授業は別々だけど寮は一緒だとか。不思議ですよね。

ろう者は、声が聞こえないのに目は見えている
盲者は、   目が見えないのに声は聞こえている

同じ障害者の括りでも、コミュニケーションのとり方・授業の受け方はバラバラなんですよね。そんな人達がひとつの建物に…
ストレスやばそうだね(何様)

それから幾年を経て
ろう学校はろう学校、盲学校は盲学校っていう風に
分化し、今に至る。

実際、私の通っていた学校も建立した当時は盲学校と一緒なんだって〜。
その頃の生徒数は今の生徒数の15倍もいたとか、やばいね😌

さて、

私は2歳の時聞こえないことが分かり
お医者さんに

「早いうちからろう学校に行かないと言葉が身につかなくて話せなくなりますよ」

と言われろう学校の門をくぐった、そうです。

親にとっては
ろう学校に通わせるかな、、地元の保育園に通わせようかなって
随分迷ってたらしいですが
ろう学校の先生にものすごくいい先生がいて
その先生にいろいろ優しい言葉をかけてもらったらしく
ろう学校に通わせようって決めたらしいです。
(その先生とは今でも家族ぐるみの御付き合いをさせて頂けて
コロナになる前は年に1回は必ずほかの先生と私たち家族と幼なじみ家族でご飯行くのが普通で、楽しみだったなあ。)

あと、私が遊んでる時の顔が
地元の保育園では見せない顔だった、ってこともあったらしい。

そんなこんなで通った、ろう学校。
楽しいことも辛いことも忘れたい思い出も人との出会いも別れも
色々詰まってる母校。

私が入った当時は幼稚部から高等部まで全部で40人くらい(記憶が曖昧)はいたんですが、私が高等部を卒業した時は半分くらいだったんですよ。生徒数。

今はICT教育も充実していて、地元の小学校に通うろう者も増えているんですよ。
メリットもデメリットもあるので、端くれの私が言うようなことではないんですが。。

ただ、ひとつ言いたいのは
同じ障害を持つ人達がひとつの場所に集まるって
社会に出たらそうそうないので、絶好のチャンスじゃないかと思うんです😌

社会に出たあとの聴覚障害者の集まりについてはまた後々書きますね😌(忘れてなければ)笑

この辺でいいかな、じゃあまたいつか👋

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