日本の英語教育の"せいで"困ること
何の予定もない休日にただ自分の部屋で勉強だけするのは正直飽きます。最近はそんなときにnoteを書く、というとてもクリエイティブでとてもsedentaryな気分転換をしています。外でも走ってこい!って感じですね。
他の方々のnoteを拝見してinspireされたので、今回は表題のテーマについて書いていきます。
私は、公立の中学・高校の授業以外で英語に触れたことのない典型的な普通の日本人として大人になりました。英会話を習ったこともないし、外国人の友人とかも全くいませんでした。洋楽も聴かないし洋画も吹き替えとかで普通に見てました。字幕読むの疲れるし・・・
そんな私が専門の勉強のためにアメリカの大学院に進学することにしたため、コミュニケーションのツールとしての英語が急遽必要になりました。そして渡米して2年経った今でも根強く実感する、日本の英語教育のいけてないところを具体的に挙げてみましょう。
①カタカナ英語の罪
これは非常に大きな罪ですね。日本でも英語から由来する単語が日常的に使われているので、英語での意味を改めて覚えなくてもわかるっていうのはいいんですけど、誰がこのカタカナ表記決めたんや!全然本当の発音とちゃうやんけ!!っていう単語、結構ありますよね。間違って覚えているのを一回忘れて正しい発音のイメージを植えつけなおすことほど二度手間なことはありません。それなら最初から間違った読み方なんて覚えたくなかった・・・まじで私の発音の足を引っ張っています。
例えば、いや例えばを言い出すとほんともうキリがないというかむしろ全部のカタカナ英語がそうなんですけど、最近あったやつでいうとnovel=小説とか。誰やねんライトノベル、とか言い出した奴!って思いました。ノーベルとかノベルじゃなくてしいて言えばノーボゥ、みたいなlight "o"soundですよねこれ。知らなかった。
だから、日本でカタカナ英語になっていない単語のほうが覚えやすいという皮肉が生じています。たとえば筋肉の名前。serratus anteriorとか、私にとってはserratus anterior以外の何ものでもありません。ガールじゃなくてgirlだとか、ハンドじゃなくてhandとか、頭に最初に浮かぶものを打ち消して正しいものを出してくる、という最初の無駄な1 stepがいりません。
②文法的に合っているけど不自然な英語
教科書に沿って基本を教えなくてはいけないのはわかるし、同じ英語圏でもどんな言い方をするとかに地域差があるのはもちろん理解した上で言いますが、文法的にはあってるけどそんな言い方しない(笑)みたいにアメリカ人から指摘されることが意外とあってとても驚きました。っていうか今でもよく驚いています。えっそうなの?これって変なの?みたいな。たぶん日本人はみんな同じ間違いするよ!私は悪くない。って内心思っています。
最近あったのでは、
I can take pictures well.
こんな言い方は不自然だそうです。もし私は写真を撮るのが上手いみたいなことを言いたいのであれば、
I can take good pictures.
とか、
I am good at taking pictures.
にしてしまったほうが自然だそうです。でも最初の文章、英語の教科書で見たことある気がしませんか?じゃあ私はいつwellを使ったらだめなのかもうわかりません・・・。うわー!
長くなるので今回はこのへんで。また思いついたら同じテーマでもう少し書いてみたいと思います。
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