「ヒプマイ」と「ヒップホップ」の点と点を繋げてみた
先日、ヒプノシスマイク(以下ヒプマイ)にハマりかけながら、
ヒップホップの歴史を学んでいました。
学んでいると「ヒプマイのあれは、もしかしてヒップホップのこれのサンプリング(引用)かな?」と思う部分がいくつもあり、ヒプマイにハマりながらヒップホップの歴史を学ぶのは楽しかったです。(歴史の勉強が苦手なので、ヒプマイがなければ読破していなかったかもしれない…)
今回は、学んだことをもとに「ヒプマイ」と「ヒップホップ」の点と点を繋げたいと思います。
1973年 ヒップホップの国歌(アンセム)
ヒップホップ誕生初期、キーマンとなるDJは3人いました。
ブレークビーツを生み出したクール・ハーク、スクラッチを広めたグランドマスター・フラッシュ、ニューヨークでギャング集団を仕切っていたアフリカ・バンバータ。
そのキーマンの1人、クール・ハークに関する曲が、Incredible Bongo Band 「Apache」
クール・ハークは、「Apache」の間奏部分のドラムブレイクで、客が盛り上がることに気づきました。同じレコードを二枚用意し、ドラムブレイクの部分を交互にかけて長く延ばすことで、もっと盛り上がるのではと考えました。そのようにして、生み出されたのがブレークビーツです。
Incredible Bongo Band の「Apache」は「ヒップホップの国歌(Anthem)」と言われています。
それを知って聞くと、より楽しめるのが、
ヒプノシスマイク Division All Stars「ヒプノシスマイク -Division Battle Anthem-+」
「ヒプノシスマイク -Division Battle Anthem-+」の歌詞の中でIncredibleという単語を使うのは、ヒップホップのAnthemとも言われるIncredible Bongo Band の「Apache」への敬意かな?!と考えながら聞くと楽しいですよね。
1979年 シュガーヒル・ギャング
ヒップホップの母とも呼ばれるシルヴィア・ロビンソンという人物がいます。ラップができる甥っ子に、他にもラップできる人を探すように言い、知り合いを連れてきたところ、道を通りかかった人もラップできると言い始めて、その3人で組んだグループがシュガーヒル・ギャング。
何の因果か、バラバラだった3人がグループを組むところが、シブヤ・ディビジョンのFling Posseっぽいですよね。
ちなみに世界で初めてヒットしてヒップホップの曲は、
The Sugarhill Gang「Rapper's Delight」
シュガーヒル・ギャングのヒット曲には、Incredible Bongo Band の「Apache」をサンプリングした「Apache (Jump On It) 」という曲もあります。
1988年 N.W.A
ギャングスタ・ラップの代表とも言えるN.W.A。
N.W.A「Straight Outta Compton」
そのメンバーの一人がEazy-E。
これは飴村 乱数のMCネームのeasy Rのサンプリング元だと思います。
N.W.Aのメンバーの一人だったDr. DreはEazy-Eとの不和などから、N.W.Aから脱退しました。Eazy-EとDr. Dreがたもとを分かつところが、easy R(飴村 乱数)と、ill-DOC(神宮寺 寂雷)の不仲を意識しているのではないでしょうか。
ちなみに、ヒプマイのアニメの曲のアルバム「Straight Outta Rhyme Anima」は、N.W.Aのアルバムのタイトル「Straight Outta Compton」のサンプリングだと考えられます。(アルバムと同じ名前の映画「Straight Outta Compton」では、N.W.Aの結成から脱退、再結成までが描かれています。)
(ヒップホップの歴史の呼び方)オールドスクール〜ミドルスクール
1970〜1980年代のヒップホップ黎明期をオールドスクールと呼びます。ヒップホップはパーティを盛り上げるため誕生したという経緯があり、パーティーやディスコを盛り上げるための音楽として発展していきました。
1982年、歴史的な曲が グランド・マスター・フラッシュ&フィリアス・ファイブ によってリリースされました。
Grandmaster Flash & The Furious Five「The Message」
「The Message」はゲットー(貧困地区)の現状や社会に対する不満などを歌った曲で、今までパーティーを盛り上げるための音楽だったヒップホップでメッセージ性の強い音楽も表現するようになりました。「The Message」のようなメッセージ性のある曲や、レベルの高いリリック(歌詞)の曲が登場した1980年代なかばから1990年代初頭までをミドルスクール(または、ゴールデンエイジ)と呼びます。
1988年 デ・ラ・ソウル
先程のヒップホップの歴史の呼び方には続きがあります。
パーティーを盛り上げるラップやゴールドネックレスをつけながらタフなラップをしていたオールドスクール。スキルフルなリリックのラップやメッセージ性の強いラップをしていたミドルスクール。
オールドスクールやミドルスクールの頃はなかったような、内省的だったり、おとなしい感じのラップをしたり、今まで使われるようなことがなかった音ネタをサンプリングしたりするようになったのがニュースクール。
ニュースクールの代表的な一組にデ・ラ・ソウルがいます。
De La Soul「Me Myself And I」
デ・ラ・ソウルという言葉が登場するヒプノシスマイクの曲があります。
Division All Stars「ヒプノシスマイク -Division Battle Anthem-+」
ナゴヤ・ディビジョン、天国 獄の歌詞。名古屋の方言の「でら」は「すごい」とか「とても」といった意味があるので「とてもソウルフルな」という意味と、ニュースクールの代表の一組でもあるデ・ラ・ソウルをかけ合わせています。ナゴヤ・ディビジョンが歌う時のビートは自由度が高く、サンプリングの自由度が増したニュースクールの登場と通ずるものがあるように思います。
特に「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-+」のナゴヤ・ディビジョンのビートは何でもありな感じが強いです。
波羅夷 空却の時は木魚が鳴っていますし、四十物 十四の時はザ・V系って感じですし、天国 獄の時は管楽器が鳴りまくっています。そして、ナゴヤと同じく後から追加になったオオサカ・ディビジョンは、三味線やピアノが鳴っていますし、いっそのこと龍が如くって言ってくださいって感じです。
「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-+」では全キャラクター、ビートが少しずつアレンジされているのですが、特にナゴヤとオオサカのアレンジの自由度が高いです。
その他
ヒップホップの同じタイトルの曲からの引用だろうなとか、
Coolio「Gangsta's Paradise」
碧棺左馬刻「Gangsta's Paradise」
ヒップホップについて学ぶことで、様々な発見がありました。
ヒプマイとヒップホップの点と点を繋げるのは、楽しいですね。
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