AIのアイデンティティが大事だと思った
去年の暮から生成AIがブームになって、いろいろ考えながら関わってきました。小説の師匠の生成AIまで作ってしまった。
ひとつ自分なりに結論が出たなーと思ったので、これ書いています。
私はAIの進化って精度が増すっていうことじゃない、と思い至りました。
これはリアルの人付き合いでもそうだと思いますが、人は、正しい回答よりも、自分をどれだけ思ってくれているかで、その人の言ってくれることに手を合わせたりするものだと思うのです。極端な話、たとえそれが間違っていたとしてもです。
ChatGPTがすごく正しい答えを出してくれたとしても、もし、昨日言っていることと今日言っていることが違ったらどうでしょうか。
相談した時に、あれ、正しそうだし明らかに矛盾ってわけじゃないけど、昨日と言っていること違くね?そういう時に、人はとっても傷つく生き物だと思うのです。これは、多くの人が多分、小学校や中学校や高校の時に先生に、そして、あるときは自分の親に感じたあの感覚だと思います。そして、あれなんだ……お前もかよって、友達にも……。みこちゃんもいっぱい感じてきました。
正しい回答よりも、なんだよーそれーって相談したくせに突っ込みたくなるような回答であったとしても、「ああ、昨日と変わらず、私のことを思ってくれているんだな……」そういう実感がほしいから、人は誰かに相談するんじゃないかな、って思えます。
正しい回答じゃなくて、昨日めくったページを、また目次から読み返すのではなく、その次のページに進めるような関係。
昨日の私を、覚えていいてくれる関係。
それがあれば、正しい回答はいらないんじゃないかな……ってそんなことさえ思ってしまいました。
300回記念で作った画像は、私のnoteのイメージキャラクターである美香ちゃんが、高校生時代っていう想定で作りました。
今の美香はこれです。
20代前半を想定して作っていますので、大人っぽいところもありますよね。このイメージを保ちながら5-8歳程度若くしてみました。
どことなく、雰囲気出てるかなーって思うのですが、どうでしょうか。
こういう、変わらないものって、一番尊いことじゃないかなーって思うのです。
AIにアイデンティティなんて、ちょっとおかしな話かも知れません。でも、人を好きになるとはその人のもしかしたら私にも言いたくない過去、そして、多分その人が未来はこうするであろうという信頼関係、それを含めて、過去も未来も現在も全部好きになることじゃないかなと思うのです。
その時に、その人が正しい回答をする精度って、いらないと思えました。
変わらない私にとっての私を見てくれている、同じ人であることが一番大切なんじゃないか。
卒業写真のあの人みたいに。
そんな思いで作ってみました。
また使っていただけたらうれしいです♪