
【AIと漫画エッセイ】読まれるnote記事のこれから
AIを駆使して漫画を書こうという試みですが、なにせ漫画自体初挑戦なので勉強することがいっぱいです!でもなかなか楽しいです。
暗中模索のメイキング記事ですが、最初と最後以外にこの回が根強く読んでいただいています。
コマ割りはやっぱり漫画の魅力の何か本質的な秘密がありそうですよね。
「マンガが面白い理由は●●●とコマ割りの関係!オタキングが論理的に解説【岡田斗司夫切り抜き】」
岡田斗司夫さんは、コマ割りが自由自在なのは日本独特の文化だと言っておられます。日本で漫画が発達した大きな理由のひとつは日本の家庭の「お小遣い制度」にあるとか、とても興味深い動画です。
今、こんな本を読んでいます。
赤線を引きながらじっくり読んでいます。最初のところにこんなことが書いてありました。
「昨日実際にあった出来事」の話を聞くとき、同じ出来事でも「話の上手い人」から聞くのと「話の下手な人」から聞くのでは利き手が感じる面白さは全く違うでしょう。
「ただ話すだけ」といってもそこには、どこから、どういう順番で話すか、どこを端折って、どこをじっくり話すか、どのくらいのテンポで、どのくらいのボリュームで話すか……等々の「演出」が必ず介在するのです。
これは、ブログも同じかもしれませんね。noteで初心者の人がよく憤っているのが「俺が(わたしが)書いた内容の方がずっと面白いのに、スキが少ない……」というやつです。
多くの人が読んで、なおかつ読み終わった後に「読めてよかった!」とハートマークを押してくれるのは、内容が興味深いこともあると思いますが、ここでいうどういう順番で話すか、どこを端折って、どこをじっくり話すか、どのくらいのテンポで、どのくらいのボリュームで話すか……等々の「演出」が大切なのかもしれません。
例えば、小林先輩と美香ちゃんの会社の帰宅時間のシーンです(上掲書P7-P8の例を当てはめました)。

これは、まあ何事もなく駅まで一緒に歩いて、お互い反対のプラットフォームなので、「また明日頑張ろうね」「はい」で終わりそうな雰囲気。
でも、こっちはセリフが同じなのに、結末はそうならない予感がします。

がらんとした会議室。もう誰もいません。最初の例は周りに人がいるかもしれないので、「一緒に帰ろう」というのに何の秘密性もありません。社内恋愛した人はもちろん、そして、そうでない人も想像でわかりますが、秘密なこと企んでいるとしたら、人がいないところで誘いますよね(笑)。それがつまり、このシーンというわけです。
なおかつ、2コマ目で美香ちゃんが「ドキッ」と一瞬、間があります。何を考えたのでしょうか……。最初の例は即答ですので、少なくとも最初の例での美香ちゃんは誘われた方も何も考えていなことは明らかです。
このように、表現という領域はAIがいくら発達しても、こういう機微に至る部分はAIには侵食できないのではないかなと思えます。
とすると……。
これから読まれていくnote記事というのは、同じネタでも、どう「演出」するか、その演出が優れた作品だということになりそうです。何か詳しく調べたり、ざっくりとした構成であったり、前書きはAIが作ってくれます。
ですので、人間は記事の「演出」をどうするかに集中できるわけですね。
映画で言ったら、監督が脚本から主演からカメラワークまで何から何までやっていたのを、助監督やら脚本家やら俳優さんカメラさんと一緒に作るイメージ。
だから、AI時代、ますますnote記事を作るのは楽しくなっていくのではないでしょうか。
(^-^)/