【みこAI】「論理的」と「理論的」の違いが分かるとビジネスも、科学論ももっと楽しくなる!
みこちゃんは比喩でいろんな話をするのが好きです。なるべく楽しく読んでいただけたら嬉しいので、科学論も比喩たっぷりでやっておりますが、今回、みこちゃんの出番なしです。
この本の竹内薫さんのゲーデルの不完全性定理の説明はすごく分かりやすいので、今回はもう、要約ご紹介に徹しますです(^-^)。
巨人の長嶋監督の采配は、あまり論理的ではなかったかもしれないが、理論的ではあった。(竹内薫)
私たちはよく、「それって論理的じゃないよね」という言い方をしたくなります。けっこうぐさっとくることばですよね。言われる方に回ると、なんか、バカって言われているみたい(爆)。
でも、そういうこと言う人に限って、論理的にガチガチに説明すると「そういう頭でっかちな説明やめて、もっと分かりやすく説明してよ」と言ったりするかも( U_U)。
このジレンマを脱するには、論理的と、理論的の区別をつければ、ばっちりです!人は論理では説得されにくいけど、セオリーには説得されやすい動物です。
つまり、こういうことです!
竹内薫さんの言葉を使えばこうなります。
なるほど、たしかに、長嶋セオリーはありますが、長嶋ロジックちうのはないですね。
その前に、野球ファンじゃない方は、長島采配というのを知らないかもしれませんので、まずはそこから(笑)。
以上、こちらから拝借いたしました。
野球とは関係ありませんが、高校時代の英作文の話(みこちゃんが年配の巨人ファンの友だちに聞いた)。
I live in Tokyo.
過去形に直しなさいと英語の先生に当てられた学生服の長嶋茂雄青年はこうこう答えました。
I LIVE IN EDO.
( U_U)
いや、あってるんじゃないかな……EDO。みこちゃんが、先生ならハナマルだよ(笑)。そうさせたい説得力がある、正解以上の正解なんだ。
論理的には、言っていることはめちゃくちゃに近い(?)かもしれないけど、デーブ大久保さんの例は、たしかに捕手は監督の意見なんか聞かないで、女房役の捕手は投手を信じて、自信を持ってリードしないといけないかもしれない。これは勝つための実践的な野球セオリーとしては、とてもあると思います。
ただ、お前が言うなよ、っていうのはあります(非論理的)。
そして槙原投手の完全試合の時のアドバイスは、やはりとても細やかなメンタルセオリーに則ってますよね。いくら槙原投手のようなすごい人であっても、メンタルで追い込んではいけない。これも、優秀な部下を使う時のビジネスのセオリーとしては完璧です。
ただ、本人がいないところでやった方が良いかなというのはあります(非論理的)。
でも、言いたいことは伝わっていますし、長嶋セオリーに慣れている人にとっては、監督が真っすぐ投げろと言っても、ピッチャーを信じて得意のカーブを投げろ、という意味だということは分かります。
かえって、「監督はそうは言っているけど、「本当は投手を信じることの方が重要だっていう意味だよな、俺に言わてれも、お前が投手を信じるならお前の思ったサインを出せ」と解釈できるのなら、とてもドラマチックなやりとりで、テンション上がりますよね。
槙原投手のことだってそうです。
「監督、ぼく本人なんですけど」というのは、笑い話ですが。笑いましたよね、みんな大爆笑だったはず。ということは、もっとも効果的な形で槙原投手の緊張はほぐれたわけです。
これが、長嶋マジックなのでしょう。
だれも、論理的に話してくれ!とはいいません。
これが長嶋茂雄の野球セオリーなのです。
ただ一般人がこれをやると、やりすぎになるので注意は必要です。
でも、書き言葉では論理的、そして話し言葉では(〇〇流、〇〇にはあなたの名前が入る)でコミュニケーションを取れれば、問題ないし、かえってすごくコミュニケーションは良くなると思います。
〇〇流、ってかっこいいですよね。いったんその人を認めてしまえば、多少ロジック(論理)が強引でも、〇〇流で話ししてくれた方が「承知しました!」っていいたくなりますもんね。これが、理論です。
だから、誤解している人多いですけど、理論的って個性的なんですよ。理論的っていうと、理系的みたいで(笑)、すごく冷たい感じがしますけど、完全な誤解ですよ、それ。
誰がやっても同じ個性がないのは論理的ってことですね。同一前提で、同一の結論、そして筋道である論証も同じである場合が多い。
落合監督の「俺流」っていうのも、論理的に突き詰めると何だか強引ぽいけど、中日ドラゴンズの選手はみんな「俺流」理論にみんな心酔していました。
このことを理解すると科学論ももっと楽しくなる
科学論は、論理的じゃないとだめだと思われています。数学なんて特に論理の化け物みたいですよね。だから、文系の人は数学が嫌いなのだと思います。
でも、その数学者の中でも天才中の天才とみんな認めていたクルト・ゲーデルという人は、「世の中に完全な数学理論は存在しない」ということを論理的に証明した人でした。
長嶋茂雄終身名誉監督は、完全に勝つことが出来る野球理論は存在しないと考えていたので、ゲーデルと一緒でしょう。野村克也元監督は、もしかすると、完全に勝つことが出来る野球理論(ID野球)を標榜していたのかもしれませんね。
だから、あの二人は表面上中が悪そうに見えて、同時に、野球愛という点では一致した仲良しでもあったのでしょう。
では、数学界の長嶋茂雄であるクルト・ゲーデルは、どんなことをしゃべったのでしょうか。ヒルベルトが野村克也かな……?
それは、次回の記事に回しますが、とっても、面白いことを言っています。野球はそんなに好きじゃないけど長嶋茂雄の言っていることは何だか好きだ、という人は、きっと、数学は好きじゃないけど、ゲーデルの言っていることは好きだ、となりそうな気がします。
そして、この論理的と理論的の区別が付けば、AI論争の本質、そしてくだらない水掛け論がなぜ発生するのかもわかりますよ!
\(^o^)/
その辺りは、次回をお楽しみに!
(^-^)