ニーズにあわない救援物資について
正月に起こった能登半島地震から三日が過ぎて過去の大震災同様に現地から被害状況や避難所の様子が伝わってくるようになってきました。そしてやっぱり今回もSNSを中心に「救援物資を○○に送ってください」「現地に送る救援物資を集めます」の動きが起こってきています。でもちょっと落ち着いてSNSで発信して拡散をして欲しいと思い、東日本大震災にブログに掲載した記事を、再度このnoteに転載しておきます。これは28年前の1995年の阪神淡路大震災の時に学生ボランティアとして現地に入った経験から綴った内容で、あれから30年たちまますが、大規模災害において計画性のない救援物資は、今でも変わらない普遍的な二次的に起こる人災だと考えています。
2011年3月12日のブログ「スクールソーシャルワーカーのぼちぼちいこか」より転載(一部加筆)
滋賀県で社会福祉士として活動する幸重です。社会福祉を学ぶ学生として阪神淡路大震災では半年近く被災地で支援活動を行っていました。
阪神淡路大震災から一週間目に大学の先輩が活動する支援団体を頼って現地に入りました。現地で行った活動の中で驚いたのは、がれきの除去でもなく、炊き出しでもなく、全国から届いた山のような救援物資の段ボールの整理でした(ホントに倉庫では山のように救援物資が積み上げられていました)。
社協や市の職員はおそらくもっとやるべき作業があるだろうに、救援物資の整理や物資の輸送計画、それに伴う避難所の状況についての調査、避難所の「自治活動支援計画づくり」が行われていました。
★自治活動支援計画とは
避難所は緊急的・一時的な地域活動の場になり、そこで生活している人たちが自治的な組織を作り一つのコミュニティーを形成します。物資をただ被災地に届けるだけでは被災地の自治にとって大きなマイナスになることがあるので、このような自治活動の支援計画がたてられます。一般の社会と同じで避難所によって様々な自治活動が展開されます。
あくまで主観的な体験ですが阪神淡路大震災の避難所で見た現実は、民主的な自治活動が出来ていた避難所もあれば、一部が独裁的に自治活動をしていた避難所もあるということでした。当時、新聞やTVで語られていた美しい助け合いの姿と真逆の避難所の風景もたくさん見てきました。そしてせっかく届ける救援物資が原因で、避難所の人間関係がまずくなる場面も何度も遭遇しました。だからこそ現地では細かい調査に基づいた支援計画(専門的には中間支援と言います)が行われています。
また震災で交通網が寸断され物資の郵送には、相当な時間がかかりました。
自分自身は震災から1週間たってからの現地入りでした。倉庫番と避難所調査に追われてさらに1週間がたったころ避難所では、生活支援のための物資はほぼ必要がなくなったにも関わらず、全国からの救援物資はどんどん送られてました。その結果、避難所の自治活動支援で使えないものが日を増すごとに倉庫を占めていきました(おそらくその後、送られてきた大量の物資の処分が必要となり、多くの人力と経費がかかったのだと思います)。
これから救援物資を集めようとしているみなさん、またそれを現地に送ろうとしているみなさん。そのような発信をSNSで広めようとしているみなさん。
支援物資を被災者に届けるための具体的な計画がありますか?
送られてきた物資を現地でどう役立てて欲しいのか考えていますか?
報道を見て心を痛む気持ちはわかります。何かをしたいという気持ちもわかります。せっかくの善意が届く形を冷静に考えてください。
やらしいと思うかもしれませんが支援は長期にわたり、その形も変わっていく以上、「物品」よりも必要な支援に形を変えられる「お金」が一番役に立ちます。理想の支援は現金の寄付です。どうしても物資を送りたいなら、きちんと輸送計画や支援計画に基づいて動いている全国組織の活動に協力して欲しいと思います。
被災地支援の活動をしてきた社会福祉士のつぶやきでした。明日は「被災地にボランティアへ行きたい人へ」を発信します。
※こちらの冊子もよければ参照してもらえると良いと思います。
『中越発 救援物資はもういらない!?』
以上、2011年3月11日のブログの転載でした。
冊子の58、59ページを画像データにしておきますね。