ヘヴィメタルとファンタジー
今回はファンタジーファンとヘヴィメタルについて語りたい。
僕が良く利用しているハーミットイン商店ではよく『ヘヴィメタルの精神』という言葉が登場する。これはオーナーの籾山さんの考えもあるだろうし、ミニチュアホビーとヘヴィメタルが密接にかかわってきたという歴史的背景がある。
是非とも読者の皆様には、ハーミットインカウンシルでヘヴィメタルの精神を心行くまで味わってほしいと思う。
ところで、僕も一人のミニチュアファン、ファンタジーファンであり、またヘヴィメタルファンでもある。
どちらかといえばヘヴィメタルから先に手を付けたため、ハーミットインのヘヴィメタル節を聞いたときは、とてもうれしい気持ちになった。
折角なのでここでは、ヘヴィメタルの側面から、僕なりに感じるファンタジーファンとの相関性を語りたいと思う。
ヘヴィメタル的自己紹介
ヘヴィメタルラヴァ―(メタルヘッズ)が語り合うに伴い、自己紹介は大切だ。
詳しくは後述するが、ヘヴィメタルの世界は非常に多様であり、定義がないといわれているロック以上に多彩な音楽性とサブジャンルを受け入れている。
結果、愛好者達が集うと以下の様な会話が繰り広げられる。
その中で私はいつだってメタルなのかそうじゃないのか議論の的になるハードロック山の住人である。銀色のハードロック山では小鬼ことロニー・ジェームス・ディオの歌声が常に鳴り響いている。
ハードロックとは構成美、バッハの世界だ。
旋律と緻密に構成された進行、そしてソリストたちの演奏が、甘く重いウィスキーのように腹にしみこんでくる。そんな音楽である。
時たまハードロックはロックでありメタルでないという輩がいるが、それは甘ちゃんか、もしくは特定ジャンルの熱烈な崇拝者だ。
少なくとも僕の中で一部のハードロックとヘヴィメタルは濃厚に混ざり合っており、さながら甘口のラスティネイルのようである。
僕はその山の住人を自称しているわけだ。
多様、されどメタル
前述のように、『メタルか』『メタルでないか』や『メタルなら何メタルか』といった議論は、ヘヴィメタルの様式美といえる。
(そのような議論を嫌うメタルラヴァ―も多いため、注意はしてほしい。一方で僕はこの様式美に愛を感じている。)
ヘヴィメタルは実に多様なジャンルを抱き込んでおり、その数は加速度的に増加している。
スラッシュメタル、デスメタル、ブラックメタル、ラップメタル、ジャーマンメタル、ブリティッシュメタル、北欧メタル、ウォーメタル、バトルメタル、ストロングメタル、パワーメタルなどなどなど。
それらは常に各ジャンルの伝統を意識しながら、時には継承し、時には破壊し現在進行形で広がりを続けている。
もちろんメタルラヴァ―それぞれに好みのジャンルがあり、時には愛が強すぎる故に『あれはメタルじゃない』といった悲劇の産物を生み出してきた。
しかし、恐らくだがメタルラヴァ―に共通する感覚があると僕には思う。
それは、メタルソウルを持った楽曲を聞いた時の『お、メタルだ』という感覚だ。
無数のジャンルに分かれるメタルミュージックだが、不思議と僕らはその曲を聴いたときに、妖怪アンテナよろしくメタルの存在を探知できる。
なんなら普通のポップスを聞いている最中でも、ドラマーやベーシストから漏れあふれるメタルソウルを感じ取る部分もあるだろう。
メタルソウルとファンタジーソウル
僕はこの部分において、ファンタジーにも同じ精神があるのではないかと感じる。
ゲイリーガイギャックスが説いた様に、ファンタジー世界はそれぞれの心にあるべきだ。
でなくても、無数のファンタジー世界が銀河を形成していくことを多くのファンタジーファンは受け止めており、
それぞれの世界にファンタジーソウルを感じながら、異世界を渡り歩いているのではなかろうか。
この部分について、僕はファンタジーファンとメタルラヴァ―に深い親和性があるのではと思っている。
他作品の、それが古くからあろうが、新しかろうが、メジャーだろうが、自分のオリジナルだろうが、
『お、ファンタジーだ』という感覚がきっとファンの共通理解としてあるのではないか。
僕はそう思っている。
以上のように、僕はそう思っている。
だからこそ言いたい。
同好のみんな。
ファンタジーをやろう。メタルを聴こう。
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