壊れた自分がきつい
なんかうまく書けない。
そんなにたくさん書いてきたわけじゃないけど、
脳出血で右脳の一部が壊れてうまく機能しないし、
左脳は前より?活発だ。
感覚的な情報より論理的や科学的な物事に良く反応する。観察し分析する。でも、体力がついていかない。加えて脳を効率よく治すため、起きている時間が短くなった。前は少なくとも今より3時間は長く起きていられた。
左手はうまく動かないからコントローラーが必要なゲームはやらない。できる気がしないから試したこともない。
ポケモンGOもやってたけど左手が利かないとスマホを握ってられないから結果的にモンスターボールがうまく投げれなくなったので強いポケモンほど捕まえられなくなったので、やめてしまった。
集中力は前もあまりなかったけど、もっとなくなった。
病になる一年前は年間で動画を1000本作れたからたぶん何とかなってたと思うんだけど、44年間は体も脳も連続してつかっていたわけで加減やリズムがわかってた。
何よりやりとげるという自分を思いを信じられたし、自分を信じられた。
今は、正直ぜんぜんダメ。
というか、思うに一生のうち、ダメになるタイミングって今を除いたら、本当に死ぬときと、その死因になる病や怪我をしたときくらいしか思いつかない。あとは投資に失敗して破産するときくらいかな。ローン0だからそうそうそういうことにはならないけど、災害とかもあるからね。保険もあるけどフルでカバーできるかはわからん。
麻痺を回復させる可能性にかけて一日も休まずリハビリしたり、健康のために食事に制限かけたり、室内で運動したり、時間も集中力もヘッタくれもねえよ。
今は考えてないけど、やっぱりこの病気をすると鬱だけですめばいいけど、考えちゃうんだよね。自殺っていうやつを。
命は助かったけど、他は全部だめになる。まあ、私が私に贈ったものはとても大きくて、こんな体になっても経済的におかしくなることは全くなかった。ほんと不思議な贈り物だ。
準備周到すぎて、生き急ぎの延長に死ぬところだったのかとか考えることはある。死ななかったけど。
おまえ、もう一生分がんばったから、回収するわー。ってなったかなと。
オフィスで忙しくしてたら倒れなかったのかなあ?
それとも、過労からやっぱり脳卒中起こして、一発突然死してたかなあ。
急性期の病院で毎晩パニックしてた。眠れない。
人生に「もし」はないんだな。人生に「もし」はないんだからと言い聞かせてた。
選ばなかった人生について知ることはできない。起きなかった事象について知ることはできない。
医療関係者に助けてもらい、回復期の病院で倒れるほど頑張って、あと本気になればなるほど死にたくないと反面思ってしまう。
真理なのよね。死に損ねると、生きるしかないのは。
予期せず変わってしまった脳や体だと生活というか時間のやりくりがうまくいかない。まだ2年半。不慣れでね。コントロールできない。
くやしい。
でも、病になって自分を責めるのはだめらしい。そんなことしても何もならない。よくなることは一つもない。
だけど、くやしい。情けない。
自分を信じられない。
自分がさあ、病になる前人生の続きを本当に生きているかわからなくなるんだよ。
一回断絶してんの。記憶はあるのに。数年前のことが10年も20年も前に感じる。
これやっぱり脳が壊れたってことなのかなあ。
麻痺も軽くて、高次脳機能障害ない。知能テストしてもおかしくはない。(むしろ危機に面して活性化してて、結果がおかしくなってた。解けるはずのない問題が全部解けるって気持ち悪い。火事場の馬鹿力とか、走馬灯は一瞬にして脳が驚異的な処理をしているってやつだと思う)
まあリハビリ病院にいるとき、実はもう死んでいてこれはもう現実ではないのかもしれないと思うこともあった。
こういう感覚を覚えるのって脳卒中にはよくあることなのかなあ。
日本人にはよくある病ではあるけれど、なかなか聞かないよねえ。
癌サバイバーの人たちの話はときどき見るけどね。
もう今日は寝るね。