自分の精神と肉体を健全に保つことは、最大の社会貢献
子供の頃に、自分にかけた制限
最近、幼い頃の記憶をよく思い出していることを、前回のnoteに書いた。
https://note.com/yukkurado_wako/n/nd06c74dea464
私の幼い頃の記憶には、母からの愛情を感じた思い出はなく、母親とのある出来事をきっかけに、母に甘えることや自分の素直な気持ちを表現することに対して、自ら制限をかけたことを思い出した。
それは、人一倍繊細な気質を持った子供の頃の私には、当然の反応だったし、その後の私のあり方や人生にも大きな影響を及ぼしている出来事だったことは、確かだと思う。
制限「形状記憶装置」を外すために
けれども、私はそれを母親のせいにしたくて、ここに記しているのではない。
子供の頃の私には、仕方のなかった反応や思い込みが、「形状記憶装置」として自分の自由な生き方に制限をかけているのであれば、今の私がその状況をフラットに捉え直し、視点や受け止め方を変化させて、「形状記憶装置」(制限)を外すことが出来ると考えているから。
最終的には、子供の頃に母から愛情を注いでもらえたか、もらえなかったかということは、きっと、どうでも良くなるんだろうなぁ・・・という予感はしている。
自分の本質が「愛」であることを思い出す
人間は、色々と大変なのだ。
大人になるまでの、様々な体験から生まれた思い込みが、自分に対する制限を作り、そのことで自分の本質からどんどん離れていく。
自分の本質から離れると、自分らしく生きられなくなり、悩んだり、苦しんだりして、だんだんと自分の本質が「愛」であることを忘れてしまう。
本当は、自分の本質そのものが愛であり、ただ自分であるだけで、勝手に愛は溢れていくのに。
自分の本質から離れると、我が子に与える「愛」さえ忘れてしまう
私の母もまた、自分に制限をかけてきた人生だったのだろう。
「人生が、2度あればいいのに。」
「そうしたら、もう一つの人生は、自分のやりたいことを思いきり楽しんで生きたい。」
そういう言葉を何度か、母の口から聞いたことがある。
母は、私が幼い頃、ぜん息で苦しんでいた時に、私を抱きしめてくれず、困った顔で見つめていた。
母に甘えたくて、私が年齢に似つかわしくない赤ちゃん言葉で話しかけた時に、やさしく応えることができず、「普通の言葉で話しなさい。」と言い放った。
母もまた、自分で設けた思い込みや制限の中で、ひたすら頑張って生きていたのだろう。
頑張って、我慢して、心も体も疲れ切っていたのかもしれない。
そうして我が子にさえも、与える愛を忘れてしまっていたのかもしれない。
精神と肉体を健全に保つことは、最大の社会貢献
だからこそ。
自分が心地よくあることを許し、精神と肉体を健全に保つことが、最大の社会貢献だと思う。
ただそれだけで、勝手に愛があふれていくのだから。
そうして、愛が循環していくのだから。