⑤「ひかりが私にくれたもの」 - 胞状奇胎という流産の先に見つけた幸せ-
第4章:病名は胞状奇胎。すぐに決まった手術
少しして夫から折り返しの電話があった。
流産の可能性が高いこと、
このエコーだけでははっきりせず、再診が必要だと医師から言われたことを伝えると、夫は驚きつつも冷静に受け止めていた。
その声に少しだけ気持ちが和らいだ。
医師からは、稽留流産なら自然排出を待つ選択肢もあるため、手術を急ぐ必要はないと言われていた。
ただ、家族で方針を話し合うよう勧められたが、手術は自分の手で私の元に来てくれた命をなくしてしまうようで、辛く、踏み切れないと思った。
「もう一度、診察を受けて決めよう。」
仕事の都合もあり、次の予約を一週間後から四日後に早め、再診を待つことにした。
再診を待つ間も、悪阻は容赦なく続いた。
だるさや吐き気、眠気に悩まされる中、
「悪阻があるなら赤ちゃんが育っているはずだ」と信じたかった。
長男と次男の妊娠初期、悪阻が私を励ましてくれる材料だったから。
しかし、内診台から見たあの真っ黒なエコーの映像が脳裏から離れない。
モヤモヤした不安が頭を埋め尽くし、気持ちは揺れ動いていた。
「流産なんて嘘であってほしい」と願う一方で、医師の言葉と頭の中に浮かんでくるあの画面が現実を突きつけてくる。
そんな時、夫から職場で話したときのことを教えられた。
「職場で話したら、私も流産を経験したって人がいたよ。今まで知らなかっただけで、案外よくあることなんだね。仕方ないよ。落ち込むことはないよ。」
夫の言葉は、私を励まそうとする優しさから来ているのだと分かっていた。
でも、その言葉は私の心に響かなかった。
たとえ「よくあること」だったとしても、他の人が同じ経験をしているからといって、私の悲しみが軽くなるわけではない。
だが、「そうだね」と私は答えるしかなかった。夫の気遣いを無下にしたくはなかったか 。
けれど、心の中では静かに涙を流していた。
悲しい気持ちは消えないまま、胸の奥にじっと溜まっていく。
何とも言えない重たい悲しさが、私の心を静かに押しつぶしていった。
再診の日。
前回採血した結果を見た医師の表情が明らかに変わった。
緊張感のある声で告げられる言葉に、胸がざわついた。
「これは、稽留流産ではないかもしれません。もう一度エコーで確認してから説明します。」
不安を抱えながら内診台に座り、あの気持ち悪い痛みに耐えた。
映し出された画面を見つめるが、やはり赤ちゃんの姿はなかった。
ただ、前回とは異なり、ポツポツと丸い黒い影がいくつか映っていた。
「胞状奇胎ですね。すぐに手術が必要です。」
カーテン越しに聞こえたその言葉に、心臓が強く締め付けられた。
稽留流産ではなく、胞状奇胎——?
身支度を整え、医師と再び向き合うと、血液検査の数値とエコーの画像をもとに詳細を説明された。
「胞状奇胎の場合、細胞がどんどん増殖します。
稽留流産なら様子見でも問題なかったのですが、この場合はすぐに対応が必要です。」
続いて、医師は冷静な声で続けた。
「胞状奇胎はまれに悪性化し、がんになることがあります。そのため、手術後は1年間、定期的に血液検査をして経過を観察する必要があります。そして、その期間は妊娠を控える必要があります。つまり、避妊が必要になります。」
医師の説明を聞く間、頭の中でさまざまな感情が渦巻いた。
がんになるかもしれない不安。
1年間妊娠できないという現実。
待ち望んだ命を失ったばかりなのに、さらに妊娠を諦めなければならない時間が課される。
「どうしてこんなことに……?」
心の中で何度も問いかけた。
「明日か明後日、手術を受けられますか?」と医師から日程を確認されたとき、あまりにも急な展開に頭が追いつかなかった。
それでも、夫が少しでも早く帰れる土曜日を選び、なんとか返事をした。
帰宅してからも私は幼稚園への問い合わせや保育の手配、直属の上司への報告に追われた。
目まぐるしい時間が過ぎていく間も、吐き気とだるさが容赦なく続き、ふと立ち止まるたびに「流産」という現実が波のように押し寄せてきた。
手術を2日後に控えた夜、意を決して子どもたちに話をした。
妊娠のことは伝えていたが、流産については話せていなかった。
「赤ちゃんね、おなかから出てこられなくなっちゃったの。だから、ママが病院で手術を受けなきゃいけないんだよ。」
年長の長男は心配そうに「ママ、大丈夫?」と聞いてきたが、年少の次男はまだその意味を理解していない様子だった。彼らの純粋な反応に胸が痛む。それでも私は、冷静に振る舞おうと努めた。
日帰り手術の予定とはいえ、初めての手術に備えて入院準備を進めた。
その間も、ふと手を止めると涙が溢れてきた。
家族に迷惑をかけないよう動き続けることで、自分を保とうとしているのが分かった。
「手術が終われば、きっと何かが変わる。」
そう信じることで、私はなんとか心を保っていた。