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【読書メモ】〈本の姫〉は謳う 2

いろいろと入り組んできたな。
だからこそ、途中では止めれないよね。



故郷を追われた青年 アンガスと、本に宿る姫。世界中に散らばり、人々に影響を与えているスペル(文字)を姫の宿る本へ戻す旅をしている。
1巻では、アンガスの母が故郷で病に臥せっているという連絡が届いたところで終わった。

2巻は、アンガスの故郷へ向かうシーンから。
1巻で出会い、旅を共にしていたジョニーとアークには黙ったまま、アンガスは一人で故郷の母の元へ急ぐ。しかし、故郷を追われたアンガスにとって、故郷へ戻っていいのか自問自答しながらの旅だった。

1巻ではスペルを回収するところに焦点を当てていたお話も、2巻では登場人物それぞれの背景にぐっと深く切り込んでいく。
アンガスの過去、ジョニーの過去、そしてスペルを回収するにつれ、記憶を取り戻していく姫の過去。
アンガスの物語と交互に語られる13聖域で育った俺の物語も、少しずつ、アンガスの物語との距離を短くしてきている。

アンガスの時代の本が、スタンプという技術で動画を映し出す道具となっているところが面白い。
このスタンプが出てくるシーンを読んでいると、画家  ゴッホが平面的なキャンバスに物の動き(流れ)を描き出そうとしていた、という話をいつも思い出す。ゴッホの絵が、あの特徴的な細かい線を重ねて描かれているのは、世界は常に動いていて、同じところに留まっていない、というゴッホの想いからだという説があるらしい。
小説も絵も写真も、結局は立体的で常に動いている世界を写し取りたくて、いろんな表現方法を生み出しているんだろうなぁ。
では、文字の力は弱くなっているのか。
動きで出来た世界を表現するのが目的なら、他の表現方法は動画に叶わないのか。
でも私の頭の中は文字で出来ている。文字がトリガーで記憶が呼び出される。人は文字と切り離せないような気がしている。

この話を読んでいると、文字と動画の役割の違いを考えてしまう。
動画の良さは圧倒的な情報量だよなと思う。だからこそ、文字では何を描くかよりも何を描かないかが大切なんだろうな。焦点の当て方の違い。
情報を重ねることで伝えるか、情報を省き、伝えたいことを際立たせるか。

2024年5月11日読了
多崎礼さん
『〈本の姫〉は謳う 2』講談社


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