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心の翼(文芸社「闘病記Ⅲ~心のエール~」に応募した作品)※落選

「クロちゃん、死んでくれてありがとう」

心の中で呟いて、私は一つため息をついた。

 僕は桜文鳥のクロ。この築三十年になる古いマンションに、まだ産まれて三か月目にやってきた。飼い主は、統合失調症を患っている女性で年は三十二歳だった。統合失調症ってどんな病気だろうって、僕が知るはずもない。飼い主はよく脚立を持って玄関に突進して、父親に腕をつかまれては、泣き崩れて「死にたい。あいつらを殺してやりたい、私はダメな奴だ。負け犬だ!」と叫んで、わあわあと大声で泣いていた。僕はそれを鳥籠の中で聞いて、「ぶっそうだなあ」と思っていた。太っている飼い主が脚立を使って十二階の柵から飛び降りようとしていたことなど知るよしも無かった。

 それから三年が経ったある日の事だ。飼い主は両親と妹と僕のいるリビングにやってきた。「抱っこしてほしいの。理解はしなくてもいいから、協力はしてほしい。お願いします」飼い主は三十五歳と思えない幼い表情で言った。被害妄想からくる自傷他害の他にアダルトチルドレンでもあったのだ。「いわゆる育て直しってやつか」娘が罹患してから関連書物を読んで勉強をしていた父親が言った。それは、協力するという答えでもあった。

 飼い主が僕のいる鳥籠に近づいてきた。やった!外に出られるぞ!僕は扉の前で待った。開いて僕は飼い主の腕に止まった。飼い主は甲高い声で、「クロちゃん、かわいい!」と言い、僕を飛ばして遊んでいた。僕の都合など関係無しに、“僕と遊ぶ”のではなくて、”僕で遊ぶ“飼い主に怒りを感じて、僕は自ら籠の中に入った。「クロちゃん、おりこうさんねぇ~」そう言うと飼い主は扉を閉めた。この一方的な自己中心野郎め!僕は藁でできた壺巣をひきちぎった。

 ある日のことだ。抱っこするのに消極的だった母親が、飼い主を力強く抱いた。それは、娘が病気であることを認めたがらなかった母親が、初めて“治れ!”と念を込めた瞬間だった。飼い主は、「おかあさん、大好き」と言った。母親の返事は無かった。それからだ、飼い主は急速に大人になっていった。

 抱っこの習慣ができた頃、飼い主は、「今までどうもありがとう。もう、大丈夫です。抱っこしてくれてありがとうございました」と言い、頭を下げた。僕は鳥籠の中、左目でその光景を見て、うれしくなった。

母親は、僕が一番好きな人だ。だから父親はライバルで、妹は生き物を扱うのに慣れていた。飼い主は、たまに携帯で僕の写真を撮ろうとするが、僕はじっとしないで、動き回って邪魔してやった。しかしある時ついに飼い主は僕のすばらしい体を撮るのに成功した。飼い主は満足げだったが、僕は怒って飼い主の首をつついてやった。「痛い!痛いよクロちゃん!もうっ!」そう言って、鳥籠の中に入れられてしまった。ふん!

 いつからか飼い主は両親へは丁寧語で話すようになっていた。両親もまた、丁寧語で娘に話すようになっていた。僕からすれば、よそよそしさを感じたりもしたが、大人同士だからそれでもいいのだろうと思うことにした。僕にもそうしてほしいのが本音だが。

 僕は八歳になった。飼い主は四十歳だ。年月はあっという間に経ち、飼い主は毎週一度のデイケアに通える程には回復してきていた。「クロちゃん!それは食べてはいけません!」そう言って、僕の口からおいしそうなものを指で取り除かれて、鳥籠の中に放り込まれた。僕は威嚇した。「クロちゃん、最近変な物を口にするようになって」と母親。「年を取ったんだよ」と父親。飼い主からは「平均寿命の年だから衰えるのも無理は無い」と言われた。僕はそれからあまり鳥籠の外に出してもらえなくなった。僕は、この家から忘れられようとしていると感じた。もう、僕も老いた。たまに外に出されては、いきなり空中に投げられて、あわてて飛んでは鳥籠の中に自ら入った。飼い主は何も言わずに扉を閉めた。

 ある日、僕はついに止まり木に止まっていられなくなった。鳥籠に敷いてある新聞紙の上で、息荒くうずくまっていた。飼い主が小さなケージを出して僕を無理やり入れて、近所の動物病院へ連れていってくれた。その時の飼い主は、ひきこもりの病人ではなかった。なんとか僕を救おうと、必死の形相だった。僕は初めて見た青空を一生忘れないだろう。飼い主が病院の受付で渡された問診票に僕の生年月日ではなくて、飼い主のものを書くものだから、診察室に入るなり、飼い主が医師や看護師さんに、「クロちゃんは四十歳なんですか、すごいですね」と爆笑されていた。僕はケージの中で暴れていた。「呼吸が荒いですね。風邪をこじらせて肺炎になっている可能性があります。抗生物質を出しておきますので、飲ませてください」と言われて病院をあとにした。飼い主は、問診票に自分の生年月日を書き込んだ事で、自分がいかに自分を中心に世界が回っていると思い込んでいたかが分かったらしい。「クロちゃん、がんばろうね」と言って僕の嘴に、抗生物質を一滴たらしたので、なめとって飲んだ。その翌日。僕は飼い主に看取られて死んだ。八歳六か月の生涯だった。

 私は亡くなったクロちゃんを自分の左手に乗せた。まだ温かく柔らかい体。顔が、とても満足そうだった。いつも私達家族のことを左目で眺めながら、ウィンドベルよろしくリビングに出入りするたびに鳴いていたクロちゃんは、私の子供のようであり、足枷のようでもあった。そのクロちゃんが亡くなった時、私はため息しか出なかった。「死」とはこのようなものなのか?クロちゃんは苦しんだ。けれども、生き抜いて、最後は満足した顔で亡くなった。私は長年にわたって希死念慮という、原因不明の死にたい気持ちがあった。それが、クロちゃんの最後を看取ってからは、きれいに症状が消えた。

 精神病は極端な話をすれば、自己中心的な自分との闘いだと知った。それはクロちゃんの問診票に自分の生年月日を書いて恥をかいたり、クロちゃんの世話を一方的にして、毎日の水替えや菜っ葉をあげる時にクロちゃんが威嚇してきたことが知るきっかけとなった。クロちゃんはそんな私が見守る中で、息を引き取った。満足した顔をして。今までの私を許してくれたかのように。

 クロちゃん、産まれてきてくれてありがとう。うちに来てくれてありがとう。私達と生活を共にしてくれてありがとう。私に最後を看取らせてくれてありがとう。死んでくれてありがとう。

 クロちゃん、あなたは私とって最高のセラピストであり、最高の教師だった。

(2012年7月15日)


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