遠い昔のあいつの5感
昔、実家にいた頃、大親友がいた。
一人はまだ会ったりする。
いつも三人で行動してた。
退屈な山並みを見ながら、なにかを探そうとしてた。
うちは名古屋へ、一人は東京へ、あいつは実家にいたまま。
あいつは何してんのかな?
連絡も実家を離れてから6年ぐらいで途切れた。
うちは音楽を志し、あいつは脚本を志してた。
病み始めたあいつに、地元でろよ、違う景色見ないと脚本もリアルじゃないよって言っても、もう届いてなかったんだと思う。
昔はネットなんてなくてさ、インプットはほとんどがテレビか雑誌。
そんな雑多な中で6年ぐらい過ごしてたあいつ。
やっぱ病むよな。
今日、リハビリがてらに数週間ぶりに、少し臆病になりながら出かけた。
数週間、TVとSNS、ネットでしかこの世界を見てなかったから、妙に普通な世の中に正直キョトンとした。
マスクは8割方してるけど、地下鉄、結構人いるし。
デパートに結構人いるし、飲食店もボチボチ。
平和?え?現実?
って錯覚がでてしまい、なんかの時間軸がおかしくなったようで、自分のタイムラインを見返してた。
でも見えない敵は当たり前にきてる。
なんか、YESともNOとも何も言えなくなった。
自分が臆病だからこんなんなんかなって思ったりもしたし、これが平和と言えるなら言いたかった。
でも実際に認識してたものとのズレが出てきて、危機感みたいなのに正直襲われた。
でも、友人と待ち合わせだったので、本当にその友人がいてくれたから正常でいられた。
これ一人だったら無理だったなって。
でもいいリハビリにもなって、外でコーヒー飲めたし、色々な会話も楽しめた。
服も久しぶりにみたり、音楽も。
ありがとうね。
こんな時だけど、逆にこんな時だからエンタメの重要性を感じたりもした。
家に帰宅して、メディアみるとやっぱりこの危機感は概ね外れてはいない、ってリアルに思えた。
あいつ、今も身体だけは健康でいて、この状況を見てたのならなんというかな。
逆に、このうちの感覚をあいつもやっぱ感じてたのかな?
だから病んじゃったのかなって。
なんとも言えない感覚だったけど、、、
真実ってやっぱ現場なんだなって思った。
現場でしか見えないことがある。やっぱりどれだけネットの精度が向上してもこれだけは補えないんだなって。
いい事も、悪いことも5感を使ってアウトプットしないと、嘘っぽくなっちゃうなって。
でも今の世界はYESもNOも言えない。
感覚、危機感と言っても、メディア、SNS、地域、場所、自我、他者と色んな線引きがあるので、それを統制するのはむずかしいけど、限りなく同じような方向を向いてないとだめだなとも思った。
早くこの脅威が消え去りますように。
うちの直感が当たればリーマンショック後の夜明けより、今回の夜明けのほうが綺麗な光に囲まれる気がする、全世界のみんなが。
あいつも笑ってくれればいいな。