「教育と多様性」授業を振り返る1

教育学修士課程の必修科目として「教育と多様性」(Education and Diversity) のクラスを履修し始めて二ヶ月が経った。教授は、昨年「社会正義と教育のリーダーシップ」の教鞭をとったパッション溢れる人物で、今回の授業も昨年同様、教鞭をとると言っても授業の大半が同僚たちとのディスカッションを占める。20名ほどの小規模クラスでスクリーン上ではあるが毎週顔を突き合わせ、アイデンティティや人種、エスニシティ、文化、セクシュアリティ、ジェンダー、社会的クラス、白人性、言語、脱植民地化、歴史的な不平等構造や力関係の中で作られてきた知識や文化への問い直しなど、多くの感情が揺さぶられるトピックについて3時間ほど対話をする。昨年に比べ、クラス内に知った顔も増えたこともあり、個人的にはより自分が抱える葛藤や曖昧さ疑問や抵抗も含めて、まだ勇気はいるものの、シェアしやすい「安全な場所」になりつつある。また、圧倒的白人社会と言える現地で多様性受容のプレッシャーを受けながら教職につくひと、移民としてコミュニティに参画し始めて間もないひと、コロナによりカナダ国外の母国からアクセスしているひと、移民二世三世としてカナダで育ったひと、など多様なクラスメイトの視点や思わぬ意見に触れ、授業終了後はいつも強い興奮と疲労感に包まれる。そのような、刺激的な時間を確約してくれる授業だ。

ただ、批判的教育学と総称される教育理論をフレームワークにしている授業内容であるがゆえ、既存の力関係への批判的な思考の促進や抑圧からの解放という側面が強調され、中には私の今までの感覚からすると、かなり前衛的で、ともすれば攻撃的とも感じてしまうような内容も扱う。例えば、白人の特権性への批判や、

しかし、これらの視点を得ること自体、

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