ヤバい写真展「質量への憧憬」
天王洲アイルで「質量への憧憬」落合陽一さん写真展で思ったこと。
数々の写真と枯れた植物のオブジェ。
少し前に見たフェルメールの絵でも気になった黒という光を映す色。
あぁ、世の中はエモさに溢れている。
対象物は、波だったり、窓だったり、花だったり。
菊の花は今まで見たことのない淡い儚い姿で表され、紫の小花はたまらなく渋い色合いで。もっと近く、より近くでとその正体に近づこうとすると、とたんに対象物はその正体を隠してしまう。
壁一面に張られた写真たちは、どれもSNSで見たことがあるなじみのある写真たちで。タクシーの中から撮られたカラフルな丸い光は、見るたびにやっぱり好きな色だなと思わせる。
モチーフとしてはベタな夕暮れも、東京タワーも、想像を超えて光の多様性を見せつけてくる。
夕暮れの4枚の小ぶりな写真は、空気感まで伝わってきて、脳内で雲が動きだしそうなくらいで、いつまでも見ていられた。
下の段の写真のぼやけ感がまた、心に沁みてきてもうこれは泣きそうになる。
花と落ち葉の写真は、このサイズだからこそ表現されるエロさだ。この赤をこんな間近じっくり見れるなんて、拝んでしまう。
瞬間的に切り取られた写真には、もちろん全ては写ってはいなくて、人の質量的な記憶に繋がることでより高度な情報となって伝わってくる。
最後の方の鳥居のような写真は、もう圧倒的な存在感に感服。
こう写されてた写真だったというのがこのサイズになってやっと分かった。
スマホじゃぜんぜんわからなかった私の未熟さったら。
なんかいつまでも見ていれる感じで
とても素晴らしい写真展でした。
ありがとうございました。
コーヒーも美味しかった。