ネパールの先生が教えてくれた「違い」を認めること
以前、僕の大好きな言葉を紹介させてもらいました、
この言葉を教えてくれたビマラ先生という人から学んだことがもう一つがあります。
「違い」を味わう
ちょうど去年のいま頃、日本の大学生がネパールを訪れ私が活動させてもらっていた学校を訪問しました。
職員室へ招かれた学生たち。しばらくしてビマラ先生が職員室へ入ってきました。いつも通りの、全てを包み込むような声で「ナマステ」というと、早速先生は新聞紙を配り始めました。
「一人一枚とってください」
学生は何が起こるかわからない様子で、ワクワクです。
全員に新聞が行き渡ったのを確認して、
「いま皆さんの手元に新聞紙がありますね。ではまず半分に折ってみて。」
学生たちは言われた通り、半分におります。
「みんな終わったわね。それじゃあ、好きな角を一箇所ちぎって。」
学生たちは戸惑いながらも、新聞紙の角を少しちぎります。
「そしたら、もう一度半分に折ってみて。半分に折ったら、もう一度角をちぎって。」
学生たちはこれから何が起こるのか検討もつきません。
「みんなちぎったわね。それじゃあもう一回折って。そして角をちぎって。」
半分に折って角をちぎることを何度か続け、もうこれ以上新聞紙が折ることができないくらい小さくなりました。
「それじゃあ、みんな。新聞紙を開いてごらん。」
学生たちは新聞紙を半分、また半分と開いていきます。
そして開き終わった時、みんなが「わっ」と歓声をあげました。
規則正しく丸い模様の新聞紙。
四角も三角も丸もある新聞紙。
顔みたいな模様の新聞紙。
すごく大きな穴が空いた新聞紙。
みんな違う模様が現れました。
みんなが一通り新聞紙を開き終わった後、
「ごらんなさい。私はあなたたちの心が見えましたよ。みんなそれぞれ素敵なものを持っていますね。周りを見渡してみて。自分と同じものはある?みんな違うでしょ。違うことって素敵なことなんですよ。」
とビマラ先生は「違い」を認め、「違い」の素晴らしさに気づかせてくれました。
私は毎回このワークショップを受けると感動してしまいます。
普段当たり前すぎて気づかない、「みんな違う」という事実に気づかせてくれるからです。
日本ではみんなと「違う」ことが必ずしも肯定されるわけではありません。「違う」という理由だけでいじめにあうこともあります。
そもそも人は「違う」ということ、そしてそれは素晴らしいことなんだということは言葉で言えても感じることは難しい。
これは世界一簡単な「違い」を認められるワークショップ間違いなしです。
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