常識を疑ってみる

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埋もれている社会問題を知り、考えるためのWEBメディア【little think】の代表、柳田ゆうきです。

このプロジェクトは、広島県在住の映像作家、柳田が発起人となりスタートしたスタートアッププロジェクトです。

社会問題や課題に直面しながら活動している人、関わりのある人へフォーカスし、取材を通してその問題を映像や記事として伝えて、優しい世界を実現していこう。という『クリエイティブ×社会問題』といったコンセプトになっています。

常識に潜む陰

常識(じょうしき)は、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念ともいう[1]。対義語は非常識(ひじょうしき)。

いったん物事が常識として受け入れられれば、その物事は異議を差し挟まれにくくなる。そのため、常識の内実はしばしば大きな政治的価値を持つ。常識は、メディアを通じて変じることがある。常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。

Wikipedia

『常識』とは、その社会で一般的に受け入れられているであろう概念だと認識しています。

例えば、日本で通用していた常識が、海外に行くと通用しないという話はよくある話です。

国内でも、そのコミュニティによって常識は異なることも多々あります。

そして、各個人にもそれぞれの価値観があり、常識が常に通用するという思想は危険だとも思います。

例えば僕は、実年齢よりも若く見られることが多いです。
年齢を聞かれたら正直に答えるのですが、必ずと言っていいほど『見た目より若いですね!』と驚かれます。

特にもう気にはしていないのですが、これは『あなた老けてますよね!』というのと同じ事です。

若い=良い事

このような社会全体にある思い込みによって、この言葉が発せられているのかと思うのですが、知らず知らずに他人を傷つけているかもしれない、という疑いは持っておきたいです。

とはいっても、これはメディア(テレビ、雑誌、漫画、ゲームなど)の影響、不純な広告、などによって自分でも気付かないうちにバイアスがかかっているのでしょう。

結局は、相手への『思いやり』を持ち、接するというしかないのかもしれません。

多数派=正しい

このような認識が、生きづらい社会を作っているのではとも感じています。

そのコミュニティでは多数派でも、違うコミュニティに行けば、少数派になる。

常に常識を疑って生きていきたい。

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